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平林寺の須弥壇を囲む迫力の四天王像 [文化想造塾<社寺>]

何かをキッカケに人の輪が広がることはよくある。人の輪とおなじように、いままでに知らなかったコトや見たことのないモノと縁がつながり深まることも多々ある。

半月前に、宝塚の「平林寺」で行われた「ひらりんフェスティバル」イベントの運営のお手伝いをしていく中で同寺を訪れることが何度かあった。それまでは全く知らない寺院であったが、それをご縁に関心を寄せている。寺院好きの筆者の琴線に触れたのが本堂の須弥壇である。


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まず、地方のいち寺院の須弥壇としては大きいほうだと思った。本尊の釈迦如来座像は開帳されていないが、須弥壇を囲むように立派な四天王が安置されている。仏教における四天王とは、「仏様という尊い存在」や「仏教の教え(=仏法)」を悪から守る最強の神様として祀られている。また、守護神という性格に加え、仏様だけでは救いきれない衆生(人々等)にご利益を授け救済をしてくれる福徳神という性格も持つ神様である。

その四天王は、「持国天」、「増長天」、「広目天」、「多聞天」の4仏。これらは、仏像のランクでいうなら、如来、菩薩の次に位置づけられている天部に属する仏像である。そり4仏は東西南北の四方を守り、持国天が東、広目天が西、広目天が南、多聞天が北を守る役割をもっている。
写真にあるように、須弥壇を取り囲むように立っている。眼光鋭く、忿怒相の顔を持つ持国天や増長天、そして手には武器を持つ多聞天などさまざまな様相で仏像が並んでいる。

寺院自体は、資料によると飛鳥時代、用明天皇の命で聖徳太子が創建し、平安時代に如一尼(平安時代前期の尼僧)が再興したと記されてある。そして1578年に信長に利用されることを恐れた 荒木村重の反乱に巻き込まれて焼失し、江戸時代に再興されいまに残されている真言宗系の単立の寺院である。本堂の前には弘法大師さんの銅像が東南を向いて立てられている。
一時は三十余坊が甍(いらか)を連ね繁栄していたようだが、現在は塔頭四カ寺(成就院、宝寿院、西光院、成福院)となっている。その四カ寺が新しい時代の、役割をもつ平林寺再興へむけて奮闘されている。


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持国天像は東方を守る仏像で鋭い眼光で睨み付け、右手に願いをかなえる力を持つ宝珠をもち、左手には剣や鉾をもつ

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増長天像は西方を守る役割をもち、右手に剣や鉾をもちもう一方の手は腰に手を当てる。持国天像と同じように、顔は忿怒相の顔を持ち武闘派の神将として表現される。

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広目天像は右手に筆、左手に巻物をもつのが多い。これらをもつ意味はいろいろ解釈があるようだが、鬼や魔物を監視し、良し悪しを記し帝釈天に報告するためにこれらをもっているといわれている。顔は、他の四天王像と違い、目は見開いて物事を見極めるという役割を表した姿。南方を守る役割をもつ

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多聞天像は、釈迦の仏舎利(遺骨)を納めた塔を右手に、左手は宝棒か金剛杵という仏教世界の武器をもっているのが一般的。北方を守る神将。甲冑をつけ、両足に悪鬼を踏まえ、手に宝塔と宝珠または鉾を持った姿で表される。

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リポート&写真/ 渡邉雄二

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尾道映画祭が今週末に開催。映画とグルメと音楽に酔いしれる [尾道映画祭]

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尾道映画祭2022が今週末の17日から3日間しまなみ交流館(テアトルシェルネ)やシネマ尾道の劇場などで行われる。2017年にスタートした尾道映画祭だが、新型コロナウィルス騒動で中止を余儀なくされたが、3年ぶりということで開催直前に盛り上がりを見せている。
今回は、映画祭に合わせ、「尾道映画祭 駅前マルシェ」や「映画と音楽と風景」が開催される。映画にグルメと音楽が加わり尾道の街はにぎやかフェス一色になる。

映画祭のスタートは、17日(金)の午後3時30分から映画「逆光」の須藤蓮監督とロケ地めぐりツアーが口火を切る。
そして本番が18日からの2日間。少し紹介すると、初日はしまなみ交流館で12時からオープニングセレモニーが行われ、そのあと12時30分より話題を集めた「空母いぶき」が同館で上映される。映画終了後には、原作者の漫画家である「かわぐちかいじ」氏がゲストとして登壇する。ビックコミックに連載された原作漫画についての制作エピソードが聞けそうなので楽しみだ。
そして、午後4時40分からは、「さがす」が上映され、終了後には、主演した「佐藤二郎」さんがゲストで舞台に。片山監督との撮影秘話が、佐藤さんのあのユニークトークで聞けるかも。


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一方、シネマ尾道では、午前10時30分からは「逆光」が上映され、その後は監督の須藤蓮氏と同作の脚本を書いた渡辺あやさんが舞台にあがり楽しいトーク。引き続き同館では、午後1時から「いとみち」(ゲストは横浜聡子監督)、その後は午後4時30分からは「叫ばないと生きていけない」が上映される。監督の森ガキ侑大氏と主演の松澤匠さんの二人がゲストとして登壇する。

夜は、カフェレストランのLOGで、沖田修一氏、須藤蓮氏、森ガキ侑大氏、川本直人氏の監督4人による「自主映画のいまと未来」についてのシンポジュウムが行われる。映画の街として若手の優秀な映画人が輩出されるキッカケ話などがシンポジュウムの中で聞けるかもしれない。

翌日の19日は、しまなみ交流館では午前11時からは、小説家・窪美澄さん短編小説を映画化した「かそけきサンカヨウ」(主演の志田彩良さん・石田ひかりがゲスト)、そして午後2時40分からは、主演の石田ひかりさんの「ふたり」が上映される。ゲストには石田ひかりさんと、尾道出身の故大林宣彦監督の夫人で映画プロデューサーの大林恭子氏と映画作家の大林千茱萸氏の3人が舞台に上がり尾道の映画談義に。

一方、シネマ尾道では午前10時から川本直人監督作品「渦潮」「渦汐」が上映。そして午前11時50分より俳優の青木崇高さんが自らのドキュメンタリー映画を製作。「青木崇高の「ウズベキスタン」までちょっと会いに」と「青木崇高のアメリカ西部までちょっと会いに」の2本を上映。青木さんがゲストとして登壇し、当時の撮影秘話を語ってくれるはず。楽しみである。
午後2時20分からは「おーい! どんちゃん」。そしてそのあと監督の沖田修一氏がゲストとして舞台へ。

盛りだくさんの映画祭2日間になる。地元の人たちはもちろんだが、遠くは関西や東京からも映画ファンが集まってくる。海のまち、山のまち そして映画のまちとして一歩一歩歴史を紡いでいく。

詳しいことは、尾道映画祭実行委員会 (TEL 080-8116-0684)までご確認ください。

この週末は「映画・えいが」で尾道は盛り上がりを見せる。それに駅前マルシェでグルメに舌鼓をうち、音楽がいたるところから響き聞こえてくる尾道になるはず。久しぶりの尾道にワクワクしている。


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リポート/ 渡邉雄二 スケジュール画像/ 尾道映画祭実行委員会、他 

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「松林図屏風」、まさに黒と白の宇宙 [近代水墨画]

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一昨夜、NHKbsプレミアムで放送された「美の壺」の最終章で紹介されたのが、安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の「松林図屏風」(国宝)。
近代日本水墨画の最高傑作といわれている作品。余白を表現するために松林を描いたようにも見えてくる。タイトルにあったように、まさに「黒と白の宇宙」である。

SNSで発信すると、ニューヨークの写真家からは、数年前にNYCで展覧会があったときに観た。“心から感銘した”と絶賛のコメントがあった。美しい、と思う評価はどこも同じのようである。


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          東京国立博物館 応挙館に飾られた松林図屏風


NHK bsプレミアム「美の壺」より
写真は同番組の映像を複写転載

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皆川淇園の「有斐斎弘道館」がいまに伝わる [伝統文化]

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先日、知り合いの仏所を訪ねた折に、いくつか気になる場所があり写真におさめた。知人の仏所工房は上長者町通りを西へ入り土御門町にある。訪ねる途中に、烏丸通から上長者町通りを西に歩いていると、マンションらしき建物に挟まれ、昔ながらの格子門があった。目に留まったので近づいて見ると、「弘道館」という看板が掲出されていた。反対側の掲示板には「有斐斎 弘道館」と書かれ、その下に、江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園(みながわきえん)が創立した学問所とあった。
この文言を読んで初めて気づいた。江戸時代の画家である円山応挙や池大雅などと深い親交のあった人物で、先日、京都国際近代美術館で開催されていた「京の大家と知られざる大坂画壇」という展覧会で皆川淇園の作品を観たので記憶に新しく残っていた。

その皆川淇園の学問所がここなんだ、と偶然の出会いに驚くとともに皆川淇園をさらに知るキッカケとなった。知人の仏所の帰りにもう一度、門の前に立ち寄り写真を撮った。格子の門からは路地が見えるが玄関らしく物は見えない。複合住宅に挟まれながらきっと奥がふかいのだろうと想像はつくが、中の様子はうかがい知れない。想像だけが膨らむ。


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帰って調べてみると、その様子が記されてあった。
路地を抜けるともうひとつ門があり、それをくぐると、その脇に「腰掛待合」という茶室に備えられる小さなベンチのようなものがある。正面には古い数寄屋建築の建物があり、左手には庭が広がっている。建物内には、L字型に四間続きの広間と茶室があり、手入れが行き届いた庭が広がる。


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江戸中期に皆川淇園が学問所を開いていたと伝わる場所のようだ。そのことを示す石碑が現在も有斐斎弘道館の門の前に立っている。淇園のもとには多くの門弟が集まって学問に励んだという。特に易学の研究者として有名で,公家,諸侯など教えを請う者 3000人に及び、1805年に私塾弘道館を設立。門弟を指導するかたわら、詩や書、画にも凌駕していた。画は円山応挙に師事し山水、人物、花鳥の図画にも非才を発揮し、画家の養成にも尽したといわれている。門下には木村蒹葭堂らがいるようだ。


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京都はご存じのとおり、歴史的な事象が多く残っているところである。文化芸術面では歴史的人物の宝庫だった。だから、学びたい多くの人びとが京都に集まってきた。その空気はいまも感じられ、その証となる建物や場所は、今の人たちが引き継ぎ残していく必要がある。その文化伝承活動の一つとしてこの有斐斎弘道館も残され、いまに伝えられている。そして未来へも。

リポート&写真/ 渡邉雄二 写真/ 皆川淇園画像を転載・有斐斎弘道館画像を転載

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日頃の、自分の書体文字で般若心経を書く [仏画曼荼羅アート]

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タテ90㎝、ヨコ36㎝(原寸大)の中に276文字の般若心経と仏画1体を描くのはかなりのプレッシャーがあったように思う。
このような大きさの紙に、筆で文字を書く難しさは想像がつく。長年、書道をしている人でも紙に向かうときはかなりの緊張感があるという。

この課題は、見た目はシンプルなのだが技量的ハードルは高いように思う。心の雑念を取っ払えば気持ちのスイッチを切り替わる。しかし、口では簡単にいえるが、なかなかスイッチを切り替えるのは至難の業ではあるが・・・。
それでも、いつも書いている文字をいつも通りに書けばよい。形よく美しい文字よりも、自分の書体で書くことがこの課題のポイント。なんども口が酸っぱくなるほど伝えた。

仏画曼陀羅アート教室では、毎回般若心経は書くが見本を写すことはなく、自分のいつもの書体で般若心経を書くことにしている。手本もとくにない。日頃の書いている文字で書くようにしている。いうなら、自分の書体がお手本である。

この課題を取り組みはじめ、教室では頑張っている姿は残念ながら見ることは少ない。宿題ではないが自宅での取り組みになっている。その方が集中できるし自然な思考で思いきりよく書けるようである。力が抜けてくるような感覚になれば嬉しい。
その結果が、以前もいくつか紹介したが、このような出来映えである。全員とはいかないが、ブログ発表会として紹介する。


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                 各教室の皆さんの作品

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      大日如来を囲み、観世音菩薩・弥勒菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩の曼陀羅図

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                  練習に励む

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リポート&写真/ 渡邉雄二 制作/ 仏画曼陀羅アート各教室の皆さん

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楽しみの「美の壷」、また次回も [TV番組]

「暮らしの中の多彩な “美” を伝えます」をキァッチフレーズに、金曜日夜7時30分よりNHKbsプレミアムで放送されている「美の壷」。好きな番組で欠かさず視聴している。


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              煎茶席での敷物「和更紗」

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           佃一輝氏の文人煎茶のこだわり「和更紗」


前週は、日本独自の染めものに発展させた「和更紗」を紹介。放送の前段では、以前、稽古に通い煎茶のイロハを教えていただいた一茶庵宗家の佃一輝宗匠がとっておきの和更紗を公開。文人煎茶のこだわりの逸品として解説されていた。

そして次回は、また興味のある題材が放送される。「黒と白の宇宙 水墨画」という題材である。この回に登場される、松から作られる貴重な「松煙墨(しょうえんぼく)」の日本でただひとりの職人である堀池雅夫さん。フェイスブックでの可愛らしい自筆イラストに心癒されている。その松煙墨の職人技が紹介される。
他には、世界で活躍する書家・紫舟さんや「鳥獣戯画」の躍動感の秘密を語る水墨画家大竹卓民さん。そして俳優・イッセー尾形さん憧れの水墨画「松林図屏風」(長谷川等伯)を前にイッセーさんの語りも見応えありそう。


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           次回の美の壷「黒と白の宇宙 水墨画」


お時間のある方は、ご視聴ください。

リポート/ 渡邉雄二 参照資料/ NHKbsプレミアムチラシ 写真/ NHKbs「美の壷」映像複写転用

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大都会の写経場に通う人びと。【NHK ドキュメント72時間より】 [文化想造塾<社寺>]

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一昨夜、NHKの番組「ドキュメント72時間」を観た。ご存じの方も多い人気番組である。72時間、ある事にかかわる人たちを紹介していく、ちょっとユニークな番組として定着している。

今回は、大都会のお寺の写経場に通う人たちを3日間通しで紹介していた。
中学受験を控える小学生とその母親、霞ヶ関の公務員の青年たち、夜勤明けのタクシードライバー、出勤前の山手線の車掌さん、そしてご主人の法事を済ませ駆けつけたご婦人などなど老若男女さまざまの人たちが登場していた。その場所というのが、五反田にある薬師寺の東京別院の写経場である。


写経をするのは人それぞれ理由があるだろうが、共通して感じられたことは「心を整える」時間になっているようだ。墨をすって、小筆で276文字を一気に書いていく。1時間ほど集中する。終わったあとは不思議とスッキリして帰れる、という声があった。日常にはない、一服の心の安定剤としての時間を楽しんでいるかのようだった。


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リポート/ 渡邉雄二 写真はNHK「ドキュメント72時間」映像を複写転用 

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あだち幸氏の、慈悲深い「不動明王三部作」が奉納される [あだち幸]

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手書き友禅染の独特の技法で仏画を描く、友禅画家のあだち幸さん(岡山県井原市)が先月の28日、広島県廿日市市宮島町の真言宗御室(おむろ)派大聖院に、「不動明王三部作」のひとつである、黄金の輝きを放つ不動明王を奉納した。

2019年10月には、不動明王三部作の「不動明王-Ⅱ」が修験道門跡の京都聖護院に奉納され、昨年の6月に「不動明王-Ⅰ」は世界遺産の京都・仁和寺に奉納されたことは紹介したが、それに続いて今回、「不動明王-Ⅲ」が宮島の大聖院(広島)への奉納が果たされた。


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あだち幸さんがこれらの大作不動明王を描くきっかけになったのは、2011年のあの東日本大震災。大震災による大災害や、それによる福島第一原発事故の悲惨な状況に心を痛め、“怒り”と“鎮魂”の強い思いを込め描き始めた。三部作ともご覧のとおり、何かに向かって踏み込んでいくような迫力がある。


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京都聖護院に奉納された不動明王-Ⅱ(高さ2.18m×幅2.25m)は、炎の中に包まれる不動明王の勇ましい顔に、頭の群青が澄み渡る青空のようにも透き通る海の色にも見えてくる。


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仁和寺に奉納された不動明王-Ⅰ(横4.8m×縦2.7m)の屏風画で、炎に包まれる不動明王がもつ剣と太陽が青で表現されている。大屏風の中から不動明王が、多くの痛みや苦しみを救ってくれるかのような慈悲の姿に見える。


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そして、不動明王-Ⅲ(横1.35m×縦2.7m)は軸装されている。群青の中に黄金の不動明王が浮き上がっている。勇ましい顔ではあるが、多くの喜びを享受することができる慈悲深い不動明王のように見えてくる。

不動明王の三部作の最後を飾った「不動明王-Ⅲ」の奉納式が5月28日に大聖院で行われ、吉田座主(仁和寺宗務総長)よりあだち幸さんに感謝状が贈られた。同作品は引き続き常設されている。これらの三部作は各寺院で一般公開されているので、ご高覧ください。

リポート/ 渡邉雄二 写真/ あだち幸仏画工房

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落語とお経の共通点、「言葉」 [雑感]

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先日の佛日寺寄席では、お寺ならではの行事があった。
落語がはじまる前に、和尚の木魚と鐘に合わせ全員で般若心経を「読経」した。
参加者全員にフリガナを打った般若心経が2種類配られた。一つは私も馴染のお経であったが、もう一つが今までに見たことのない、同じ般若心経ではあるが読み方が違うものであった。

般若心経が書かれてある紙には、馴染のものには「平安時代以前に伝来 呉音(ごおん)の般若心経」と記されてあった。お恥ずかしいが、この呉音ということもわからないありさま。さらに、もう一枚の般若心経には「江戸時代隠元禅師伝来 黄檗唐韻(おうばくとういん)の般若心経」とあった。
中国の昔の時代やその地域の言語の違いなのだろうか、それが日本に伝来された時代によって発音が異なるようだ。


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           平安時代以前に伝来 呉音(ごおん)の般若心経

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      江戸時代隠元禅師伝来 黄檗唐韻(おうばくとういん)の般若心経

通常の般若心経では、呉音というは日本語の漢字音(音読み)の一種なので読み方として我われには分かりやすい。呉音は資料によると、漢音以前に日本に伝えられた字音で、揚子江下流の南方方言のものであろうと推定されている。仏教経典の読み方に多く用いられているとのことだった。
一方、黄檗唐韻とは、黄檗宗独自の読経ということだった。近世の中国語の発音に近い発音で読経が行われているようだ。

黄檗宗は江戸時代初期に隠元真空大師が来日し開山した宗派で、現在日本にある13宗では一番新しい。臨済宗から独立した禅寺系である。だから現在も黄檗宗では、隠元禅師伝来として般若心経は黄檗唐韻の読み方であげられている。

落語会に参加された皆さまもフリガナをたよりに読経した。時代のなごりなのか、慣習なのか、見慣れないものに触れるのは新鮮だった。お経と落語を同じ土俵では語れないが、「言葉で伝える」作業としては同じことのように思えた。貴重なお寺での落語会だった。


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リポート&写真/ 渡邉雄二

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