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紀元前の「蘭」物語。【一茶庵 稽古追想】 The "orchid" story of BC. [煎茶文化塾「易社」]

中国では花を君子と呼ぶことがある。昔から四君子と呼ばれる花がある。「蘭」「菊」「梅」「竹」。この4つの花を文人・詩人に例えて表現する場合もある。
蘭は「屈原(くつげん)」、菊は「陶淵明(とうえんめい)」、梅は「林和靖(りんわせい)」、竹は「蘇東坡(そとうば)」と言われている。それぞれ中国の歴史上有名な詩人である。

その中で、煎茶稽古のお題は、お軸にあるように蘭について。それは、つまり紀元前の戦国時代の楚の政治家で詩人の「屈原」の話につながる。
屈原といえば「離騒(りそう)」が代表作である。この詩は、中国の戦国時代の楚地方で謡われ「楚辞(そじ)」という様式を代表する有名な詩である。南方の「楚辞」に対して北方は「詩経(しきょう)」といわれ、共に中国の後代の漢詩の源流になったとされるものである。

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楚辞の代表的な長編詩である離騒では、屈原がありもしない事をねじ曲げられて追放され、失意のあまり投身を決意するまでの心境を夢幻的に謡った詩である。その一節に下記のくだりがある。

朝飮木蘭之墜露兮 夕餐秋菊之落英。
苟余情其信以練要兮 長頷亦何傷。

「朝に木蘭から落ちる露を飲み、夕べには香しい秋菊の花びらを食事としてとる」という訳になる。「私は、ただ主上と国の為に仕えて来たし、ただ国を守りたいがために身も心も高潔に修養を積んだのにどうして分かってくれないのか」という心情を表した意味である。

屈原は、心情を表現する場合「蘭」や「菊」等の花で描写することがよくある。とくに「蘭」は精神性の高い高貴な花として頻繁に詩に登場している。紀元前の話がいまも脈々とつながっている。
いまも蘭がお祝いなどに贈られ花としては多い。屈原のこの「離騒」からの名残であろう。

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前代未聞の煎茶会と、エジプト料理の茶事を楽しむ。 [煎茶文化塾「易社」]

私は、十数年前から文人会「一茶庵」の社中に所属している。
また古い話になるが、八年前の暑中に、大阪・北浜にある漆黒の小西邸(株式会社コニシ)で、一茶庵・易社(当時)グループ主催の「初秋の煎茶会」が行われた。
易社グループは初の煎茶会にもかかわらず、日本で初めて煎茶を始めたといわれている「売茶翁(ばいさおう)」と、売茶翁を師として尊敬していた絵師「伊藤若冲」をテーマにした煎茶会であった。

部屋には、伊藤若冲が売茶翁を画いた絵に、若冲の禅の師であった相国寺の大典顕常禅僧が書いた漢詩(経典のような)が添えられたお軸が掛かっていた。通常では見ることができない代物らしい。

当時、易社グループは、煎茶は初心者でも人生に長けた"人生暴れん坊将軍"の方たちばかり。その煎茶初心者が1席から3席までをすべて取り仕切るというのは前代未聞である。その大胆な発想を企画し支えていただいたのが一茶庵の佃一輝宗匠。宗匠がこの煎茶会の炊きつけては喜んでおられる。なんとも一茶庵らしい。

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一席のお手前は不肖ながら私が務めさせていただいた。一席から常に、小西邸の当主の小西さんが大亭主として進行。そして各席で亭主が変わり、それぞれの持ち味で、この売茶翁と伊藤若冲を、掛け軸を通して出席者に解説。
大亭主と亭主の掛け合い漫才のような解説に各席とも笑いが起こる。知らないことは知らない、といい、知っていることは喋りまくる。お点前しながらもついつい当事者が笑ってしまうほどの煎茶会になった。

煎茶会のあと、打ち上げを兼ねた茶事を行い、道修町の少彦名神社の宮司さんや、北浜の老舗の社長さんらが加わり盛り上がった。亭主は私がさせていただき進行。料理は、グループの暴れん坊将軍の一人でうなぎ博士の方が提案した「エジプト家庭料理風のうなぎ料理」を堪能。うなぎのぶつ切りをから揚げにしたものと、うなぎのかやくご飯がメーン。そこに小西邸の当主ご自慢のお酒の数々。レバノン産の高級ワイン、年代物の紹興酒に日本酒などなど。煎茶に始まりうなぎのエジプト料理、お酒のオンパレードという一風変わった茶事となった。食べて、飲んで、語った一日であった。

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※煎茶会は、文人会「一茶庵」が企画実施。

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王維の自然詩、"詩中に画あり" [煎茶文化塾「易社」]

中国古典では、"竹"や"月"を題材にした俳諧は多い。それを題材にするようになったのは、中国 唐の時代に画家であり詩人であり政治家であった“王維(おうい)”の自然詩の影響が大きいといっても過言ではない。
王維の詩の中でも「竹里館(ちくりかん)」は、その代表的なものであり、日本の国語の教科書に紹介されていたくらい有名な五言絶句の詩である。その「竹里館」を紐解いていくと自然詩の情感や情景が見えてくる。

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獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照

和訳すると、
独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林人知らず

明月来たりて相照らす

解りやすく説明すると
ただ一人で奥深い竹やぶの中に坐って、
琴を弾いたり、声をひいて詩を吟じたりしている。
この竹林の中の趣は、世間の人は誰も知らないけれども、
天上の明月だけはやって来て、私を照らしてくれる。
という意味になる。

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煎茶席で、師匠からこの詩を知っていますか、という問いに誰一人として声が上がらない。我々の当時の国語の教科書にも紹介されていたほどの有名な漢詩ですよ。と、言われても反応がない。それなら、いまからでも遅くないので、覚えましょう、と。師匠の後について何度も何度も唱和した。

王維の自然詩は “詩中に画あり” といわれる作風が多い。詩を読むだけで画が浮かんでくるといわれ、俳諧の創作手本になっている。また、 “画中に詩あり” という逆もいえる。
一般的には、独り竹林で琴を奏でるイメージは暗さが先行する。しかしながら、この自然詩にはその暗さや寂しさは微塵も感じられない。自然に同化し、俗の世界から超越したイメージが伝わってくる。
王維は自分の世界観をこの短い詩の中で表現している。それが後世に残る詩となっていまに伝え継がれている。この情感が素直に理解できるのはいつのことや、と思いながら夏の夕暮れに煎茶で喉を潤した。
写真は「王維の詩」の画像から転載

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真夏の夜に、冷水の煎茶が喉を下る。 [煎茶文化塾「易社」]

老人はのんびりとひとりで酒を傾けながら爽やかな風を肌に感じながら優遊自適に画や書を楽しむ。
といった訳になるだろうか。さらに深読みすれば、俗世から離れ、寂しさ切なさの心情があらわれているような気がする。

お軸を詠み解きながら、冷水で淹れた煎茶を楽しんだ。一煎目は二つある急須の一つに冷水を適量注ぐ 。そしてもう一つの急須に移しかえる。茶葉を計り、湯のみをふく。計った茶葉を空になっている急須に入れる。そこに移しかえた急須の冷水を入れてしばし時間をおく。茶葉が冷水を吸って葉が開く。飲みごろである。
夏に淹れる煎茶の醍醐味である。爽やかな味が喉を下る。そして二煎目も。

夏の暑い夜に、酒ではないが、煎茶で舌鼓をうちながら悠々な時が流れる。そんな稽古をさせていただいた。

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停雲思親友也。友を想う! [煎茶文化塾「易社」]

残念ながら、今週の稽古は伺えなかった。

稽古に行く前にいつもながら頭を巡らすことがある。それは、どんなお軸がかけられているのだろうか。またどんなお茶が楽しめるのだろうか、と。


今週は、稽古仲間から写真を送ってもらった。お茶は、氷水で淹れる玉露。玉露は喉を下るほどの量はない。口の中にキレのある玉露独特の味が広がる。夏の夜に、ひとりで想いにふけるのには堪らない。


その想いに合わせたかのような、このお軸。

中国 東寧の山々の景色が描かれている。山裾の川で釣り糸を垂れ釣りに興じる姿が見てとれる。

そこで、想いを起すのが、陶淵明の「停雲」の詩である。


停雲思親友也 

樽湛新醪園列初栄 

願言不従歎息弥襟


という一節がある。

雲たちこめて懐かしき友を思う 樽には新酒が満ち庭の花は咲きそめている 君と会い語ろうと思うが叶わない、ため息で胸がいっぱいだ…

という訳になる。


停雲靄靄 時雨濛濛 八表同昏 平陸成江 有酒有酒 閒飲東窓 願言懐人 舟車靡従


たちこむる雲は靄靄(あいあい) 春の雨は濛濛(もうもう) 八方すべて暗く 平地は川となって水があふれる 酒がある、酒があるではないか 東の窓にもたれてゆったりと杯を傾ける 友と旧交を温めたいと願っても (この雨は)舟も車も止まってしまっているだろう


これらの詩が今週の稽古の題目だったようだ。遠くの友がどうしているだろう、と思いを馳せるが、この雨では会いにいくのもままならない。その心情を詠んでいる。

この度の日本各地にもたらした豪雨を連想させる。

爽やかな冷たい玉露が、苦く渋い味に一変してしまいそう。


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漢詩は、想像の世界へ誘う。 [煎茶文化塾「易社」]

お軸には「苗稼盡干農田」と書かれている。

北宋時代の政治家で知識人として知られていた王陽脩(おうようしゅう)の漢詩の一節である。


昨夜の稽古は久しぶりに正座だった。順番にお点前をするわけだが、正座が苦手な小生は脂汗が額に浮かぶ。

なんで今夜は正座なんだろう、と巡らしてもわからない。老湯で淹れるお茶は味が薄い、しかもキレがない。しかし、物足らなさが情感にふれる。


この詩は、田植えを済ませ農地は稲で青々としている、と訳した。この情景は一面に広がる 田圃である。となると、われわれのいる場所も田圃の畦の広場。作業の合間の一服でお茶を飲んでいる、ということになる。


この詩の意味は穏やかな情景が浮かぶが、漢詩というのはいろんな意味に解釈ができる。

"盡(尽)"は尽くすと読むが尽きるという意味もある。意味としては真逆になる。

王陽脩は詠む側の意味に反し、政治家として皇帝に国の尽き果てた状況を切々としたためた上申書だったのである。


散々たる国情を老湯に例え煎茶の奥深さを楽しませてもらった。


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新茶のまろやかさを楽しむ。 [煎茶文化塾「易社」]

一昨夜は、大阪 東横堀川水辺再生協議会のe-よこ逍遥イベントに合わせた、一茶庵煎茶の公開稽古があった。


いまは新茶の季節とあって、この春に摘んだお茶を参加された方々と一緒に賞味させてもらった。

まずは烹茶法(ほうちゃほう)。水が入った急須を涼炉にかけて沸かし、湯気が立ちはじめたらお茶を入れる。新茶のまろやかさを味わえる淹れ方で楽しんだ。

続いて、煮茶法(しょちゃほう)で少し渋味を楽しんだ。急須に茶葉をいれ水を注ぐ。涼炉にかけて湯気が立つまで待つ。水から煮る淹れ方なので渋みと新茶の甘味が賞味できる。


新茶は立春から八十八日目に摘む。唱歌の歌詞にあるように"夏も近づく"季節、つまり立夏の2日前である。これは標準茶所「宇治」を示して八十八夜とされている。


参加された皆さん全員がお点前を体験され、宗匠のお茶談義に華が咲いた。



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煎茶体験会を行います。 [煎茶文化塾「易社」]

今月の15日、29日に「e-よこ逍遥」の"煎茶体験"会を行います。

e-よこ逍遥は、14日から1カ月間、大阪北浜船場地域の街あげてのイベントの一つです。その期間中に、一茶庵も参画させていただき、煎茶体験会を行います。

江戸時代から昭和の初期ごろ大阪商人や文人がこぞって煎茶を楽しんだと言われています。その文化の匂いを感じていただく煎茶会です。

場所は谷町のオフィス街に佇む草庵で、有形登録文化財に指定されている一茶庵です。

煎茶を楽しむために造られた部屋で、非日常空間を堪能していただけるはずです。

興味のある方は、ぜひお越しください。

服装も自由です。ただし靴下や足袋は着用してください。懐紙はご持参ください。

■5月15日、29日(共に火曜日)  午後7時〜9時

■場所は、大阪市中央区大手通1-1-1「一茶庵」

■参加費は3,500円です。

■お問い合わせは、09036587804 又は ipc@wa2.so-net.ne.jp 渡辺まで



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一枝の春 [煎茶文化塾「易社」]

仲春に咲く花、白梅。雨水の頃には紅梅が香る。梅は香りを楽しむ。

一方、桜は匂う。色映えを楽しむ花である。


昨夜の稽古では梅がテーマ。梅は中国の花、江南地域が原産地とされている。その地で詠われた詩がいまの世にも継がれている。


その詩は「一枝の春」。

                  

折花逢驛使 ひと枝折って 駅使に託す

寄與隴頭人 隴山(ロウザン)のふもとのあなたへ

江南無所有 江南に良きもの無し

聊贈一枝春 ただあるは「一枝の春」、いま贈らん。


作者は、江南地域に住む陸凱(リクガイ)という人。この詩だけで名が残っている人のようだ。北方にいる友人のもとに、何か贈り物をしたいが、何もない。そこで思いついたのが梅の花を折って、この詩とともに贈った。

それを「一枝の春」と表現した、といまに伝えられている。


そんな話を聞き、春の陽射しを心待ちにしながら煎茶を楽しませてもらった。


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費晴湖と李白の共演! [煎茶文化塾「易社」]

19日の茶会の易社席に掛けられるお軸(写真)をみると、小舟二槽がゆるりと山河に浮かんでいる。


この画は、南宗画の大家といわれる「費晴湖」が描いたものである。清代中期に活躍した画家で、江戸時代中期に日本に渡来し南宗画様式の技を伝えた、という記録が残っている。

文人画らしい自由な表現で描かれているのが見てとれる。南宗画独特の大らかさがある。


その画の賛に李白の、あの有名な「早発白帝城」の詩の一節が書かれている。その原文が下記のものである。


朝辞白帝彩雲間

千里江陵一日還

両岸猿声啼不住

軽舟已過万重山


朝早くに、美しくあざやかな雲のたなびく中、白帝城をあとにした。

千里の彼方にある江陵まで(激流の川下りで)一日で帰ってきた。

両岸で鳴く猿の声が、まだ鳴きやまないうちに軽快な小舟は、いつくもの連なった山々を、すでに通過してしまった。


という解釈になる。

李白の心情をこの詩から読み取るなら、「千里江陵一日還」である。千里を小舟で一日で下れるわけがないのに、この一節では一日で下った、と書いている。リアル感よりスピード感を表現したかったのだろう。


左遷され赴任先に行く時の心境なのか、また赴任先から帰路につく時の心境なのか。つまりいままでの雑踏の俗界を猿の甲高い泣き声に例え、それからやっと逃れ、大河に辿りついた様を表現した内容のようである。


費晴湖が描いた画と、李白の詩が見事につり合っている。それをお客様に見ていただくことになっている。


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