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淡路島の「伊弉諾神宮」のあと、淡海(滋賀)の「多賀神社」を訪ねた。【淡海シリーズⅠ】 [文化想造塾<社寺>]

淡路島の多賀にある「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」を訪ね、それから2週間後に縁あって、滋賀県犬上郡多賀町の「多賀大社(たがたいしゃ)に参拝した。
共に、国生みに始まるすべての神功を果たされた天照大御神のご両親である「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)」と「伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)」(共に古事記に書かれている名称/日本書紀では伊弉諾・伊弉冉)を祀る由緒正しい神宮と大社である。

多賀大社1.jpg

しかしながら、伊邪那の幽宮(かくりのみや)は、淡路と淡海(滋賀琵琶湖)の2ヶ所に存在するということから古来から論議を呼んでいる。
日本最古の文献の古事記では、”伊耶那岐の大神は淡路の多賀にまします”というのが記されている。日本書紀では「是以構幽宮於淡路之洲」とある。つまり「伊邪那岐大神は、神としての仕事を終え淡路之洲(の国)で死を迎えるための大きな家を建て、静かに隠棲された」ということが記されてあるようだ。日本書紀の真福寺本には淡海(滋賀琵琶湖)の多賀とする。伊勢系本は淡路説ということになっている。古事記と日本書紀で記されている内容が少し異なる指摘があるのも事実のようだ。
そしてもう一つ関心を持ったことは、神宮(淡路)、大社(淡海)共に「多賀」という地名がついていること。調べてみると「多賀」は、日本の古代において大和や蝦夷の地を美化するために使われた言葉のようである。「高い地」とか「災いを除く地」ということらしい。だから共にあとから「多賀」という地名がつけられたと推察できる。

多賀大社3.jpg

多賀大社4.jpg

多賀大社を訪ね驚いたのが、厳かで立派なお社。本殿をはじめ、拝殿、神楽殿、弊殿は素木造の檜皮葺の建物。
大社造の本殿を神楽殿から広がる廊下と塀で囲んでいる。
平入りの屋根が折り重なって広がる建物の様子は迫力を感じさせるものだった。
鳥居をくぐって門の前を流れる小川には、淡路の伊弉諾神宮と同じように反り橋がかけられている。
石でできたこの太鼓橋は、多賀町の文化財にもなっており、太閤秀吉が信仰を寄せたところから「太閤橋」とも呼ばれているという。

多賀大社2.jpg

地元の人たちには「お多賀さん」という愛称で呼ばれ親しまれている大社である。昔からこんなことが囁かれていた。「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢はお多賀の子でござる。お伊勢七度 熊野へ三度 お多賀様へは月詣り」と。絶大なる「多賀信仰」の深さを物語る言葉である。
淡路島の「伊弉諾神宮」、そして滋賀県の「多賀大社」を訪ね、共に天照大御神の両親が祀られているということから同じような神社形式や神社建築が見て取れる。同じ多賀という町名をつけ、国生みの神社として共存している。

多賀大社5.jpg

この【淡海シリーズ】は、日本の文化財産の宝庫である滋賀琵琶湖周辺を以前歩いたときに取材したものである。少しではあるが紹介していく予定にしている。

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