今年の文人煎茶講座はこれにておわり。 [心と体のなごみ時間「煎茶入門講座」]
今年最後の煎茶講座が一昨日あった。7月から始めて今回で9回目。回を重ねるごとに気持ちは煎茶人。
と、いいたいが、入れ方は佃宗匠が口で言われる通りにするだけで身についてない。特別に習っているという感じではない。遊んでいるといったほうがぴったり。
涼炉に炭をいこし、ボ-フラで湯が沸かし、その音を聞き、茶葉を入れて味と香りを楽しむ。これだけのことを3時間近くかけて楽しむだけである。
今年の最後は三つの飲み方を楽しんだ。まず水に茶葉を入れて沸かすして飲む。そして茶葉に湯を注いで飲む。最後に熱い湯に茶葉を入れて飲む三つの入れ方で違いを味わった。同じ茶葉でも入れ方によって味も香りも異なるものである。
ビールではないがコクもキレも違う。まろやかさや甘味も違ってくる。異なる三つの入れ方で微妙な違いを楽しませもらった。
ビールで思いだしたが、もう一つとっておきの美味しい飲み方があるという。それは清酒に茶葉をいれて飲む。比類のない味に仕上がるらしい。ぜひ賞味してみたいものである。
さてさて、今回も軸の話で盛り上がった。軸を通して文人を語り歴史を散策する。これも参加している楽しみのひとつ。が、なかなかそれを旨く伝えられない。ある程度聞いて理解できるようになったら、それをテーマに書くつもり。といいたいが、いつのことやら。
漢詩の意味も解説していただいたが、伝える力量がない。ただ思い出せるのが北宋代最高の詩人といわれた蘇軾(そしょく)の漢詩を無禄が書いた、ということ。
無禄は人の名前である。意味は、名前以前に混沌たる存在の人ということらしい。この軸は軸としても、書としても非常に深いものがある。このストーリーはまた後日におしゃべりせてもらう。
実は無禄なる人物は、我々の師匠である佃一輝宗匠の別名である。
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