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「白楽天山」の見送りは、手織錦の「万寿山之図」 【わたしの祇園祭Ⅰ-<白楽天山>】 [文化遺産]

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祇園祭のハイライトといえば、やはり山鉾巡行だ。山鉾は、前掛け、後掛け、胴掛けの懸装品(けそうひん)や錺金具(かざりかなぐ)をまとい、コンチキチンのお囃子を響かせながら、音頭取りと曳き手が一体となって都大路を練り歩く姿はいつ見ても圧巻。
華やかな懸装品の中には重要文化財などもあり話題を集めている。伊藤若冲、円山応挙、尾形光琳や江戸狩野派の高名な画家の原画を織り上げた懸装品などを見送り(山鉾の後ろに飾るに懸装幕)に飾っている。

それらに魅せられ、一部の山鉾保存会を訪ねた。その第一弾が「白楽天山」。前掛けはトロイの木馬で有名な「イーリアス」。16世紀にベルギーで製造されたゴブラン織りのもの。なんといっても見応えのあるのが、見送りが手織錦の「万寿山之図」。1953年に京都出身の染色家の山鹿清華氏によって製作されたものである。


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           見送りが手織錦の「万寿山之図」


山に乗るのは、中国・唐の詩人「白楽天」と「道林禅師」が禅問答する姿を再現した像。
白楽天が、老松の上に住む道林禅師を訪ねる場面を表している。白楽天は、白地の衣装に唐冠をかぶり、笏(しゃく)を両手に持ち、道林禅師の答えを承る姿勢で立つ。
また道林禅師は、紫衣と藍色の帽子を着け、手には数珠と払子(ほっす)を持ち、白楽天から仏法の大意を問われた道林禅師が「悪いことをせず良いことをすること」というと、白楽天は「そんなことは子供でも知っている」と答えた。道林禅師は「その通りである。しかし八十歳の翁でも行い難いことではないか」と説かれ、白楽天は感服する。
白楽天の求道心にあやかり学問成就の御利益があるとされる山となっている。(白楽天山保存会のHPの一部を参照)


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            白楽天と道林禅師


両師の問答から生まれたこの「白楽天山」の取材中に、市内の小学生が課外学習として保存会を訪ねてきた。人間形成や学問成就の山ならではの光景に、些細なことだけど祇園祭の意義を感じた。

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          子供たちが興味深く耳を傾けていた

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            白楽天山の骨組み

リポート&写真/ 渡邉雄二

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尾道・文化紀行 https://aslight0911.com/hiroshima_onomichi/

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鉄舟の「ふじのやま」が教えたもの。 [おやじ感想文シリーズ] [文化遺産]

懐かしい雑誌を手にした。ご存じだろうか、「PHP」。
1947年に創刊された本である。数十年前は多くのサラリーマンや経営者の愛読書として人気を博していた、B6版の雑誌である。その雑誌の発行元であるPHP研究所は、“人類のよりよき未来のために”という願いのもと、昭和21年、松下幸之助氏の深い宗教心によって創設された機関である。
PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味で、研究所の機関誌として月刊「PHP」が発刊され、74年になる。いまの時代、多く人間啓発書やビジネス書が氾濫しているので、その陰は薄くなっているが、超ロングセラー雑誌の一つである。

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そのPHPを昨日、勤務先の学園長から、この雑誌を知っていますか、と見せていただいた。2009年発行のものだった。少し懐かしさもあってペラペラと頁を捲くると、改めて目に留まる内容のものがあった。
それは「鉄舟の掛軸」というページ。エッセイスト・山川静夫さん (元NHKアナウンサー/エッセイスト) が " 父のこと 母のこと " の副題で書かれたもの。
山川さんの実家は静岡の神社。お父さんが骨董好きでいろんな掛軸を保存されていた。その中に、山岡鉄舟の「ふじのやま」という掛軸があった。その墨画に賛が添えられていた。
「はれてよし、くもりてよし、ふじのやま、もとのすがたは、かはらざりけり」と。

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ある時、山川少年がお父さんにたずねた。
「あの鉄舟の軸はホンモノなの?」
お父さんは苦笑いしながら「ニセモノかもしれんな。でもそんなことはどうでもいい。わしはすきだよ、はれてよし、くもりてよし、だろう」。真贋はつきとめられなくても、自分が気に入っていればそれでいいではないか、ということであった。

最後に、山川さんはこう結んでいる。
どうも日本人の価値観や美意識は他人まかせが多い。自分自身の評価はどこへいってしまったのか。問題は "自分の尺度" だ。審美眼を高めていく必要がある。それを教えてくれたのが、鉄舟の「ふじのやま」と父のことばだった、と。

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追伸
山岡鉄舟が書いた「ふじやま」の掛け軸の賛について少し書き足すと、

晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり

幕臣、山岡鉄舟が宮中に仕えていた頃に詠んだ歌である。無私無欲の清廉な生き方を貫き通した鉄舟も、徳川家に仕える身でありながら明治天皇の臣下となったということで、陰口を叩かれることもあったという。自らすすんでの宮仕えではないにせよ、真摯に職務を全うしていたところへのいわれのない誹謗中傷である。さすがの鉄舟も言うに言われぬ胸の内があったにちがいない。禅の心得を反芻し、泰然自若の境地へと達した鉄舟の生き様に学ぶものは多い。

 色不異空。空不異色
 色即是空。空即是色。
 色は空に異ならず。また、空も色に異ならず。
 目に見えるあらゆる現象は実態がない。実態はないけれども目に映る。
 
なんのこっちゃわからん!
そう、すべて目に見えるものは、なんのこっちゃわからんのだ。
はらはらと舞う落ち葉を見て美しいと思う人もいれば、道が汚れて困ると思う人もいる。
見えるものは同じでも、感じる心は人それぞれ。
もっと言えば、自分自身であっても、状況や心の状態によって日々の受け止め方は微妙に違ってくる。
 
自分を含め、すべての現象は関係の仕方によって変化し続ける。そんな移ろいやすいものに気を取られていても仕方がない。どんな状況であろうとも、我は我の道をゆく。どしりと富士の山のように坐していたいものだ。

山岡鉄舟が「般若心経」の神髄を富士山に喩えてわかりやすく書いた内容のものである。

リポート & 写真 / 渡邉雄二 写真トップ / 鉄舟の富士の山画像より転載

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大徳寺方丈の「探幽」と建仁寺方丈の「等伯」の襖絵に注目 [文化遺産]

大徳寺本坊は、禅寺系の寺院と同じように南から勅使門、三門、仏殿、法堂が一直線に並んでいる(ちなみに南禅寺は西から並ぶ)。それらの奥に書院や方丈がある。
方丈建築は通常、南側に3室、北側に3室の計6室から構成されるのが一般的であるが、大徳寺は南側に4室、北側に4室の計8室という珍しい造りになっている。

その方丈の襖絵は江戸時代の初期に活躍した狩野探幽が描いたものである。84面に紙本墨画の水墨画、竹林禽鳥図、禅会図など9種もの墨画が残されている(現在は、1枚が焼失し83枚) 。それが一部公開されている。
とくに山水図で見られる余白は狩野探幽の持ち味とされている"余白の美"を追求し、江戸絵画に大きな影響を与えたとされている。安土桃山時代から狩野派は織田信長、豊臣秀吉や公家貴族などの信頼を受け大いにその世界では権力を振るったといわれている。

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大徳寺方丈襖絵 / 狩野探幽 筆

一方、同じ臨済宗の寺院として有名な建仁寺の方丈には桃山時代に狩野派と対抗していた長谷川派の始祖、長谷川等伯の襖絵がある。等伯は、狩野探幽が活躍した江戸時代の前の桃山時代に、探幽の祖父にあたる狩野永徳と絵師としてしのぎを削っていた。
その長谷川等伯の方丈襖絵が枯山水庭園を前に広がっている。等伯の独特の中国的詩情をかもし出している。

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建仁寺方丈襖絵 / 長谷川等伯 筆

両寺院を訪れる機会があれば、ぜひ方丈の襖絵に注目して鑑賞するのも楽しい。狩野派、長谷川派の違いや特徴が感じられるはずである。

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形を変え次の世代に。そのためには作家の力が必要 [文化遺産]

煎茶稽古には欠かせない教科書として掛軸がある。
掛軸には画や文字(賛)が描かれている。画なら水墨画、南画、日本画など、文字では毛筆字など。それらを包み衣装として形成され作品に仕立てるのが表装(表具・軸装)である。

軸装作家として活躍されている辻めぐみさんの作業場である神戸 KllTOに伺った。生徒さんの掛軸づくりを見せていただくためである。
生徒さんは、祖母が大切に保存されていた男物の紋付の背柄を利用し、掛軸として残したい、という思い一念で辻さんの工房に通い始めた。
初めての表装に四苦八苦されながらも中廻(ちゅうまわし)と柱が出来上がった。表装というのは、本紙(画・文字)が生かされてこその表装である。中廻(周り)の生地、色柄と本紙がいかに合うかが最大のポイント。熟達した能力が必要とされる。つまり、本紙の作品を理解し、それに対し、柱、中廻、一文字等(周り)の色柄を決められる技量が求められる。

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大切にしたいモノが、世代を越えモノの形は変われど次の世代に伝わり残されていく。その方法として、「表装」の役割は大きいが、残念ながら職人が少なくなっているのは時代の流れ。そんな中で、辻さんのような、新しい時代の斬新なモノづくりをする作家の力が必要になっているのは間違いない。

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辻めぐみさんの作品

※2018年6月に「心と体のなごみブログ」に掲載された記事をリライトし転載

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目を惹いた、絢爛な「鼻煙壷」。大阪市立東洋陶磁美術館 [文化遺産]

大阪市立東洋陶磁美術館の片隅に目を惹くコーナーがあった。それは豪華絢爛で可愛いらしい「鼻煙壷」コーナー。日本では馴染のないもので、はじめはなんだろう?と思ったほどで、ただ小さな美しい容器に見えた。

解説文を読むと、粉状の嗅ぎタバコを入れる小さな容器。アメリカ大陸からヨーロッパへ、そして中国に伝わり清朝の王宮ではやり、中国独特の華やかな美術工芸品として人気を博したようだ。
その材質は陶器、ガラス、金属、貴石、動植物などから造られ、それに中国独特の美しい工芸細工が施されている。容器はヨーロッパの箱形容器から中国独特の密閉式容器に変容発展し生み出されたのが、これらの鼻煙壺。
ちなみに嗅ぎタバコは粉末状のタバコを鼻腔に吸い込んだりこすりつけたりして、香りと刺激を楽しむものとして一般にも広がったようである。

同美術館の2階のラウンジ1のスペースの先の一隅に「沖正一郎コレクション」として展示されている。沖正一郎氏は4年前に亡くなられているが、初代ファミリーマートの社長を務められた実業家。同氏から1200点の作品が大阪市に寄贈されものである。

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「能面」は、秘められた精神性の高い表現技法の一つ。 [文化遺産]

能楽は、日本最古の芸能として、幽玄美を現代に伝える貴重な芸能文化である。その能楽になくてはならないものが「能面」である。秘められた精神性の表現技法として伝承されている。
その美しさの中に「悲哀と微笑」、「悲哀と怒り」などいろんな表情をもち、日本人の精神的水準、美意識の高さを感じさせる貴重な道具として使われている。
その種類として主に翁系 女系 男系 尉(じょう)系 怨霊系 心霊系などがあげられる。例えば、女系では、子供や若い女性をはじめ、母、老婆、そして哀しみと怒りをもつ般若面などがある。また男系では、老人の面を「尉(じょう)」と呼び、そして、顔をしかめ相手を威嚇する恐ろしい形相の面を顰(しかめ)という。

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いろんな表情をもつ能面をつけ、その役を演じる。同じ面でも、哀しい表情、微笑ましい表情をつくるのも能楽師の微妙な動作で変わってくる。

日本の伝統芸能「能楽」の奥深さの中に神秘性、神格性を感じる。「能面」は、その役割を果たす大きな力になっているのは間違いない。その他にも、舞や謡(うたい)、そして装束や囃子などへの興味も膨らんでいく。

https://youtu.be/pqBlZCtkytE
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「高麗青磁」を加え東洋の時代年表軸を見ると。 [文化遺産]

中国の陶磁器「景徳鎮」に魅せられて以来、焼成の磁器に関心をもつようになってきた。
たまたまいま、大阪市立東洋陶磁美術館で幻のやきものとして「高麗青磁」展が開催されているので導かれるように観に行ってきた。

いままで興味関心が薄かった陶器類であるが、一期一会のご縁をいただくと糸をたぐるかのように引き込まれていく。
一つのことで中国、日本の時代年表軸を照らし合わせると、その国の歴史、文化の流れ変遷が見えてくるからおもしろい。

その時代年表軸に新たに「高麗青磁」を加えていくと東洋の歴史文化や風土の違いを知るキッカケになった。

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人の心を魅了する「色気」。 [文化遺産]

「色気」。世間では俗っぽい言葉であるが、仏像の中でも、とくに如来像や菩薩像、天部像の一部には、その色気を感じさせるものがいくつかある。
それらの表情には絶世の優美さが感じられる。穏やかな、慈悲深い表情は人の心を魅了する。私の中では、それも含め「色気」と称している。

顔の表情と同様に、仏像で目に留まるのが肩から背にかけて流れるライン。
最高の彫刻技術で造られ、そして歴史を跨いできた仏像には、その「色気」が色濃くでているような気がする。

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上から、十一面観音立像・阿修羅像・弥勒菩薩像
写真は、YAHOO仏像画像から転載
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ミシンのレジェンドが勢ぞろい。 [文化遺産]

職場にはこんな年代物のミシンがたくさんある。年代物といってもバリバリの現役である。

いまの時代、家にミシンがあるというところが少なくなっている。それだけミシンの必要性を感じてないのだろう。繕いしたり、服を作ることがないということになる。

私が子供のころに全盛だった形のものがいまも役にたっている。いや、これでないと機能しないという代物ばかりだ。
工業用として、動力はもちろん足こぎミシンが並んでいる。

ミシンとしては有名である、ブラザー、シンガーなどに加え、トヨタ、三菱、シルバーなどミシンのレジェンドたちが勢ぞろいしている。
こんな様式や形を眺めていると愛おしくなる。

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建仁寺方丈障壁画が、7年ぶりに襖絵として復帰。 [文化遺産]

「建仁寺方丈障壁画」は、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した海北友松が描いた作品というのはよく知られている。「竹林七賢図」「琴棋書画図」「雲龍図」「山水図」「花鳥図」から構成されている。
昭和初期の大型台風で方丈は倒壊したが、オリジナルの襖絵は外されていたため難を逃れた。それ以後、貴重な文化財を消失させてはならないという理由で、襖から掛軸に形を変えた上で、現在は京都国立博物館に保管されている。(現在、京都国立博物館で山水図の特別展覧会開催中)

現在、建仁寺にある「方丈障壁画」は、京都文化協会とキヤノン株式会社が共同で推進する「綴プロジェクト」によって全50面の高精細複製品を制作し、建仁寺に寄贈されたもの。2014年が、建仁寺の開祖である栄西禅師の没後800年を迎えることから、約70年ぶりに方丈へ元の襖の姿で戻して、一般公開されている。
※記事内容は建仁寺HPを参照

前回紹介した「双龍図」同様、禅宗の大本山 建仁寺ならではの荘厳さを肌で感じた。

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