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中国の古代思想、60年の時空 [一茶庵宗家 稽古場講論]

一昨日の稽古で、宗匠から「一茶庵 会報」が渡された。
その中に、1月の宗家稽古場講論として" 今年は乙未(きのと ひつじ) " という読物があり、宗匠から紹介があった。題目は特になかったが、興味深いものだった。私が、差し出がましいようだが、「中国の古代思想、60年の時空」という題目をつけてここに原文のまま紹介させていただく。

お軸や箱書きに書いてある年号は「十干十二支(じゅっかんじゅうにし)」であらわされています。
中国の古代思想では、時空は木が成長して枯れるように、あるサイクルで繰り返されると考えられていました。
時空の根源は太極で、それは陰陽に分かれ、木火土金水の五つの存在要素からは、それぞれ二本の幹が生まれます。先が兄、後が弟です。木の兄の幹が「木のえ」(きのえ=甲)、木の弟の幹が「木のと」(きのと=乙)、火の兄が「火のえ」(ひのえ=丙)、火の弟が「火のと」(ひのと=丁)となります。甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十本の幹が十干(じゅっかん)です。枝が十二本あって十二支(じゅうにし)、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥と称します。
それぞれの幹から一本の枝が出ます。まず甲の幹から子の枝が出て「甲子」(きのえ ね)。たとえば、大正十三年 1924年が甲子で、甲子園球場が出来た年です。こうして十年後、十番目の幹、 (水の弟、みずのと)は十番目の枝、酉を生んで「亥酉」となって、次の年は甲の幹にもどり、甲は今度は戌の枝を生んで「甲戌、次は「乙亥」、次に枝が子にもどって「丙子」と続いていきます。こうして「甲子」にもどるのに六十年かかります。つまり、六十年が時空のひとサイクルです。六十歳を還暦というのは、生まれた暦「十干十二支」の同じところに還ったというわけです。六十年が歴史のひとサイクルで、また新たな循環が始まります。
さて、今年の幹の名は「乙」です。枝の名が「未」、きのと ひつじ です。六十年前の乙未は1955年、昭和三十年。百二十年前は1895年、明治二十八年。さらに百八十年前は1835年、天保六年。サイクルと考えますから、乙未には同じような出来事が起こるので? ということで「占い」ができるわけです。
ところで、なぜ幹を甲乙丙・・・とか、枝に子丑寅卯・・・とかいう漢字をあてたのでしょう。そこが漢字の国ならではの発想です。十干十二支も、木の生長、しぜんにそった生成のサイクルを漢字で表現しているのです。
そこで、今年の「乙」はどういう意味の字かというと、芽が出て伸びていこうとするのですが、寒くてまっすぐに伸びずに曲がっている状態の表現です。下からの生長のエネルギーが外の抵抗にあっている形です。一方、「未」はというと、木の上のほうに「−」があって、これは葉が茂りすぎている状態。茂りすぎて暗いこと。「乙未」は、新しい伸びていくエネルギーが抵抗にあっていて、旧弊が世を暗くするようにはびこっている、とされます。悪いのかというと、必ずしもそうではなく「抵抗を乗り越える努力をし、余分な葉を落とす年」という、はっきりとした作業目標がある年なのです。
こういう時空論は文人趣味煎茶に、いろいろな形で見え隠れしています。だから、ちょっと知っておきましょう。

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