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襖の両面で、時間差情景を表現する。【温山荘園 浜座敷】 [日本の美]

ゴム製品をグローバルに展開するニッタ株式会社の創業者、新田長次郎翁の別荘として、和歌山県海南市の黒江湾を臨むところに「琴ノ浦温山荘園」が明治の終わり頃から大正初期にかけて建設、造園をされた。

敷地面積1万8千坪のなかに、主屋、茶室、そして黒江湾が眺望できる場所には浜座敷などがある。その浜座敷は、岩盤が露出する急な斜面の段丘にある。当時は、海から舟で行き来していたようだ。浜座敷の屋根は、文様装飾をもつ軒瓦や隅丸瓦でふいてあり寺院宮殿を思わせる古典的な造りになっている。

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座敷内でまず目をひいたのが主室の「襖」。主室に入る側には「朝焼け」が描いてあり、その画柄には圧倒された。そしてその襖にはコウモリをモチーフにした引き手がついていた。コウモリは、東洋では「吉兆」「長寿」を意味する哺乳類ということでモチーフになったらしい。主室側の面の襖には、「夕焼け」が描かれていた。朝に入り、夕に出ていくときの時間差情景が襖で表現されていた。驚愕の思いで見入った。

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庭園、建造物等は国の重要指定文化財に登録されている。その内部に至っては、日本の美しさが細部にまで表現されている。分かる範囲内で紹介させていただくつもりではあるが、なにせ薄学なのでこの程度である。

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仏画曼荼羅アートの体験会のお知らせ [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

仏画曼荼羅アートは、般若心経と仏画を自由に組み合わせて作るオリジナルの「曼陀羅絵図」です。体験会はどの教室でも随時行っています。体験していただく内容は、ご自分の干支の仏像や梵字で、自分だけの「守護御札」を作ります。そして、正しい姿勢で力を抜いて行う呼吸法も行います。ご関心のある方は、ぜひご参加ください。

【教室】                    

■泉佐野教室 (泉佐野生涯学習センター)

毎月第一土曜日 午後1時~3時       

 ※9月6日午後1時~3時は学習センター主催の体験会

■神戸教室 (アトリエ・アズール)

 毎月第四土曜日 午後1時~3時

■箕面教室 (東箕面学習センター)

毎月第二土曜日 午後1時~3時

■明石教室 (ウィズ明石)

8月2日(日) 午前10時~12時

9月13日(日) 開催予定

■夙川教室 (香櫨園市民センター)

毎月第二水曜日 午後1時~3時

お問い合わせは、Email ipc@wa2.so-net.ne.jp または090-3658-7804 (ワタナベまで)

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前代未聞の煎茶会と、エジプト料理の茶事を楽しむ。 [煎茶文化塾「易社」]

私は、十数年前から文人会「一茶庵」の社中に所属している。
また古い話になるが、八年前の暑中に、大阪・北浜にある漆黒の小西邸(株式会社コニシ)で、一茶庵・易社(当時)グループ主催の「初秋の煎茶会」が行われた。
易社グループは初の煎茶会にもかかわらず、日本で初めて煎茶を始めたといわれている「売茶翁(ばいさおう)」と、売茶翁を師として尊敬していた絵師「伊藤若冲」をテーマにした煎茶会であった。

部屋には、伊藤若冲が売茶翁を画いた絵に、若冲の禅の師であった相国寺の大典顕常禅僧が書いた漢詩(経典のような)が添えられたお軸が掛かっていた。通常では見ることができない代物らしい。

当時、易社グループは、煎茶は初心者でも人生に長けた"人生暴れん坊将軍"の方たちばかり。その煎茶初心者が1席から3席までをすべて取り仕切るというのは前代未聞である。その大胆な発想を企画し支えていただいたのが一茶庵の佃一輝宗匠。宗匠がこの煎茶会の炊きつけては喜んでおられる。なんとも一茶庵らしい。

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一席のお手前は不肖ながら私が務めさせていただいた。一席から常に、小西邸の当主の小西さんが大亭主として進行。そして各席で亭主が変わり、それぞれの持ち味で、この売茶翁と伊藤若冲を、掛け軸を通して出席者に解説。
大亭主と亭主の掛け合い漫才のような解説に各席とも笑いが起こる。知らないことは知らない、といい、知っていることは喋りまくる。お点前しながらもついつい当事者が笑ってしまうほどの煎茶会になった。

煎茶会のあと、打ち上げを兼ねた茶事を行い、道修町の少彦名神社の宮司さんや、北浜の老舗の社長さんらが加わり盛り上がった。亭主は私がさせていただき進行。料理は、グループの暴れん坊将軍の一人でうなぎ博士の方が提案した「エジプト家庭料理風のうなぎ料理」を堪能。うなぎのぶつ切りをから揚げにしたものと、うなぎのかやくご飯がメーン。そこに小西邸の当主ご自慢のお酒の数々。レバノン産の高級ワイン、年代物の紹興酒に日本酒などなど。煎茶に始まりうなぎのエジプト料理、お酒のオンパレードという一風変わった茶事となった。食べて、飲んで、語った一日であった。

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※煎茶会は、文人会「一茶庵」が企画実施。

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想像力を称えあう。【仏画曼荼羅アート】 [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

今日も、神戸教室では驚きの連続だった。
前回の課題が胎蔵界曼荼羅の中心部「中台八葉院」を描くことだった。
月一ペースで開講しているが、作品はほとんどが家で描いておられる。それがこの講座の理想形である。教室当日は皆さんの作品を全員にお披露目(制作途中でも)しながら解説させていただいている。そして、皆さんがそれぞれの想いを伝え、疎通を図る。大事にしていることは想像力を称えあっていることである。

今回は見ての通り(写真)、同じテーマだが、それぞれが違う。オリジナリティに溢れている。ひとり一人がこれほどに違うか、と思わせる作品ばかり。思いが込められているのに一驚する。と同時に、それぞれの秘められたエネルギーが伝わってくる。

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サイズ 60㎝(ヨコ)×90㎝(タテ)
題目 胎蔵界曼荼羅 中台八葉院
描具 鉛筆・細ペン・水彩用色鉛筆
参加者 6名(50代~80代)

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居眠りしていたら達磨さんになれないよ、という声が・・・ [伝統文化]

数年前に初夏に、京都のあるお寺で坐禅の体験をさせていただいた。
坐禅は、「体」「呼吸」「心」を整えるために行うものだ、ということを本で読んだことがある。むかし、合気道や太極拳の稽古をしていたときに、「呼吸法」は欠かせない稽古だったので、いまでも身体が覚えている。
坐禅同様に、武道でも呼吸法によって「心」と「体」を一つにすると言われている。とくに合気道の場合は、「心」と「体」を一体にしていくために研鑽を積むといわれている。

そんなことを思い出しながら坐禅に入った。問訊(もんじん/合掌し一礼をすること)し坐り足を組む。そして手を組み姿勢を整え、半眼で目線を決める。この一連の所作を済ませ坐禅に入る。
30分はいささか長いような気がした。はじめの15分くらいは、"お腹すいたなぁ~"とか"明日はどうしよう~"とかの雑念が頭に浮かんでは消え、また浮かぶ。考えるのをやめよと思えば思うほど集中できなくなっていく。
ところが、である。考えるのも面倒になったのか、気づくと30分が経っていた。後半は記憶が飛び何も覚えてない。坐禅の効用で瞑想状態に入ったかと思いきや、どうやら居眠りしていたようだ。

歳を重ねると穏やかに達磨さんのようになっていくのかと思っていたが、雑念が多く心と体が一体になれそうもない。

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梅妻鶴子で風雅に暮らす、林和靖。 【梅と鶴】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

前回の記事に引き続き、今回も「鶴」をテーマにした内容である。ある人物が鶴をわが子のように愛したストーリーである。
お軸などの絵に鶴と梅、そして、そこに人物が描かれていたら、その人は、中国・北宋時代の詩人「林和靖(りんわせい)」と思って間違いない。梅を妻とし鶴を子として西湖の孤山で過ごしたといわれている。
その林和靖の生活ぶりが、「梅妻鶴子(ばいさいかくし)」という中国の四文字故事につながったといわれている。俗世を離れ、清らかで風流な隠棲生活をする人が、妻の代わりに梅を愛し、子の代わりに鶴を愛で一人で清らかに暮らす様を表している。

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しかし、お軸(写真)の中に肝心の梅が見当たらない。鶴も梅も両方描いたらどこにもある絵になってしまう。お軸の中に描かれていないから面白い。茶席ならお軸の横に梅の木を添えて風雅を楽しむ。
今回は、梅探しをしてみたが見当たらない。

さて、漢詩を紐解いていくと、

有梅無雪不精神
有雪無詩俗了人
薄暮詩成天又雪
興梅併作十分春

という詩がボードに書かれていた。よく見るとこの詩の中に、「梅」がある。お軸にも添えた梅の木もないがボードの中にあった。すべてが揃ったわけである。
こんな風流な愉しみ方も乙なものである。

漢詩の訳は、
梅が咲いていても雪が降ってないと風景が生き生きとしたものにならない。
雪が積もっていても詩心がないようではせっかくの風景も平凡なものになってしまう。
夕暮れの時、詩ができ雪が降ってきた。梅と雪と詩を合わせると春の趣が十分に味わえる。

※本文中のお軸は「一茶庵」所蔵。写真は渡邉雄二


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鶴が、高貴な鳥といわれる所以 [伝統文化]

漆塗りで仕上げられている蒔絵(まきえ)の住所録の表紙に描かれている2羽の鶴を見ていると、一度は、わが目でこのように天を飛ぶ美しい鶴を見てみたいと思う気持ちが湧いてくる。

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日本では、「鶴」と呼ばれるようになったのは平安時代だといわれている。
その鶴が “吉祥の鳥” といわれている所以がいくつかある。
それは、ご承知の通り、古来より鶴は千年も長生きするといわれ「長寿の象徴」として尊ばれている。また、雄牝でいつも連れ添っていることから夫婦鶴といわれ「仲良きことの象徴」とされている。さらに鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから天に届く声といわれ「天上界に通ずる鳥」とされ、めでたい鳥といわれてきた。
これらの理由から、いまでも高貴な鳥として尊ばれているのではないだろうか。

自然になかに生息する姿も美しいが、やはり浮かぶのは、伊藤若冲の「旭日松鶴図」。旭日に、千年の吉祥を慶ぶ双鶴の姿である。

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王維の自然詩、"詩中に画あり" [煎茶文化塾「易社」]

中国古典では、"竹"や"月"を題材にした俳諧は多い。それを題材にするようになったのは、中国 唐の時代に画家であり詩人であり政治家であった“王維(おうい)”の自然詩の影響が大きいといっても過言ではない。
王維の詩の中でも「竹里館(ちくりかん)」は、その代表的なものであり、日本の国語の教科書に紹介されていたくらい有名な五言絶句の詩である。その「竹里館」を紐解いていくと自然詩の情感や情景が見えてくる。

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獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照

和訳すると、
独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林人知らず

明月来たりて相照らす

解りやすく説明すると
ただ一人で奥深い竹やぶの中に坐って、
琴を弾いたり、声をひいて詩を吟じたりしている。
この竹林の中の趣は、世間の人は誰も知らないけれども、
天上の明月だけはやって来て、私を照らしてくれる。
という意味になる。

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煎茶席で、師匠からこの詩を知っていますか、という問いに誰一人として声が上がらない。我々の当時の国語の教科書にも紹介されていたほどの有名な漢詩ですよ。と、言われても反応がない。それなら、いまからでも遅くないので、覚えましょう、と。師匠の後について何度も何度も唱和した。

王維の自然詩は “詩中に画あり” といわれる作風が多い。詩を読むだけで画が浮かんでくるといわれ、俳諧の創作手本になっている。また、 “画中に詩あり” という逆もいえる。
一般的には、独り竹林で琴を奏でるイメージは暗さが先行する。しかしながら、この自然詩にはその暗さや寂しさは微塵も感じられない。自然に同化し、俗の世界から超越したイメージが伝わってくる。
王維は自分の世界観をこの短い詩の中で表現している。それが後世に残る詩となっていまに伝え継がれている。この情感が素直に理解できるのはいつのことや、と思いながら夏の夕暮れに煎茶で喉を潤した。
写真は「王維の詩」の画像から転載

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"おもてなしの心技空"が凝縮されている。【芸者】 [伝統文化]

俗界から離れ、夜の花街で芸者さんをお座敷に呼んで遊ぶのは、お金持ちの旦那衆というイメージがある。いまの時代も、昔より門戸が開かれたといえ一見さんは座敷にはあげてもらえない。花街のお茶屋さんは、昔から「第二のお家」という気持ちで御贔屓さんをおもてなししている。そのお家に見ず知らずの人をあげない、という習慣がある。もっともな理屈である。

ここ数年、フェイスブックで京都祇園、金沢、高知、東京などなどの花街の芸者衆のお姉さんがたと繋がっている。芸者衆もSNS等で情報を発信し開かれた花街を紹介している。お陰で花街の伝統文化や習わし等に関心を寄せるひとりになっている。
昔、何度かお客さんに連れられ祇園のお茶屋さんに連れて行ってもらったことがあるが、俗界にたっぷり浸かっていた当時は、あのお遊びの粋さを知る由もなかった。

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そのお茶屋さんには、御贔屓さんをおもてなしする芸者さんが、それぞれに所属している。芸者さんには、ご承知のとおり「舞妓」さんと「芸妓」さんがいる。舞妓さんは、十代からお茶屋さんに入り芸妓さんになるために数々の稽古事や行儀作法を学ぶ。その稽古事には、舞踊、お囃子(笛・小鼓・大鼓)、三味線に唄(長唄・常磐津・清元・小唄)、そしてお茶等々、かなり厳しい稽古が続くという。一つだけでも稽古するのが大変なのに、と思ってしまう。
晴れて21歳になると芸妓としてお店にでて、舞妓時代に鍛え磨かれた技能をお客様のお座敷で披露する。
芸妓さんと舞妓さんとの違いは歴然としている。その大きな違いはまず頭(ヘアー)。舞妓さんは地毛(自髪)で結うが、芸妓さんはカツラをかぶる。写真を見ると確かにそのようだ。着物は、舞妓さんは中振り袖で肩を縫い上げ、帯は長くだらりと垂れ下げる。そしておこぼ(こっぽり)を履く。それに対して、芸妓さんは袖も短く帯は太鼓結びが普通のようだ。

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この花街には、伝統文化が根強く伝承されている。古くからの慣習や習慣、そしてお座敷、その空間、芸者さんの衣装や身形、さらにおもてなしをする技能等々あげれば切りがないほどある。厳しい世界であるのは言うまでもない。なによりもこの花街はおもてなしの “心と技と空間" が凝縮された世界である。
そんな花街の世界へ自分の意志でチャレンジする十代(中高校卒業)の女子が少し増えていると聞く。数少ない伝統技能文化の伝承者として頑張ってほしいと願っている。

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カワセミを眺めながら、冷水で淹れる煎茶を愉しむ [文化想造塾<易社/煎茶>]

「翡翠」と書けば、誰しもが宝石の “ヒスイ” と読む人が多いだろう。この漢字は別の読み方がある。水鳥の “カワセミ” とも読む。

煎茶席で掛けられていたお軸(写真)には、カワセミが一羽絵描かれていた。背中の羽の部分が鮮やかな水色、お腹部分がオレンジ色で、ブルーのくちばしが長いのが特徴の鳥である。羽は光によってエメラルドグリーンのように輝くブルーに変化するのも魅力で、 宝石の翡翠にたとえ “水辺の青い宝石” と呼ばれている。
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煎茶サロンでは、そのカワセミをテーマに話が進んだ。席では、このような日本画的な絵のお軸が掛けられているのは珍しい。だいたい墨画のものが多い。カワセミは、色合いがとても鮮やかなのでよく写真の被写体にもなっている。川で見かけるとだいたい二羽でいる場合が多い。つまり、オシドリ同様、つがいで行動する鳥である。

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二羽いるはずのカワセミが一羽しか描かれてない。それもよく観れば、なんと悲しそうな表情になっている。文学的に言うと、カワセミは ”愛の象徴” を意味する。それが一羽で、悲哀感が表現されている。ということは、待てども来ない愛しい人を想い悩む描写ということになる。
こんな悲哀の絵を鑑賞しながら、冷水で煎茶を六煎まで淹れ、一煎ごとに渋く変わっていく味を愉しんだ。
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