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千光寺の、彩り 【尾道風景-千光寺Ⅰ】 [尾道・文化紀行]

千光寺から見た風景に魅せられ、
尾道を訪ねたときは必ず参拝させていただく。

ロープウェイで往復するときもあるが、
歩いて登り、歩いて降りるときもある。

景色の違いを楽しむために、その時の想いで。


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文化紀行1.jpg
             千光寺から臨む尾道水道と市街地

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              鐘楼が街々に響く

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             本堂横の玉の岩とロープウェイ


リポート&写真/ 渡邉雄二 Reported & Photos by Yuji Watanabe

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尾道・浄土寺は建物だけではなく、土地を含め国宝 [尾道・文化紀行]

浄土寺本堂と多宝塔+.jpg


日本全国には「浄土寺」という名の寺院が多くある。浄土の名がつく寺院は「浄土の世界」に通ずるところとしての役割があるのだろうか。夕陽や朝日の光は浄土の世界を想わせるかの如く輝き、浄土の世界の喩えとしてよく耳にする。太陽信仰として光は崇拝のシンボルとなっている所以なのかもしれない。

尾道にある浄土寺は尾道三山の一つとして、飛鳥の昔に聖徳太子が開創したと伝えられている、中国地方屈指の古刹である。瀬戸内海の要津として発展した尾道の人々が心寄せる寺として繁栄してきた。およそ七百年の時代を重ね、いまも尾道の発展を見守り続けている。

浄土寺本堂+.jpg

浄土寺11.jpg


山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらは中世仏教建築の代表的な建築物として現存している。それに対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿などは近世建造物で生活空間として庭園や茶室(露滴庵)などもある。
とくに本堂は1327年(嘉暦2年)の建立。入母屋造本瓦葺きで、和様を基調とした中世折衷様仏堂建築の代表作。多宝塔は1328年(嘉暦3年)建立され、和様建築で鎌倉時代末期の多宝塔として貴重な建造物のようである。

浄土寺山門.jpg

浄土寺5.jpg

浄土寺5.jpg

浄土寺4.jpg

浄土寺庭園と露滴庵.jpg

浄土寺15.jpg

その本堂と多宝塔とともに国宝に指定されているのが近世以前の寺院景観を良好に残す境内地である。国宝のほとんどは建造物のみの場合が多いが、浄土寺は建物だけでなく、土地も含め国宝になっている。ちなみに土地を含めて国宝に指定された場所は清水寺(京都市)と宇治上神社(宇治市)と、ここ尾道の浄土寺だけ。全国でも珍しい場所として注目されている。

また、写真にもあるように鳩がたくさんいる。鳩被害で対策されている由緒ある神社仏閣もあると聞くが、ここ浄土寺は鳩にとっても住み心地の良いところのようだ。
それは、江戸時代、幕府禁制だった伝書鳩をお寺で密かに飼育し、商人たちがその伝書鳩を利用し貴重な情報を手に入れ、商人もお寺も繁栄につながったといわれている。その “伝書鳩おかげ” がいまに残っているようだ。
残念ながら見る事はできないが、寺裏門の天井には今でも鳩小屋が残っているそうである。尾道の繁栄にとって、鳩は貴重な役割を果たしていたため、今でも大切な存在として扱われているとのこと。

聞くところによると、夕陽が傾くときも美しいが、日の出の光に照らされた本堂、阿弥陀堂、多宝塔はもっと美しいという。毎日、早朝散歩で浄土寺まで上がり手を合わすという参拝者からの情報だから間違いなかろう。癒しのまち・尾道に相応しい光景が目に浮かぶようである。

日の出+1.jpg

リポート&写真/ 渡邉雄二・栗山主税・ネット画像転用 参考資料/ ウィキペディアの参照

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かぎろひ広がる天の川と海の川  The Milky Way and the Sea River spread out [尾道・文化紀行]

夜明け前の、空と星そして海と大地が織りなす水天一碧の世界。

カメラマン栗山主税氏が、故郷、尾道の夜明け前を写した一枚。


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リポート/ 渡邉雄二 写真/ 栗山主税(尾道出身のカメラマン)  
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四季を通じ愛宕山に広がる西國寺の一大絵巻 [尾道・文化紀行]

全国行脚の途中に尾道に立ち寄った行基(仏教僧)が開山した「西國寺」。時は西暦729年。その後に本堂や行基作の本尊薬師如来も焼滅したが、永保元(1081)年、平安朝時代、白河天皇の勅命により再建された。 伽藍の規模が西国一という意味をから西國寺と名付けられたようだ。

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以前に紹介した巨大草履が吊り下げられている仁王門をくぐり、烏天狗の伝説の金剛院を過ぎると山から吹く風の音しか聞こえてこない。108段の石段を登れば、緑の中に南北朝時代の建築様式で造られた朱塗の金堂(国重文)を始め、三重塔・大師堂・不動堂・持仏堂等が並ぶ。歴史ロマンの地に舞い降りたような雰囲気を感じさせる。

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                    金堂

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                   不動堂

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              不動堂の前に立つ青銅不動明王

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                   毘沙門堂



尾道三山の一つ愛宕山の中腹に大伽藍が広がる西國寺は、境内の平地面積15700平方メートルに及び、眼下に横たわる尾道水道と共に、絢爛たる一大絵巻のような四季折々の景色が楽しめる。
本尊は、平安時代後期に造られたとされる像高91cmの木造薬師瑠璃光如来坐像。金堂内陣須弥壇に安置されているが秘仏であるので参拝者に直接目に触れることはない。金堂の正面から手を合わせるのみである。

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              境内から臨む尾道大橋と尾道水道

西國寺を後に、眼下の尾道水道を臨みながら「浄土寺」へ向かった。

リポート&写真/ 渡邉雄二 一部写真・イラスト/ 西國寺HPより転用
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尾道三山の一つ「西國寺」の草鞋仁王門 【摩尼山 西國寺<仁王門>】 [尾道・文化紀行]

尾道取材で楽しみにしていたのが「尾道三山」を巡ることだった。
JR山陽本線の北側に大宝山、愛宕山、そして浄土寺山が連なっている。その山々に真言宗系の本山である千光寺、西國寺、浄土寺の三山を中心に数キロ範囲に25カ寺が密集している。狭い地域にこれほどの寺院が密集しているのも珍しい。その昔は倍以上の寺院があったといわれている。
ここ尾道は昔から商業が栄え、貿易船や北前船などの瀬戸内海の一大荷受港として発展してきた。商業地として人が集まり、信仰心の篤い当時の人たち信仰の拠点になり、それに比例するかのごとく寺社が多かったといわれている。

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千光寺の取材を終え、次に向かったのが「摩尼山 西國寺」。山裾の細いくねくねした路地を30分ほど歩いた。見えてきたのが西國寺の山門(仁王門)。ご存じの方も多いだろうが、この山門は西國寺のシンボルであるが、尾道観光では外せないスポットになっている。それは、2mほどの巨大な草鞋をはじめ数々の草鞋が仁王門を覆うかのごとく吊り下げられている。
この仁王門は江戸初期の1648年に建立されたもので、県の重要文化財に指定されている。

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千光寺と同じように西國寺も「伝説」が多い寺院ある。仁王門の中に安置される阿吽の仁王像はその昔、真夜中にこの巨大な草鞋をはいて門の外に出て、悪さをする子どもを懲らしめて回る、という親にとっては都合のよい「草鞋伝説」が伝えられている。 “悪いことすると仁王さんがくるよ” という母の戒めの言葉になっていた。それが今でもまことしやかに伝わっているから不思議だ。実際は、寺院巡りの健脚を祈願して奉納されていることのようだ。

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西國寺6.jpg


そんな話を聞くと、格子と金網で厳重に安置されている仁王様が今にも草鞋を履いて出てきそう気がしてくる。この仁王門をくぐり境内に入っていく。そして帰りにもまた格子の中を覗いて、どんな顔なのかを改めて確認した。
振り向きざまに仁王様の “気をつけて!” という声が聞こえたような気がした。

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リポート&写真/ 渡邉雄二 Reported & Photos by Yuji Watanabe

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巨岩と信仰の場が伝説を生む。【大宝山千光寺伝説Ⅱ】 [尾道・文化紀行]

大宝山の中腹の傾斜面に千光寺がある。当時、山岳信仰の寺院として大きな存在だったのだろう。そこに数々の伝説がある。前回紹介した「巨岩」が伝説の根源になっているようだ。
前回は、「大宝山千光寺伝説」の第一弾として紹介した「玉の岩」。そして今回は、玉の岩と同じように伝説を創った数々の巨岩のなかでも目に留まったいくつかを紹介する。

その一つが、千光寺の西側にある「鼓岩(つづみいわ)」。別名「ポンポン岩」と呼ばれ、岩の上を石で叩くと「ポンポン」と鼓と同じような音がすることから、そう呼ばれるようになった。なぜ、そのような音がするかはわからないが、想像するには中が空洞になっていると思われる。
このポンポン岩には、見てのとおり(写真参照)、大阪城築城の折に、石垣材として搬出するために岩を割るための楔(くさび)の跡と思われる痕跡が残っている。筆者はいささか高いところは苦手なもので、岩には上がらなかったが叩く音を聞くと千古不易の神秘を感じる。

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鼓岩(ポンポン岩)



巨岩三重岩や屏風岩などの奇岩が露出する中で、ひときわ異質な雰囲気をかもし出していたのが「鏡岩(かがみいわ)」。この鏡岩も信仰の対象として崇められていた。前回で紹介した玉の岩の宝珠の輝きを反射させ、また太陽や月の光を鏡のごとく反射させ山々や瀬戸内の島々を照らしていたという伝説がある。岩に神が宿るといわれると同様に、鏡は深い信仰の対象物であるのは言うまでもない。

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               鏡岩


そしてもう一つ印象に残った岩がある。それは「梵字岩」。五代将軍 徳川綱吉公の帰依僧である浄厳和尚が千光寺を訪れたときに、彫り遺されたものだという。円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれている。光明真言曼陀羅というものである。

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                    梵字岩


さらに、千光寺が修験者の修行の場だったという痕跡が「くさり山(石鎚山)」。前回写真でも紹介した岩山である。頂上には石鎚権現の社があり、鎖を握りしめながら登っていく。社からの眺望は本堂とはまた違った景観が楽しめる。

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                    くさり山


とにかく大宝山は巨岩の山である。これだけの巨岩があり、そこに信仰の場が存在するとなれば、まさしく伝説が生まれる。自然の宝庫である瀬戸内の特徴かもしれない。

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                    三重岩

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                    夫婦岩


リポート&写真/ 渡邉雄二・千光寺HP 千光寺資料/ 千光寺HP参照  Reported & Photos by Yuji Watanabe

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大宝山千光寺 https://senkouji.jp

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尾道伝説の始まり、千光寺の巨岩「玉の岩伝説」【大宝山千光寺伝説Ⅰ】 [尾道・文化紀行]

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日本遺産の町や地域には多くの歴史ストーリーや伝説ストーリーがある。瀬戸内海の地形にはそれぞれのストーリーが創出されやすい要因が多い。海や山、そして島々から成り立つ地域にはとくに神仏と融合する土壌や風習が培われている。どの時代の暮らしでも神仏は大きな存在として祈りの対象になってきた。

尾道では、暮らしの中に神仏が溶け込み共存共栄しながら伝承されてきている。その伝説の多い寺院の一つである「大宝山千光寺」をシリーズで紹介してみたい。その伝説の根源になっているが「巨岩」である。巨木や巨岩には神が宿るとよくいわれているので、千光寺に巨岩伝説が生まれたのであろう。
それは想像もつかない長い時間のなかで数々の出来事に関わってきたからだろう。それぞれの時代や人がかわり、またその時代の数々の自然現象などにも見舞われ歴史の一コマとして息づいてきたから。その「巨岩」が千光寺の伝説ストーリーを生み出した。

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                 露出する巨岩

前にも紹介したが、尾道は在来線駅より北側は山々が連なり、その山裾に家や生活空間がある海沿い独特の町として形成されている。中でも、駅北側の大宝山の中腹に建つ千光寺には驚くほどの巨岩が露出している。
そのなかに千光寺を創り守り続けている巨岩がいくつかある。その一つが「玉の岩」。烏帽子に似ているから烏帽子岩とも呼ばれている。一周が50m、高さが15mあり、大宝山では第三番目の巨岩として千光寺の伝説の核になっている。

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                 玉の岩

この巨岩「玉の岩」の頂には直径14㎝、深さ17㎝の穴が開いている。この穴が光を放つ如意宝玉があった跡だといわれている。その山を「大宝山」といい、寺院を幾千もの光を放つ「千光寺」と命名し、山から臨む港が「玉の浦」と呼ばれるようになった。まさに、巨岩による “千光寺伝説” である。
玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配し、尾道の風光のかなめになっている。現在は岩の頂に宝玉の代わりに石の玉が置かれ、いまもまことしやかにその伝説が言い伝えられているほどである。

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次は「ポンポン岩」

尾道・大宝山千光寺HP https://senkouji.jp を覗いてみてください。

リポート&写真/ 渡邉雄二・千光寺HPより転載 資料/ 大宝山千光寺HP Reported & Photos by Yuji Watanabe・Senko-ji Temple HP
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歴史ストーリーのある日本遺産のまち「尾道」が注目され続ける理由 !? そのⅠ「寺院の存在」 [尾道・文化紀行]

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尾道市は広島県の南東部に位置する、人口13万1千人(平成27年と調査)を有し、商業を中心とした町として平安時代から現代に至るまで栄え続けている町である。昭和の40年代以降の高度成長期の造船業をはじめ、漁業や海産物加工業、製造業、農業をベースに、現在(新型コロナ以前)では観光業による収益もかなり伸びている。

新型コロナウィルス騒動前までは、国内外から年間700万人近い観光客が訪れていた。それに貢献したのが、「日本遺産」への登録、そして四国までの「しまなみ海道」開通が大きく貢献し、風光明媚な町として人気を集めている。
その土台を築いているのが瀬戸内を代表する歴史ストーリーである。一つは、瀬戸内海を拠点に活動した村上水軍(海賊衆)のヒストリアル。一方の山では寺院の勢力が尾道の歴史を築く大きな礎になり、尾道の発展に寄与しているのは間違いない。

平安時代に、尾道の北部に位置する世羅町のあたりに豪族が管理していた備後大田庄の荘園があり、その倉敷地(穀物類を貯蔵するところ)として荘園米の積み出し港となって以来、貿易船や北前船などの寄港地として繁栄をとげた。
それぞれの時代の中で力をつけた豪商たちが尾道の地に寺院を作り寄進したといわれている。当時、豪商は働く人たちの神仏崇拝に力を入れ、とくに漁師や浜旦那((漁師を統括、魚介類などを卸す商人))は危険と隣り合わせの海を相手にしていたことから神仏に海上安全を祈願するために尾道に多くの寺院ができた。この瀬戸内海の天然の良港として栄えた尾道は寺院と共存共栄しながら時代を経てきた。

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              寺院が立ち並ぶ尾道市街地


現在、尾道の三山といわれる「大宝山 千光寺」、「転法輪山 浄土寺」、「摩尼山 西國寺」など真言宗系の大本山を中心に、それぞれの塔頭を含め25カ寺が存在する。時代をさかのぼると、寺院の数で一番多かったときで60数カ寺あっといわれている。
そして、寺院が建立された理由の一つに、千光寺の巨岩をみるように三山のどの山にも大きな岩があり、神聖な場所とされたことが建立に大きく影響したといわれている。境内のあちこちに存在する大きな岩は御神体として人々に信仰されやがて修行の場となった。それがいつしか仏教と結びつき寺院建立へつながっていった。地元の労働者の安全祈願の寺院という役割に加え、修行の場として魅せられ多くの人が集まってくるようになったのが平安時代の終わりごろからである。

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           千光寺本堂横の巨岩のご神体(上) 斜面に建つ本堂(下)


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               浄土寺本堂と多宝塔(共に国宝)


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   巨大に草鞋が下げられている西國寺仁王門


余談ではあるが、調べていくと、聞きなれない仏教宗派「時宗(じしゅう)」の寺院が大きな役割を果たしたようだ。尾道にはその時宗の寺院が6カ寺もある。全国的にみても一つの町にこれだけの時宗寺院が集まっているのは珍しい。時宗は鎌倉時代の末期に興った浄土教の一宗派で、開祖は一遍上人といわれている。総本山は神奈川県藤沢市にある清浄光寺である。時宗寺院には当時の「浜旦那」の隆盛と深くかかわっていたというものが多く所蔵されている。その中で、とくに時宗は人々を分け隔てなく受け入れ、同時に「文化の発信元」にもなったといわれている。

平安時代の終わりごろからから寺院を支え、江戸時代でも尾道には豪商がたくさんいて寺や神社を支えてきた。尾道の魅力でもある古い寺院や神社のほとんどが貴族や武士でなく商人によって建てられ、人々を支えてきた。                    
そして現在でも、尾道三山を始めとする寺院が歴史ストーリーをたずさえ数々の新しい情報を発信している。その文化に支えられてこそ、新しいものが生み出されていく。   
そしてまた次の世代へと繋がっていく。尾道の魅力を育んだのは、この瀬戸内海の地形によって創造されたものが時代を経ていまに繋がっている。そこには「寺院」の存在なくして尾道はあり得ないと言っても過言ではない。


リポート&写真/ 渡邉雄二・栗山主税 Reported & Photos by Yuji Watanabe・Chikara Kuriyama

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尾道・文化紀行ブログに尾道応援隊コーナー「おのみちラブパートナーズ」併設 [尾道・文化紀行]

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尾道情報を発信できれば、とはじめたのが「尾道・文化紀行」ブログ。
中身の不足は否めないが、とりあえずスタートした。
少しずつだが、楽しい情報を積み上げ息の長いブログにしていこうと思っている。

いろんなご縁に恵まれるようなことを創造し、それを実行していくために無い知恵を絞っている。
その核になるのがやはり「人」。人の出会いなしではすべてのよい縁は生まれない。
そのためにスタートしたのが、このブログ内にある「おのみちラブパートナーズ」という
“仲間づくり” のコーナー。
尾道を愛する人たちのグループで、参加者全員が尾道サポーター。
尾道在住者、県外に住む尾道出身者の方々や尾道を応援したいという方々で構成される
“尾道応援隊”である。

参加者は、個人はもとより企業や団体などすべて。
その方々をこのブログの「おのみちラブパートナーズ」コーナーに
名前を掲載させていただこうと思っている。
名前をクリックするとそれぞれのHPやSNS等にリンクされ、
仲間を増やし、仲間との交流を促進していくツールとして利用。
ちなみにこれは広告ではないので掲載は無料でである。
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ご希望があればご連絡をお待ちしています。
また、こちらから声を掛けさせていただく場合もあります。
ただ、誰でもが掲載されるわけではなく、条件要項に適合する方々になります。
・尾道市在住で地元愛の強い個人・団体・企業
・他府県在住の尾道市出身者で郷里愛の強い個人・団体・企業
・他府県(海外含)在住で尾道が好き、又は尾道との関連性を強くお持ちの個人・団体・企業

堅苦しいようですが、よろしくお願いいたします。

お申込み先並びにお問い合わ/ ipc@wa2.so-net.ne.jp
ライブインテリジェンスアカデミー 渡邉雄二 (YUJI WATANABE)

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「尾道・文化紀行」ブログを作成、ぜひご覧ください! [尾道・文化紀行]

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今年の8月より尾道の観光大志(使)を拝命し、尾道のために何かお手伝いできたらと思っている。できることはSNSを媒体に “尾道PR” をさせていただくことくらい。そのPR媒体として作成したのが「尾道・文化紀行」ブログ。このなかで、尾道を紹介していく。他府県在住なので、多くの情報を一度にというわけにはいかない。

先週、その情報収集で尾道を訪問した。歩いてみて、話を聞いて、改めて尾道のすばらしさを実感。私がライフワークにしている “伝統文化をいまの暮らしに” を紹介する適所の町のように思えた。
歴史ある町に文化が形成される要素が揃っている。海・島・陽・風・地形・交通・産業・生活・習慣・慣習・信仰・人など文化形成力に欠かせない財産が豊富である。自然の恵を享受しながら新しい文化を創造する力が備わっているように思う。他の町に類のない環境や財産が尾道にはある。日本遺産の町としてさらに注目されていくだろう。

その尾道を、各要素を切り口に紹介しようと思っている。まだまだ不十分であるが、皆さんに関心を持っていただけるような内容にしていきたと思っているので、「尾道・文化紀行」を訪ねてみていただければ幸である。

なお、このブログのなかに「おのみちラブパートナーズ」というコーナーがある。尾道を愛する仲間のバナーを作成している。仲間が繋がり広がっていければという趣旨で。それぞれのHPやSNSにリンクされているので参照してください。

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