二つ井戸津の清の粟おこしの秘話。 [e-よこ ソーシャルカレッジ]
一昨日、東横堀川水辺再生協議会(略称:e-よこ会)の22回目のソーシャルカレッジが開催された。
今回は、あの有名(?)な浪速のお菓子『粟おこし』の製造メーカーの、株式会社二つ井戸津の清の代表取締役の中村育二郎氏の"粟おこし物語"のお話をしていただいた。
株式会社二つ井戸津の清は、ご存知のように大阪では老舗中の老舗のお菓子メーカーである。私たちが子供のころよく食べていた厚みのある粟おこしのものから、今はガラッと変わりオシャレな草紙に入った薄型で一口サイズになっている。
粟おこしは、粟を固めたお菓子とお思いでしょ!! 粟粒とよく似ているから「粟おこし」となったのだけど、粟にしては美味しい!、って思っていた、という人がほとんど。
実は実は、粟ではなく「お米」で作られているお菓子である。いまから約250年前の1752年に製造を開始。それまではつくねのような形のものや、竹筒に入れたものであったのを初めて板状にしたのが、現在の粟おこしに。
ちなみに東京では「かみなりおこし」ていう。関東の方たちはそれに馴染んでいるよう。中村さんがいうには、粟おこしができて、その後にかみなりおこしが江戸でも作られるようになった、と。
お菓子製造の秘話を交えながら、大阪に都があった「難波京」にいたる話は実に興味深かった。
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