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雁がねを楽しみながら、「伯夷・叔斉」を知る。 [文化想造塾<易社/煎茶>]

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先週の煎茶の稽古は「雁がね」。
三煎ほど淹れて、それぞれの味の違いを楽しませてもらった。ぬるま湯で時間をかけて淹れる。一煎目で雁がねの本来のまろやかさを味わい、二煎目で少し渋めの変化を味わう。そして三煎目で、少し苦味が出て雁がねの芳醇な深い味を堪能する。

合間の時間に、その日の勉強会の教科書である掛軸に注目する。
「この絵に描かれているところはどんなところでしょ~? 」から始まる。
「中国の奥深い山の中 ?」。
「山々が続く山麓 ?」。
「下の方に人が2人寝転がっているから、そんなに深い山ではないね」とか。

これを描いた人は、昭和初期にいまの稽古場である一茶菴で、大阪のあるお寺の高僧が描いた絵である。お軸の上の方には「寒巌頭上 見春色」と書いてある。

先生曰く 「この絵は、空想の絵です」。この絵には深い物語が描かれている、と言うことらしい。やはり今回も、ちんぷんかんぷん。

「寒巌頭上 見春色」。頭上は厳しいほどに寒い。でも、春の色が見えるではないか。
私の頭は、春色、となれば、もしかして「春画」?。男2人だから、そんなことはあるまい。先生曰く、「渡邉さんならそう思ったでしょ?」と、見透された。「先生、私のイメージを変に定着させないでください」と切り替えしたものの、話は次に進んでた。

「中国の戦国時代の話ですが、こんな物語を知っていますか? 」と、先生が尋ねた。
「伯夷・叔斉」の物語である。中国の歴史は嫌いではないが、この話は聞いたことがなかった。

伯夷が長男、叔斉は三男である。父親から弟の叔斉に位を譲ることを伝えられた伯夷は、遺言に従って叔斉に王位を継がせようとした。しかし、叔斉は兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、あくまで兄に位を継がそうとした。そこで伯夷は国を捨てて他国に逃れた。叔斉も位につかずに兄を追って出国してしまった。国王不在で困った国人は次男を王に立てた。
旅に出た二人は周の文王の良い評判を聞き、周へむかった。しかし、二人が周に到着したときにはすでに文王は亡くなっており、息子の武王が帝辛(殷の紂王)を討とうと軍を率いている途中だった。二人は武王の馬車を止め、父親が死んで間もないのに主君である紂王を討つのは不孝であり不仁であることを説いたが聞き入れられなかった。
この後、二人は周の粟を食べる事を恥として周の国から離れ、武王が新王朝を立てたときは首陽山に隠れて薇など山菜を食べていたが、最後には餓死した。

という物語である。というと、この軸に描かれている2人が「伯夷・叔斉」? 大阪の高僧が、中国のこのふたりの兄弟の物語を描いたものである。

「寒巌頭上 見春色」。首陽山でふたりは餓死する寸前の、絶体絶命の中で春を見つけた。その春とは、「蕨(わらび)」である。しかしながら、帰らぬ人となった。
という物語を、雁がね淹れながら楽しませていただいた。

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