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9年前の痛ましい事故による犠牲者を供養 [雑感]

緊急時代宣言前の4月13日、用事があり京都を訪ね、四条通を東山に向かい歩いていた。
ちょうど大和大路通四条交差点の角に差し掛かった時に、掲示用鉄柱に花が飾られ、それに水を注ぐ男性がいた。

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一瞬、なんで? ここに花が、と思った。
もしかすると9年前に起きた悲惨な交通事故の犠牲者に手向ける花なのか、と。
咄嗟に水を注いでいた方に尋ねた。
「9年前の昨日に起こった事故で亡くなった方々への供養と思い」と仰っていた。
毎年、4月12日に花を手向け手を合わせているという。

全国各地で交通事故は頻繁に起こっている。とくに暴走で多くの犠牲者をだす事故も多発。京都のこの事故も信号無視の軽乗用車が横断歩道を渡っていた歩行者を次々とはねた。車は衝突を繰り返しながら、北約200メートル先の電柱に衝突して停止。歩行者の男性2人、女性5人の計7人が死亡する痛ましい悲惨な事故だった。

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忘れたい事故ではあるが、忘れてはいけない出来事である。それぞれが記憶のどこかに留め自制行動しなければ、と改めて思う。

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めざす曼陀羅の世界 [仏画曼荼羅アート]

2年前のこの頃、仏画曼荼羅アートの神戸教室の皆さんと京都・東寺や大報恩寺の仏像見学ツアーを行った。
その時のメンバーのひとりの方が、次の講座日に、行った時の思い出にと家で描かれ一枚をコソッと出された。皆さんにもぜひ披ろうしましょ、と声かけたが、 “ 個人的に描いたものだから。恥ずかしいから、いいの ! ” という返事が返ってきた。

作品は見てのとおり、素晴らしい出来映えに仕上がっていた。その作品を見て感動を覚えた。
これこそが仏画曼荼羅の真骨頂のように思えた。感じたこと、見たことを仏画や画、文字(般若心経)で表現することが描いた人の生きた曼荼羅になる。そのことを教えていただいたような気がした。

作品は阿弥陀如来坐像に加え、訪ねた東寺の五重塔と、その横にある八島殿の鳥居が加わっていた。これこそがオリジナリティー重視する仏画曼荼羅アート作品である。
写経、写仏といえばかたぐるしが、このように見たこと、感じたことを仏画やお経の中に織りまぜていくことこそ、めざす曼荼羅の世界である。

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コロナ禍、青天にたなびく [伝統文化]

桜が終わり新緑に染まる夙川に
端午の節句の鯉のぼりが泳ぎ始めた。

例年なら阪急電車を挟み北へ南へ20m間隔で数キロにわたり吊るされる。
残念ながら、昨年に続いて吊り下げられたのは数本のみ。

男児の健やかな成長を願い
青い天に向かい真鯉、緋鯉、子鯉が風にたなびいていた。

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社寺の美しい屋根に惹かれる [文化想造塾<建造物>]

大きな寺院に行くと、伽藍の中に数々の役割をもつ建造物がある。その中でも建物自体が文化財に指定されているのも少なくない。その建造物の美しさもさることながら屋根の形状の美しさに見とれることが多々ある。

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じっくり見ないとわからないが、寺院の屋根は独特の形があるようだ。その代表的な形として「反り屋根」と「むくり屋根」がある。写真(上)にあるように、手前の屋根は中腹部が膨らんでいる。奥の方は反り返っている。
反り屋根は屋根の面が反ったもので社寺などに多く、中国大陸から伝わった建築様式で格式や荘厳さが感じられる。
一方、むくり屋根は屋根の面が膨らんでいるもので、有名な建築物の代表例としては桂離宮などで見られる日本独自の建築様式である。丸みのあるむくり屋根は、その美しさから皇室ゆかりの建造物や公家の屋敷等に使われた。

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では、なぜ屋根の形状を変えるのか。それは建物の特徴や用途にあわせ形状を変え、機能や役割をもたせている。
むくり屋根は軒へ近づくほど勾配が急になり雨水のキレをよくするために。また、反り屋根は軒へ近づくほど勾配が緩くなっている。雨水のキレが悪くなるが、大きな軒下があることで、雨水や日光から建物本体を守ることができる。これが最大の目的のようだ。

日本古来の建築様式は、数かずの知恵や工夫が施さている。それは厳しい自然の中で、長年にわたり存在していくための叡智が詰まっている。これらの叡智は専門家だけのものではなく、日頃の暮らしに反映できる技として伝わればもっと暮らしにおもしろ味が増すような気がするが。

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西宮北口図書館、「撮影場所になった西宮」と題したブックフェア&写真展示 [雑感]

よく利用する西宮北口図書館では現在、「撮影場所になった西宮」と題したブックフェアが開催されている。壁には映画、ドラマ、アニメーションのロケ地や背景になった西宮の撮影場所を写真で紹介している。その壁の下の書架には、それらの原作本などが展示してある。
(本日からの緊急事態宣言によりかなり制限されていますが、入場はOKのようです)

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話題を集めた「半沢直樹」(2013年)では、裏六甲の展望台からの夜景がたびたび登場していた。またアパレルメーカー「ファミリア」の創業者を描いた、朝ドラの「べっぴんさん」では神戸女学院大学がロケ地の一つに。そして現在公開中の「にしきたショパン」では夙川オアシスロードや教会、西宮卸売市場など。さらに、2011年に公開され劇場で観た記憶がある「阪急電車」など多くの映画のロケ地になっている。
この他に、「日本のいちばん長い日」、「幼な子われらに生まれ」、「マッサン」、「平成細雪」、「まんぷく」、「繕い裁つ人」に加え、アニメでは「涼宮ハルヒの憂鬱」、「火垂るの墓」、「坂本ですが?」などなど数多くの作品の背景に西宮が使われている。

関西でロケをする場合に、西宮は山あり海あり、そして川や緑が多いこと、さらには歴史的建造物も多いことから、映画やTVドラマのロケ地に最適なのだろう。
ロケ地の写真を見て、原作本などを読むとまた違った目線で楽しめるかもしれない。
興味がある方は、ぜひ西宮北口図書館まで足をお運びください。

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建仁寺の降誕会四頭茶礼のために咲いた桜の景色 [文化想造塾<社寺>]

先日、京都建仁寺を訪ねた際に、受付正面に大きな桜の木の飾りつけが行われていた。木には桜が咲きこれから満開を迎えるベストな状態のものだった。関西では、この時期すでに過ぎ桜を見かけることはないが、北の方から運ばれてきた貴重な花材だろうと想像はつく。その作業に見とれながら、近くにおられた僧侶に “この飾り付けは何のためですか”と尋ねると、「明日の降誕会(ごうたんえ)の法会ために」という答えが返ってきた。 

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門外漢にはよくわからないので調べてみると、毎年、建仁寺宗祖である栄西禅師の降誕会(誕生日)四頭茶会(よつがしらちゃかい)という法会が執り行われている。その茶会が、今年はコロナの感染拡大を考慮し中止になったようだ。内輪のみで降誕会法要のみを行うにあたり、茶会用に準備されていたこの桜を飾ることに。その作業中であった。活け花の先生らしき方と、桜の木を準備された方との二人三脚での作品づくりをしばし眺めていた。

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ちなみに降誕会四頭茶会というものがいかなるものであるかを少しまとめてみた。   茶会というよりは寺院に伝わる儀礼なので茶礼といういい方が適切のようだ。        建仁寺四頭茶礼とは、起源は中国の南宋・元の時代、大きな寺院にて行われていた茶礼で、日本には鎌倉時代に栄西禅師が禅と共に伝えられたとされている。室町・桃山時代以降、盛んに用いられた作法のようだ。当時は、特別な招待客のためのお茶であるから特為茶といわれ、一般大衆に呈茶する普茶とは趣がちがうもの。天目台、天目茶碗を使用し、出席者を貴人扱いとして行われていた。この作法は、禅宗寺院内の修道行事・法式・作法等を規定した正規のもののようである。平成24年に京都市登録無形民俗文化財に認定され、いまも毎年行われている法要である。                                そしてもう一つ理解ができてない四頭茶会というものは、禅院茶礼の伝統を今日に伝えるもので、四頭は四主頭(ししゅちょう)、つまり正客が4人存在し、主位、賓位、正対位、賓対位で対坐する禅院斎宴の着席法で行われるものである。(建仁寺ネット資料から転載補足)

寺院の法要、法会などの詳細は、われわれにはなかなか理解しがたいところはあるが、昔の慣習や風習、儀礼、作法等々、時代は変われど大切に伝承されている。日本の歴史文化の中でも、日本独特の精神文化は深いものがあるようだ。

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善峯寺をゆるりと回った。貴重な光景を楽しむ [文化想造塾<社寺>]

山の中腹に位置する善峯寺は3万坪の境内を有し、諸堂を回るのに約30分から40分かかる回遊式境内になっている。諸堂を巡りながら、眺望と四季折々の花や樹木の彩りを楽しめる寺院である。

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受付でもらった境内の地図を見ながら回ってみた。
山門をくぐり、正面の本堂(観音堂)には本尊である千手観音像(秘仏)が安置されている。本堂を右に行くと前回紹介した遊龍の松が迎えてくれる。右に護摩堂を眺めながら進むと多宝塔、経堂があり、さらに進むと伝教大師筆の法華経が納められている宝篋印塔、そして善峯寺復興の大檀那である桂昌院廟がある。その横には源算上人の尊像が祀られている開山堂と鎮守社がある。
その後方の斜面には春はしだれ桜、夏は紫陽花が一帯を彩る。その斜面の上には幸福地蔵が安置されている。さらに上っていくと、源算上人の作といわれている釈迦如来が鎮座。そして少し進むと比叡の山々、京の市街地が一望できるところに薬師堂が建つ。ここには桂昌院出生の由緒により出生薬師如来像が納められている。御陵、稲荷社を経て、最終奥の院には阿弥陀堂がある。

こんな順路で歩いてみた。
春の陽射しを受けながら、山の中腹に点在する堂宇を想うがままに見て回ると心も体も清められるような気がする。貴重な時間を過ごさせていただいた。

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日本一の松、善峯寺の「遊龍の松」 [文化想造塾<社寺>]

先日訪ねた京都西山の善峯寺には日本一の松といわれている「遊龍の松(天然記念物)」がある。
山門をくぐり正面の本堂(観音堂)を右に行ったところに中心核になる幹があり、多宝塔と経堂の前を左右に広がかっている。高さはわずか2~3mだが、地を這うように分かれた幹が左右に約40m伸びている。その長く伸びた幹が遊んでいる龍に見えることから「遊龍」と称されるようになったようだ。

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松は龍に喩えられ、仏法を守る守護神として、また水の神様としても寺院には多く植えられてある。黒松をはじめ赤松や五葉松をよく見かけるが、ここ善峯寺の松は五葉松である。
樹齢600年の大樹で、善峯寺の諸堂宇を守り続けている。

ちなみに、京都の三大松といわれるが、この「遊龍の松」と金閣寺の「陸舟の松」、宝泉院の「五葉の松」。機会があれば足をお運びください。

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滋賀・近江の町を通して、商いの源流を知る [歴史遺産]

小雨の降る中、滋賀県の湖東になる東近江市と近江八幡市を訪れた。最近、滋賀に縁があり、行く機会が増えている。
滋賀は、京都、奈良の伝統の美しさ、深さとは少し違う美しさや素朴さが育まれているような気がする。それが町や村、そして風習、慣習、商い、人、自然などを通し身近に感じる土地柄のように思える。

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その中でも「商い」は特筆するところがある。周知のとおり、滋賀・近江は有数な商人を輩出した地である。そして、近江商人が築いた、日本を代表する企業が多いことでも有名である。
近江商人は、地元を活動の場とするのではなく、「行商」から始まり、他府県に商いの活動拠点を形成していった。その活動の拠点となったのが、当時の江戸・日本橋周辺、上方・本町周辺、京都などが近江商人の活動の拠点として広がったようである。その近江商人の根底に流れている商いの基本理念が「三方よし」。この理念は、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」というシンボル的標語として用いられている。
大手総合商社の伊藤忠商事は、近江商人であった創業者である伊藤忠兵衛がその礎を築いた。昨年(2020年4月1日)から経営理念を「豊かさを担う責任」(1992年に制定)から近江商人の根底に流れる原点「三方よし」に改めた。

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三方よしは、売り手よし、買い手よしは、双方とも満足する取引をして"よし"とし、そして、もう一つの「世間よし」は、利益は世間のため、広く公共のために活用されるものだとしている。この理念が近江商人の根底に流れているから、地縁も血縁もない遠く離れたところで得意先を開拓していけたわけである。

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日本の歴史、伝統文化の土台になり文化を形成していくうえで欠かせない大きな要素一つになったのが「商人」である。それを紐解くのに外せないのが「近江商人」。今回は、町を通して商売の源流をほんの少し知ることができた。

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貴重な代物「浪華の魁」。当時の店風景がリアルに伝わる [歴史遺産]

「浪華の魁(さきがけ)」、と言われてもピンとこない。
現物を見せられてもよう分からない代物だ。
タテ8㎝、ヨコ15㎝、そして厚みが3㎝ほどの冊子である。
表紙は色厚紙がめくれボロボロ状態だが、中身はきれいに保存されている。
奥付に、発行日が明治15年1月19日とあった。
挿絵付の店頭風景が充実した大阪の業種別商人名鑑である。

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この時代は、まだ内閣制度の前の太政官制の時代で議会政治が始まろうというとき。大坂(阪)では東区を中心とした商いの町「船場」が活発に賑わっていたころである。
そのとき繁盛していた商店の名簿である。これに掲載されている商店は、当時、数多くある商店の中のパイオニア的存在として一斉を風靡していたようである。

貴重な物を見ることができた。驚いたことは、当時から多種多様な商店の数が実に多いことにびっくり。その中でも、武田薬品工業、小野薬品、コニシボンドなどの薬品問屋さん、そして飲食分野では花外楼、駿河屋、鶴屋八幡、渋谷利兵衛商店などが挿絵で掲載されている。
この絵を見ると当時の商売の雰囲気がリアルに伝わってくる。写真にあるいくつかの商店は、いまも健在で一部上場企業として、また老舗店として現在でも隆盛を極める企業として存在している。

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