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紅葉の「落ち葉焚き」となれば、白楽天が浮かぶ 【一茶庵稽古追想】 [ライブインテリジェンス<易社文化塾>]

少し早い話であるが、12月13日は「事始め」。正月を迎える準備を始めるために、むかしからこの日が定められている。
以前、その13日に稽古した折、今年の締めくくりと、新しい年に向けて一意専心の想いで稽古するようにという気が込められていた。

その日の稽古のテーマは「白楽天」だった。この名を聞けば、煎茶を稽古している者は、中国 唐代の代表的詩人を思い浮かべるはず。だが、俗世界にどっぷりとつかっていたせいか、中華料理店名が頭をよぎった。これでは来年もまた思いやられる・・・(笑い)

白楽天4.jpg

白楽天は、あざなである。実名は「白居易(はくきょい)」。中国の李白、杜甫とならび三大詩人として名を馳せ、我々の中高時代の国語の教科書にも登場した人物である。
しかし、恥ずかしながら当時学んだ事は残骸の欠片もない。それを半世紀経ったいま学ぶことは愉悦至極である。

その日のお軸は、前回の稽古と同じものが掛かっていた。前回のものと切り口が違った。見ての通り「落ち葉焚き」の画である。賛もない。モミジの落ち葉が燃えている、ただただシンプルな画である。
さて、この吹寄せの画を観て "どこで焚き火を?" "だれが?" という宗匠から問われるはずなので、われわれは想像を巡らした。"野原" "お寺の庭" などと答えを用意していたが、場所や誰が、という特定は必要ない、ということに。
では、どんな答えを宗匠は求めたのか。それは、「ここ(稽古場)」で、われわれが焚き火をしている、という設定。つまり「同時同場」という煎茶ならではの仕立てである。

白楽天1.jpg

さらに、この画の吹寄せの焚き火で湯を沸かすのもいいだろう、酒を燗するのもいいだろう。空想を広げていくと、楽しくなってくる。子ども頃の情景も浮かんでくる。
さて、ここまできても結論が見えてこない。それは古典の知識が備わっていないことにある。この画を観て「白楽天」と読み取ることができるようになるのはいつのことだろう。

では、白楽天の有名な詩を振り返ることになった。下記の詩の解説を聞くと、白楽天が故郷の友人に送った詩である。かつて故郷で友人と一緒に遊んだことを懐かしみ、また一方、白楽天は故郷に帰れないことを嘆くとともに、故郷へ帰れる友人を羨み、そして慰めている内容のものである。

 曾於太白峰前住  
 數到仙遊寺裏來  
 黑水澄時潭底出  
 白雲破處洞門開  
 林間暖酒燒紅葉  
 石上題詩掃緑苔  
 惆悵舊遊無複到  
 菊花時節羨君回  

かつて太白峰前に住み、しばしば仙遊寺を訪ねた、黒水が澄めば淵の底が見え、白雲が途切れれば洞門が開いた。
林間酒を温めるために紅葉を焼き、石上詩を題せんとして苔を削り取る、悲しいのはもう二度とこのような遊びができないことだ、というのもこの菊花の季節に君は故郷へ帰るのだから
という意味になる。

白楽天2.jpg

この詩の中にある「林間暖酒燒紅葉、石上題詩掃緑苔」という句がある。これが白楽天の有名な「対句」として知られている。つまり、紅葉の落ち葉焚きの画をみれば、「白楽天」につながっていくのである。

煎茶は前回と同じように上投法と煮茶法、そして同時同場と考え、最後に急須にお酒
を入れ燗をし喉を潤し事始めの稽古を終えた。

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