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一枝の柳、旅立ちへの餞(鼻向け) [中国古典]

4月は「旅立ち」のシーズン。
親元から巣立っていく子供、苦楽をともにした友人との別れ、
恋人との別れ、そして転勤。
この季節は、いろんな別れがあり旅立ちがある。

中国の故事に、旅立ちに際しよく使われるものに「柳」がある。
中国の古典によく出てくる柳といえば、
旅立ちの場面で近親者が別れの餞(はなむ)けに “達者で暮らせよ” と
柳を輪にして手渡す風習があったようだ。

ご存知のように、むかし服などを収納するのに
柳で編んだ行李(こうり)が使われた。
柳には殺菌効果があることから使われていたものである。
健康を気遣うことに加え、
柳(りゅう)と留(りゅう)の音通によって引き留める意を表す。
また、枝を環にするところから、帰省の意を表したとされる。

空海が唐から持ち帰った行李(こうり)の中に
そんな話がいっぱい詰まっていたのかも知れない。


東寺の柳.jpg


リポート&写真/ 渡邉雄二

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「折楊柳」にふれて  [中国古典]

柳1.jpg


春は、昔から新しい出会いに喜び、悲しい別れに沈む季節と言われる。
年を重ねると、そんなことで一喜一憂することが少なくなっている。というより、現実的な世界に馴染んでしまっているのかもしれない。一方、遠く離れた故郷を思う気持ちは一層膨らんでくるのは不思議なものである。

そんなときに中国古典の漢詩「折楊柳」などに触れると、故郷を思う気持ちが増幅される。とくに李白の有名な詩「春夜洛城聞笛」は沁みるものがある。

誰家玉笛暗飛聲
散入春風滿洛城
此夜曲中聞折柳
此夜曲中聞折柳
何人不起故園情

いったい誰だろう、暗闇の中を笛の音が響いてくる。
笛の音は春風の中に乱れ入り、洛陽の町中に広がる。
この夜、曲の中に「折柳」の調べを聴いた。
これを聴いて故郷を偲ばない者があろうか。

といった訳になる。
当時、李白が30代半ば、洛陽に半年ほど滞在した時の作とされる。
夜、洛陽の宿屋に泊まった李白が、部屋の天井をながめながら、俺の人生これからどうなるのか、と考えていたとき笛の音が聴こえてきた。
そのときにこの詩を書いたと言われている。
むかし中国では旅立つ人に柳の枝を折って送る習慣があったようだ。別れの悲しみを歌った「折楊柳」は、いつ日かまた元気で戻ってくるように、という願いを込めた詩である。その歌が、笛で奏でられていたので、故郷を遠く離れて、洛陽の地にいる李白も、
思わず涙ぐんだという。

そんな情感に浸ることは、いまの通常の暮らしの中であるだろうか。有り難いことに、たまに何かのキッカケで、中国の古典にふれイマジネーションの世界を楽しんでいる。


折楊柳1.jpg


リポート&写真/ 渡邉雄二 カラー/ フリー画像より転載

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王羲之が書聖といわれた功績 【王羲之伝Ⅰ】 [中国古典]

王義之画像1.jpg


「王羲之」に興味をもつキッカケは、西宮の北山緑化植物園に行ったときに、北山墨華亭の回廊に王羲之が書いた巻物のレプリカが展示されており、それを見たことで好奇心のトビラが全開した。
名前は知っていたものの、どんな事をした人物なのかは全く不見識であった。ただ、墨華亭回廊に飾ってあった巻物にはびっしりと漢字が書き詰められていた。不思議な書物というか、見た目の凄さにトビラの奥へと引き込まれていった。


北山墨華亭.jpg

王義之8.jpg


まずは王羲之という人物について調べて見ると、中国山東省の琅邪(ろうや)という所で生まれ、会稽(かいけい/現・浙江省紹興市)に住んでいたという記録があった。時代は西晋時代の303年から東晋の361年(諸説あり)までの58年間を生きた人物ということのようだ。いまから1600年以上前の話である。
では、1600年経ったいまの時代においても王羲之の功績が語ら継がれているのは、漢字の「字姿」、つまり書体を作った人だからなのだ。東アジアの漢字文化圏で多大な影響を与え、漢字を使う我々も大なり小なり王羲之の影響は受けていると言える。後世に「書聖」と崇められ、歴代の皇帝に愛好され「王羲之信仰」といものが形成されたという。

書道(書)をされている方々は王羲之といえば、理解されるのだろうが、門外漢の私にとっては難解であるのは間違いない。当時、漢代以来の隷書体(認印などでよく使われている)が主流であったが、王羲之が貴族達に好まれつつあった楷書、行書、草書を用いて書を記したことにより、これらの書体が人々に認知されるきっかけとなった。
王羲之は優れた書をかくためにあらゆる書体表現に挑み、過去の堅苦しい伝統的な書体にとらわれず革新的な独自の書風を完成させた。当時、文雅な遊びが流行るなかで書の深遠な作用を意識しながら精妙な字姿を追求した。
さらに、歴代皇帝が王羲之を「書聖」と崇めた理由には、後世に名を遺した「精妙な字姿」を完成させたことに加え、王羲之の文章の簡潔さと、また片言隻句に至るまで、当時の政治や文化、風習はもとより王羲之の微妙な心の動までも伝えている。そういう豊かな思想的なことを内在させる表現力に精倒し、皇帝のお気に入りになった。

つまり、字姿と簡潔で卓越された文章表現力が王羲之の後世に名を遺す最大の要因になった。その代表的な作品が「蘭亭序」である。究極の行書といわれている最高傑作で、当時の誰もが認めたものである。残念ながら王羲之が書いたすべての肉筆の書は、当時の太宗皇帝が眠る昭陵(太宗が眠る陵墓)に埋葬されたといわれており、王羲之の肉筆は一点も残されてない。
北京・故宮博物院所蔵のものや、書籍で見る王羲之の書籍にある書作品は、拓本や摸本などで写されたものである。太宗皇帝が、王羲之の名跡を能書(文字を書く熟達者)に臨書させ、また専門職人に摸本を作らせたといわれている。それらをさらに模写され多くのものが世に出回り広がっているものばかりである。


王義之書籍2.jpg
           書聖 王義之の世界<島谷弘之著>にある「蘭亭序」

次回は、王羲之自身も最高傑作として認めた「蘭亭序」について紹介する。

リポート&写真/ 渡邉雄二 参考文献/ 王羲之ウィキペディア・書聖王羲之の世界(島谷弘幸著) 王羲之の写真/ 王羲之画像より転載

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中国陶磁器の伝統技法「刻瓷」の美しさ [中国古典]

数年前に合間の時間を利用して美術館の雑用係をしていたことがある。
その際に、中国近代の工芸品に接する機会があり、陶磁器の「刻瓷(コクジ)」という工芸品に触れることがあった。

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刻瓷とは陶磁器に彫刻された、中国の独特な伝統工芸品。それは焼成された滑らかで割れやすい器面に小さな木製のハンマーで高炭素鋼刃物を均等に叩き、磁器の表面に平刻や点刻、線刻でさまざまなサイズ、密度、深さのドットで絵などを描く工芸技法である。刻まれた器面には絵画的効果があるだけではなく彫刻的特徴が強く感じられる。
専門家によると金槌の叩き具合によって割れることもしばしばあるという。
写真にある彫られた図柄をみると、門外漢でも美しいと思える工芸の逸品である。

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蘇軾が、先人の「王維」を評し、"詩中に画あり 画中に詩あり"と [中国古典]

蘇軾が、先人の「王維」を評し、"詩中に画あり 画中に詩あり"と言った、
と伝えられている。
両人の生きた時代は違えども、共に政治家であり画人、
そして後世に名を馳せた詩人である。
だからあい通じる生き方に共感した蘇軾は、王維に強く惹かれたようである。
王維の詩の中で有名な「竹里館」は、まさに詩中に画ありの詩である。

蘇軾1.jpg

"竹"や"月"を題材にした俳諧は多い。煎茶稽古にもよく話題に登場する。
詩の中でも「竹里館(ちくりかん)」は、日本の国語の教科書に紹介されているくらい
有名な五言絶句の詩である。

その「竹里館」を紐解いていくと自然詩の情感や情景が見えてくる。
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照

ただ一人で奥深い竹やぶの中に坐り、
琴を弾いたり、詩を吟じたりしている。
この竹林の中の趣は、世間の人は誰も知らないけれども、
天上の明月だけは、私を照らしてくれる。

蘇軾2.jpg

という意味になる。
王維の自然詩は “詩中に画あり”といわれるほどの作風が多い。
一般的には、独り竹林で琴を奏でるイメージは暗さが先行する。
しかしながら、この自然詩にはその暗さや寂しさは微塵も感じられない。
自然に同化し俗の世界から超越したイメージが伝わってくる。
自分の世界観を表現し、後世に残る詩となっている。

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