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雲龍院の随所で見る「菊花紋章」。【雲龍院Ⅴ】 [文化想造塾<社寺>]

神社仏閣にお参りすると、菊の御紋を見かけることがある。それは、天皇家と所縁のある証として随所に「菊花紋章」が表現されている。神社でいえば、ご存じ伊勢神宮。寺院では泉涌寺が天皇家のお墓を守る菩提寺である。泉涌寺は御寺と呼ばれ、月輪陵(つきのわのみさぎ)、後月輪陵(のちのつきのわのみさぎ)が泉涌寺の山内にあり、天皇家の歴代陵墓として拝所になっている。

その所縁のある泉涌寺や別院でも「菊花御紋」が随所に表されている。雲龍院でも中庭の石灯籠を中心に菊の御紋が敷かれている。白砂利を使っての菊は美しい、の一言である。

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なぜ、菊が天皇家の紋章になったのだろう、という疑問がわいた。菊は、日本では古くから野に咲く花という印象が強い。一年を通し、最後に咲くのが菊であり、庶民的なイメージで人目を惹くような華やかさを持った花ではないと思うが・・。

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資料によると、仁徳天皇の時代に、中国からこれまでとは全く違う形の菊が日本に入ってきた。その形は、いまで言う大菊といわれる種類で、当時、大きくて華やかな花を咲かせる菊として人々を魅了した。
そして、その菊が天皇家の御紋として正式に採用されたのは、平安時代に入って後鳥羽上皇の代になってからのようである。とりわけ菊の花を愛した後鳥羽上皇が、天皇家の調度品などに菊の紋を使用するようになり、それが天皇家の御紋につながっていった。

雲龍院を訪ねるたびに思うのだが、非日常空間で “心の体操” をさせていただいている。心に響く、また心を整える時空間が揃っているように思う。

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屋内に居ながらに彩のある風景が楽しめる。「蓮華の間」【雲龍院Ⅳ】 [文化想造塾<社寺>]

雲龍院には、さまざまな感情を奮い立たせる雰囲気がある。心の運動ができる妙なる場所だと思っている。屋内にいながら外の風景をみせてくれる。写経道場や悟りの間もさることながら、「蓮華の間」や廊下の隅々にも繊細で妙なる情緒感性があふれている。

その「蓮華の間」に入ると、奥に4枚の窓ガラス付の雪見障子がある。お客様を迎えたとき、茶席で言う寄付き待合いの部屋のようでもある。その4枚の窓から庭が目に入る。ある位置(写真で言うなら、左側手前)に座り窓を通し眺めると、春なら一番左の窓からは椿、そして順次右の窓からは、灯篭、楓、松が見られる。彩の異なる風景を窓越しに味わえる。これを「色紙の景色」と呼ばれ、訪れた人々を楽しませている。

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また、雲龍院の廊下の隅々には幻想的な活け花がしつらえてある。歴史と伝統ある空間に、自然の領域をも超えた現代の創作美が絶妙にマッチしている。

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本堂での「写経」、心も体も整えられる。  [文化想造塾<社寺>]

この雲龍院に通う最大の目的は「写経」である。写経を行い、写経する時間を楽しむために。
本堂の「龍華殿」が写経場であり、障子で閉ざされた雰囲気は別の時空間を感じさせる。本尊の薬師如来像の横に写経塔があり、その中に光子内親王が書かれた写経が納められ、写経のご本尊として安置されている。

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本堂に入ると、雲龍院独特の、写経をする前の所作がある。まず、「丁字(ちょうじ)」の木の花蕾を乾燥させたものを一つ口に含む。身体を清める「塗香(ずこう)」を手に塗る。そして心を清める「酒水(しゃすい)」をほんの少し頭に注ぐ。この三つの所作が終われば座につく。
写経をする机は、後水尾天皇によって寄進された机を現在も使用しているというから精神的高揚感が高まる。そして、机に置かれている写経用紙には菊の御紋が添えられ、用紙には薄く般若心経が刷られている。それを朱墨で写していく。

それから静かな時が流れる。
写経のあとの、方丈で庭園を眺めながらの一服は、心も体も整えられていくようである。

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雲龍院の悟りの窓「円相」に向かい  [文化想造塾<社寺>]

雲龍院の書院には「悟りの間」という部屋がある。そこには、四角い「迷いの窓」と、丸い「悟りの窓」がある。入口近くの「迷いの窓」は人生における苦しみを象徴し、「生老病死四苦八苦」を表しているといわれている。そして奥にはある「悟りの窓」は真円で、禅における悟りの境地を表し、宇宙が表現されているといわれている。そして窓越しに、四季折々の景色が楽しめるようになっている。

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さらに床の間には、仏画と般若心経のお軸が掛けてあり、坐禅を組む設坐の部屋のようにも思える。瞑想し般若心経を唱える部屋として存在したのだろう。

禅宗系の寺院でよく一筆で書いた円や、円い障子窓をよく見かける。この雲龍院の悟りの窓もそうであるが、これを円相(えんそう)という。禅における書画のひとつで、図形の丸を一筆で描いたもの。「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。 悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任されている。また、円窓と書いて「己の心をうつす窓」という意味で用いられることもある。 また始まりも終わりもなくスムーズに流れ続ける動きは、仏教のとらわれない心、執着から解放された心を表わしている、ということである。

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一筆の円相は、今朝書いたもので、心が治まらない心境が見えている。もう一枚は、昨年、円相の中に仏画を描いたときの一枚である。
写経同様に、たまに筆をもち、心を治めるためにと思って書いてみるが、なかなか思うように書けない。しかしながら、楽しいものである。

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泉涌寺塔頭「雲龍院」の美しさ。 [文化想造塾<社寺>]

神社仏閣が好きで心赴くままに参拝鑑賞させていただいている。その中でよく訪ねる寺院がいくつかある。その一つが、京都東山にある真言宗泉涌寺派の総本山である御寺 泉涌寺(みてら せんにゅうじ)。ご存じの方も多いと思うが、皇室と深いかかわりのある仏教寺院である。昨年の、天皇陛下・皇后陛下の「即位の礼」のあとに京都をお訪ねになった時にもご参拝された寺院である。

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その泉涌寺にも参拝させていただくが、通う目的は泉涌寺塔頭の「雲龍院」という寺院である。雲龍院に足しげく通うようになったのは、他の寺院にない写経や写経場の環境が素晴らしかったからである。それに、書院から眺める庭園の美しさ、そしてそこでの一服の茶が穏やかな時間を創ってくれる。さらに、仏教寺院ならではの書院の工夫などが随所に鑑賞でき、心身ともにリラクゼーションの聖地だと思っている。

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その雲龍院を少しずつ紹介していたいと思っている。いまの事態が終息した折には、京都に行く機会があれば立ち寄っていただければ嬉しい限りである。

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二体一対の「阿吽の呼吸」【石峯寺・須磨寺】 [文化想造塾<建造物>]

「以心伝心」「暗黙の了解」という言葉は、とくに日本人には普遍的な人間の現象として認識され理解されている。いま風にいうなら、非言語コミュニケーションスタイルかもしれない。信頼関係があるなら “言わなくても分かる” という風潮である。それが脈々と日本人の心の伝承文化として定着してきた。
それが、二体一対の金剛力士像(仁王像)で阿形と吽形という形で表現され、「阿吽の呼吸」として根付き多くの場面で生かされているのは言うまでもない。

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今回は、数年前に訪ねた神戸の二つのお寺の金剛力士像を紹介する。北区の岩嶺山の山麓に、真言密教の修行道場の「石峯寺(しゃくぶじ)」と、須磨区にある「須磨寺(すまでら)」。

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石峯寺は、651年にインドの僧により開基された。山麓丘陵地に伽藍を建立され、その当時は、東西二里、南北一里に70余の建物があり一山寺院が形成されていたようだ。
その仁王門に、歴史を感じさせる仁王像が安置されている。補修された形跡が随所にあり、また色が微かに残る程度で古さを感じさせる。拳を握る「阿像」と掌を広げる「吽像」が象徴的に造られている。

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一方、須磨寺の仁王像は「阿像」がしっかりと手に握りしめる金剛杵がよく目立っている。ちなみに造像は、運慶と湛慶(運慶の子/ たんけい)の作と伝えられている。

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忿怒の形相の中に、優しさが・・・ 【醍醐寺】 [歴史的建造物]

平安初期に開山された「醍醐寺」。ご承知のとおり、世界文化遺産である。
伽藍のほぼ中心部にある醍醐寺の正門、西大門(仁王門)の両脇に木造の金剛力士像が安置されている。
開口の阿形像と口を結んだ吽形像2像が忿怒の形相で睨みをきかせていた。
よく見ると、他寺の仁王像に比べてどことなく穏やかな表情がうかがえる。
大きめの頭部に対し体部はやや細身。全身にまだらの模様が見られるは、長年の風雨による補修跡のようである。
しばらく睨み合ってみたが、まばたきもせずに凝視する眼光は、木面が剥がれ変色しているものの鋭かった。

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睨みをきかせる赤青の仁王像。四天王寺  [文化想造塾<建造物>]

伽藍の配置は、南から北に向かい中門、五重塔、金堂、講堂と一直線に並ぶ。
それを回廊が周りを取り囲む形式で、古い建築様式の伽藍である大阪 四天王寺さん。
寺院は色彩鮮やかな独特な趣きが感じられるお寺である。聖徳太子が創建した和宗本山のお寺としても知られている。

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その四天王寺の中門で伽藍の守護神である仁王像が睨みをきかせている。向かって右側に赤色の「阿形像」那羅延(ならえん)金剛力士、そして左に青色の「吽形像」蜜迹(みっしゃく)金剛力士に、怪しい者ではござらん、伽藍見学と本尊お参りを、と問いかけると一瞬、怖顔から笑みが(?) 。勝手にそう思うと気分が高まる。

同寺の赤色、青色の仁王像は珍しい。なぜ仁王像に色が塗られているのか、と思い明確な理由は見当たらなかった。ただ、如来と菩薩は仏像の格は高い。悟りを開いているレベルなので金箔を施しているものが多い。 四天王寺仁王像5.jpg 仁王像である金剛力士像は、格が下がるので極彩色で表現されている、ということになる。さあ、推測の域を超えないが、当たらずといえども遠からずであろう。 四天王寺1.jpg トップの写真は六時礼讃堂を背に眺め、背高ノッポのあべのハルカスを借景にした景色。
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仁王像では唯一の国宝。東大寺金剛力士像 [文化想造塾<建造物>]

寺院を訪れるのは、その寺院に祀られている本尊を参拝することが第一の目的であるのは言うまでもない。それ以外に寺院が所蔵する文化財を観に行く人、また雰囲気や空気感が好きで訪れる人も多くいる。そして、私のように仏像に興味を持つ人たちも多いだろう。

奈良東大寺はなんといっても “奈良の大仏さん” で知られている寺院である。鎌倉時代の初頭に南大門は再建され、そのあとすぐ、その門内に安置する金剛力士像(仁王像)は造像された。その製作にかかわったのが運慶・快慶らと慶派の仏師たちである。仏像の中でもとくに仁王像の魅力は、やはり大きさと迫力ある頑強な造形美であろう。その中でも東大寺・南大門の仁王像は見事というしかない。風雨にさらされる門内安置としては唯一の国宝指定を受けている像である。
通常、仁王像は二体とも門内で本堂を背に正面を向いているが、南大門の阿形像と吽形像は向きあっている。これも珍しいとされている。それは、風雨の被害をできるだけ避けるため仁王像同士が対面しあうように安置され南側は閉鎖し保護されているわけである。

新型コロナウイルス感染騒動が終息した折に、奈良を旅されることがあれば、ぜひ東大寺へ。そして南大門でしっかり本堂を警護する仁王像とご対面されるのも新たなご縁が生まれるはずである。

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遠くを遥かに拝む [伝統文化]

散歩がてら芦屋神社まで足を伸ばした。芦屋神社には境内末社が7社ある。出雲神社、稲荷神社、猿丸神社、祖霊舎、水神社、龍神社そして遥拝社(ようはいしゃ)。
この遥拝社は、遠く離れた所から神仏などを遥かに拝む社になる。拝礼したい対象の神社名を称えてから拝礼するらしい。なかなか神秘的な雰囲気があった。

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