SSブログ

観る側が想像を膨らますと。 [歴史的建造物]

先週末、「琳派 京を彩る」特別展覧会を京都国立博物館に観に行ってきた。 
年に数度訪ねるが、もちろん展覧会を観に行くわけだが、いつも敷地内にある明治古都館などいくつかの気になる建造物などに立ち寄る。その一つが「考える人」のロダン作の銅像。いつ観ても"なにを考えているのだろう" と想像を巡らす。
先日は、いつもよりちょっと異なる視点で観た。右肘が左脚膝に置かれ、左手が同じく左脚の上に置かれている。ちょっと複雑なポーズである。その理由がおもしろかった。博物館のHPの解説に下記のように書かれていたので紹介する。
「"考える人"は考えるというポーズをとっているだけで、本当にロダンの表現したかったのは、傾けた上体を支える右手と足の上にのせた左手という複雑(ふくざつ)な体の構成、もりあがった筋肉や異常に大きな手足などの力強さなどではないかと。そうなると作品は、背景となる意味よりも、純粋に形のもつ迫力だけで、別の次元に生きているといえます。
この作品の真正面をさがしてみてください。あるいは、もっとも見やすいアングルはどこでしょうか。なかなか決められないでしょう。そのことは、この像を見る視点がたくさんあることを意味しています。
決まった視点ではなく、鑑賞者に対してよりよい視点をさがさせる、つまり見る努力を強いる、これこそが近代彫刻の出発点でした。「考える人」のたくましい背中を見てくだい。何と雄弁(ゆうべん)な背中でしょう。」
という内容だった。いろんな見方があるんだ。観る側の想像でいかようにも。

博物館1.JPG
地獄の門1.jpg
地獄の門.jpg

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0