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17番のヒーロー。 [おやじ感想文シリーズⅤ] [おやじ感想文]

第93回選抜高校野球大会が3月19日から始まる。
昨年は、春夏ともに新型コロナウイルスの感染拡大で中止となった。
そして今年は、感染拡大防止策を講じながら、アルプス席は学校関係者のみ、
ブラスバンドの演奏は中止。一般席は入場時に検温、マスク着用、
ソーシャルディスタンスをとりながら観戦になる。

今年も福井の敦賀気比高校が出場する。6年前の春の優勝校である。
この年の敦賀気比の試合は、記憶に焼き付いて忘れられない試合を見せてくれた。

ここから当時の記事を少し編集し転載する。
大阪桐蔭には、この春は優勝してほしいと願っていたが叶わなかった。
その大阪桐蔭をコッパ微塵に切り捨てたのが、この春の甲子園を沸かせた福井の敦賀気比。
その立役者が、言うまでもないがピッチャーの平沼翔太選手。
そしてもう一人、ヒーローがいた。「17番のヒーロー」、松本哲幣選手である。
17番の背番号からするとそれは外野の控え選手。
その松本選手が高校野球界の新しい記録を作り、大きく優勝に貢献した。
準決勝戦の大阪桐蔭戦で、2打席連続の満塁ホームラン弾を放った。
これが高校野球100年の歴史で、史上初となる大記録で後世に残るものとなった。
そして翌日の東海第四との決勝戦でも決勝打となるツーランオームランを放った。
そして見事、敦賀気比に優勝をもたらした。

松本選手.jpg

毎日練習が終わって、宿舎で素振り1000回~1200回するという。
甲子園に臨む前の素振りで、いままでに感じたことのない
" 打てるポイント " を見つけた、とコメントしていた。
17番の選手の絶え間のない努力が大きな大きな晴舞台で実を結んだ。

とくにスポーツの世界では努力を重ね大記録を達成する直前には、
なにかが降りてくるという。そんな神がかりとしか思えないことが
今回、松本選手にもあったのだろう。

今年、こんな状況下で高校野球も幕を開けようとしている。
その中に敦賀気比が顔をそろえた。再び、コロナを吹っ飛ばしてくれる、
新たなヒーローが現れるのを期待してやまない。

春の高校野球.jpg

レポート/ 渡邉雄二  写真 / スポニチアネックス & 日本高等学校野球連盟 より転載


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「神棚」効果で会社が儲かる、という話。 【おやじ感想文シリーズⅣ】 [おやじ感想文]

数年前、「なぜ儲かる会社には神棚があるのか」
(あさ出版/著者:窪寺伸浩)という本がちょっと話題になった。
著者の窪寺伸浩氏は、東京・中野で材木屋を経営している社長さん。
それ以外に「神棚マイスター」というユニークな肩書き(?) をもっている。
神棚に関しては知る人ぞ知る有名人。
その窪寺氏が「なぜ儲かる会社には神棚があるのか」という
ちょっとユニークなビジネス分野の本を出版した。

神棚1.jpg

窪寺氏によると、儲かる会社には神棚があり、
逆に倒産した会社の85%は会社に神棚が祀ってなかったというデータがあるそうだ。
考えると、会社の将来を神棚の有る無しで判断するなんて
非現実的で馬鹿げた話だ、と思うが・・

しかし、日本独特の慣習なのかもしれないが、
その会社に神棚が祀ってあるということは、
地域に根ざしているという見方ができるという。
神棚はだいたい天照大神をお祀りしているが、
併せて地域の神社のお札も祀っていることが多い。

神棚2.jpg

ということは、地域との結びつきが強いということ。
地域の中にとけ込んで仕事をさせてもらっているという考え方につながっている。
その社風が社員にもよき慣習として根付き、
地域貢献につながっていくということになる。

もう一つ神棚を祀ることで経営に好影響を与えているのが、銀行員の目にある、という。
神棚があるから融資がスムーズということではないだろうが、
神棚がいつも清掃されているとか、お榊がいつも青々としていることが重要らしい。
この会社の代表者が神棚をきれいにすることで、
事業の発展を祈念しているということにつながっているようだ。

神頼みではなく、神棚を大切にする心(社風)が
会社の発展をより促進させるということになる。
非科学的な話ではなく理にかなった話として「神棚」を取り上げている本である。




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とどけ、福島へ 東北へ!世界で反響「起きあがりこぼし」【おやじ感想文シリーズⅢ】 [おやじ感想文]

10年前の今日、2011年3月11日に発生した、マグニチュード9.0の巨大地震。
国内観測史上最大の津波が襲来、東日本の太平洋沿岸地域に甚大な被害をもたらした。
あれから10年、捨てるモノ、残すモノの葛藤の中でいまも復興は進んでいる。

その東日本大震災から2年後に、フランスで立ち上がった
「起き上がりこぼしプロジェクト」が震災復興に対する応援と、
原発事故による福島問題、そして福島のみなさんに
世界からの応援の声を届けようとファッションデザイナーの
高田賢三さん(昨年10月死去)が呼びかけて始まった。
この起きあがりこぼしの絵付けの1番目が高田賢三さん、
そして国内外のアーティストが絵付けに加わった。

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このプロジェクトは、ヨーロッパ各地の日本イベントとして開催され、
来場者の目を引いたのが「起き上がりこぼし」。
起き上がりこぼしとは福島県会津地方の郷土玩具で縁起物として有名である。

そのプロジェクトの一環イベントが京都でも開催された。
京都伝統工芸館では一昨年の春に約1ヶ月間行われ、
その後、当時、私が勤務していた京都美術工芸大学の
1階ギャラリーでも一ヵ月間展示された。
それに併せ「カタツムリ作戦」が展開された。
これは、京都美術工芸大学の客員教授であるコシノジュンコさんの発案で、
起きあがりこぼしプロジェクト同様に、
東日本大地震で被害を受けた子どもたちへのアートメッセージとして
「カタツムリアート」(写真)を京都の小中学校の生徒や京都美術工芸大学の学生が制作。
起きあがりこぼしとコラボし、福島へ届けた。

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このコラボの展示は斬新で洗練されたアート空間を創りだしていた。
高田賢三さん、コシノジュンコさん、そして京都府知事、市長などの
起きあがりこぼしも展示されていた。
"とどけ!福島へ、東北へ" の光が輝いていた。

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この一冊から学ぶ、未来が創造できる歴史をつくるために―。 【おやじ感想文シリーズ 過去話】 [おやじ感想文]

長年生きていると、いろんな人やモノに出会う。そして興味をもつことも増える。実際に会って話を聞き、またネットや新聞、TVなどで多くの情報がインプットされる。それらの中から心が動かされたものを書き留めてきた。それを「おやじ感想文」という題目で綴ってきた。その中から切り取った情報を引っ張りだし、少し手を加えお伝えしたいと思っている。

その一弾が、高等課程の「国語の教科書」。以前、勤務していた高等課程を有する専門学校のときにブームイン。

この一冊.jpg

国語教科書の構成はこうだ。
大まかにいうと、随想、小説、評論、詩、短歌・俳句、古文、漢文で構成されている。
当然のことながら、高校生(高1)の、広い分野から国語能力を高めるために編さんされている。
読むに連れて教科書として、それぞれの分野の適切な材料が選ばれ掲載されていることに感心する。(筆者は教員ではなく職員だったので教科書に触れるのは学生時代以来)
その中の小説分野で、文学と現実というテーマの中に「沖縄の手記から」という昭和47年に「新潮」に発表された小説の一部が掲載されていた。小説家田宮虎彦さんの作品である。
タイトルで内容は想像ついた。太平洋戦争末期に沖縄本島に上陸してきたアメリカ軍と日本軍との間で激しい闘いの中、生きるか死ぬかという極限状態におかれた時の様子を描いたものだった。

主人公は海軍航空隊の医務科分隊長の軍医大尉。昭和20年、分隊長が部下を率いてたどり着いた陣地である一人の看護婦(現在の呼称は看護師)との壮絶な場面を切り出した内容だった。

兵隊や他の看護婦たちは南下し誰もいなくなった壕の中で、負傷した兵士の世話をする一人の看護婦に向かって主人公の医務科分隊長はこういった。(以下抜粋)

「私たちは命令が下り次第、南に下がらなければならない」
「あなたも私たちといっしょに南に下がってください。あなたがここに残っても、あの負傷者たちはもう一人も生き残ることはできないのだ」
(中略)
娘(看護婦)は「私はここに残ります」
「あなたはここに残れば死ぬよりほかないんだ。しかし、あなたはあの兵隊たちとは違うんだよ」
分隊長はいくら説得しても娘はかたくなに「ここに残ります」と繰り返す。
「どうして、そんなにあなたは死にたいのだ、あなたにはお父さんやお母さんがいるだろう、生きてさえいれば、また会える時があるはずじゃないか」
(中略)
「私の父も母も、もう生きていません。みんな死んでしまったのです、私、一人、ここで生き残ったって・・・」
(中略)
分隊長は娘に、もう一度、いっしょに南へ下がってほしいと言った。分隊長は説得する気持ちではなく、むしろ願いの言葉だった。
「南には、まだまだたくさんの兵隊がいます、(中略) あなたはその人たちを助けられる、いまのように私を手伝ってください」
「私にお手伝いできますか」
「南下する命令が下るのは今夜かもしれません、いつでも出発できるようにしていてください」

その夜に命令が下り、分隊長は娘がいる壕へいき娘を探した。
娘は分隊長に向かって「私は、やはり、ここに残ります」
(中略)
分隊長は、10日後に娘がいた壕へいき娘の名前を呼び続けた。娘と思われる白骨化した死体があった。

沖縄開戦.jpg沖縄開戦2.jpg

読み進むに連れて、涙が溢れる。それも人を待っているカフェの片隅なので、嗚咽は抑えたものの涙が止まらない。こんなことも初めてだった。

本文から忠実に抜粋した部分であるが、中略などで少し情感が分かりにくくなった。
しかしながら、この一冊の教科書で、戦争の悲惨さや戦争時の人間の姿や思考などなど、当時の現実がつぶさに伝わってきた。戦争は、人間もゴミ同然の扱いをする惨い事象だと実感させられる。
時代が進み変わっていく世の中で、日本国内をとってみても歴史は戦争の歴史が大半を占める。日本でいうなら、まだ戦後76年。
現代は、核兵器という地球のすべてを奪い取る悲惨な武器を持つ国などが、それを国家間の権力の抑止力として使っている。人間を含む命あるものをゴミのように扱う時代が来ないことを、ただただ祈るばかりである。

下段の写真は、太平洋戦争 沖縄開戦の画像より転載

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