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「考える人」は単に迫力の造形美。観る努力を強いる 【京博Ⅱ】 [雑感]

数年前、「琳派 京を彩る」特別展覧会を京都国立博物館に観に行って際に、いつも敷地内にある明治古都館などいくつかの気になる建造物などに立ち寄る。その一つが「考える人」のロダン作の銅像。いつ観ても"なにを考えているのだろう" と想像を巡らす。

ロダン1.jpg

先日は、いつもよりちょっと異なる視点で観た。右肘が左脚膝に置かれ、左手が同じく左脚の上に置かれている。ちょっと複雑なポーズである。その理由がおもしろかった。博物館のHPの解説に下記のように書かれていたので紹介する。
「"考える人"は考えるというポーズをとっているだけで、本当にロダンの表現したかったことは、傾けた上体を支える右手と足の上にのせた左手という複雑な体の構成、もりあがった筋肉や異常に大きな手足などの力強さ、美しさ・・・」という。

そうなると作品は、「考える人」の考えるポーズは、単に筋肉の美しさを表現したものになる。背景となる意味よりも、純粋に形のもつ迫力だけを追い求めた彫刻ということになる。深い次元での芸術としての背景は何処に。
それは、鑑賞者の独自の視点で、それぞれの感じるアングルを見つけて想像してください、という、つまり観る側に努力を強いる彫刻だということのようである。
彫刻だけに限らず、芸術作品はそれが本位なのであるから、鑑賞者の想像力を試しているかのよう。

ロダン2.jpg

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