SSブログ

若大将のフィナーレ 【24時間テレビエンディング】 [雑感]

24時間2.jpg


先週末は日本テレビ系の24時間テレビのエンディングを視聴。最後はやはりこれ! サライの熱唱が最終を飾る。

今年はとくに加山雄三さんと谷村新司さんのコンビ熱唱に注目が集まった。加山雄三さんは3年前軽い脳梗塞を患い、それ以来、2022年内をもってコンサート活動は中止すると宣言していた。24時間テレビで見られる若大将の姿と歌が、今回で最後なのかなと思えば万感迫る思いであった。谷村さんとのふたり一緒の舞台姿が若大将としてのフィナーレだった。
ひときわ加山さんの熱唱ぶりが画面にアップされた。感極まる表情や最後を飾る必死さが美しくも見えた。


24時間1.jpg

24時間3.jpg

※お詫びと訂正
加山雄三さんのコンサートはしないというニュアンスの表現をしていましたが、正しくは2022年内まで開催されます。9月9日は東京国際フォーラム・ホールAで行われ、そして12月の豪華客船「飛鳥2」での船上ライブが最後のコンサートになります。

リポート&写真/ 渡邉雄二 写真は、日本テレビ系「24時間テレビ」を複写転載

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

光明寺本堂に安置される法然上人の「張子の御影」 [文化想造塾<社寺>]

光明寺4 (2).jpg


本堂に上がった時はすでに蝋燭の灯が落ちていた。本堂内では僧侶の方たちが片付けを済ませ堂内を立ち去ろうとしていたところだった。
法然上人が自ら造られたといわれている「張子の御影」を一目見たいと思い参上したが、残念ながら須弥壇の奥に安置されている御影は肉眼では見えなかった。

この張子の御影は、建永2年2月(1207)法然上人が75歳の時に造られた尊像で、弟子の罪により四国へ流罪された時に船の中で、同行した湛空が後の世の形見に何か形あるものを残して欲しいと申し出たことにより、母君秦氏からの手紙をもとに法然上人自ら造られたもの。身丈は一尺五寸(約45cm)の尊像である。

青々としげるモミジやカエデが境内を包み込んでいた。紅葉シーズンは紅黄色に染まり、見事な景観が楽しめる。


光明寺13 (2).jpg


リポート&写真/ 渡邉雄二

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

絵を通じて “生きる執念” を伝える 【画業60年の歩み<伊藤弘之>】 [文化芸術]

伊藤弘之.jpg

85歳にして活動の領域を広げている方がいる。西宮市在住の洋画家・伊藤弘之先生。伊藤先生は独立美術協会会員で、天高く翔けるメリーゴーランドやカルーセル(回転木馬)をモチーフに、幻想的な空間を描く画家として知られている。
自宅をアトリエに精力的に制作活動しながら長年芸大で後進の指導にあたってこられた。また、自らが運営する西宮現代美術研究会で指導、絵画の楽しさや豊かな芸術文化の発展に貢献されてきた。

その長年の功績が認められ、最近では令和元年度の西宮市民文化賞を受賞された。それ以来、さらに画家としての領域がひろがり意欲的に活動を続けておられる。市民文化賞の受賞記念として、昨春、「カルーセルを主体とする、画業60年の歩み」と題して大作を含む90点が年代別に展示された展覧会が開催された。
また、昨年には世界遺産登録を目指す「鳴門の渦潮」の機運を高める、鳴門の渦潮に翔ける渾身のカルーセル3点(一枚は横2.59m、縦1.93m)が県民局(洲本総合庁舎内)に寄贈され話題を呼んだ。

伊藤弘之 受賞記念1.jpg
             西宮市民文化賞を受賞記念の展覧会

伊藤弘之 渦潮.jpg
          寄贈された鳴門の渦潮に翔ける渾身のカルーセル3点

今年に入り、いままでの活動の功績が称えられ「紺綬褒章」を受賞された。また、兵庫県の芸術文化の振興に寄与したということで知事より感謝状が贈られた。画業60年の長きにわたる活動は止まらない。これからも命が続く限り「カルーセル」を描き続けるという。絵に対する深い執念が伝わってくる。

今月末から西宮現代美術研究会展が8月30日から9月4日まで西宮市立北口ギャラリー第3展示室で行われる。そのあと私の視点シリーズが続く。研究会展と同じく西宮市立北口ギャラリー第3展示室で「私の視点5」が9月13日から18日まで開催される。

伊藤弘之展覧会.jpg

リポート&写真/ 渡邉雄二

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

空と地上のコントラスト 【「あの一枚」展】 [雑感]

青く耀く空、
白雲から覗く青く煌めく空、
白雲と雨雲が混ざりあう空、
そして雨雲に覆われる空。

気象状況でさまざまな変化をもたらす雲によって空の表情が違う。
それぞれの時、空に向けてシャッターを切ると、
面白い、楽しい、そして美しい画像が写る。

今回の、「あの一枚」展は、
いろんな表情をもつ空と地上のコントラストの違いを楽しむ一枚となった。


踊る富士.jpg

碧き五重.JPG

天空の白鷺.JPG

浮く美術館.jpg

明石海峡大橋.jpg


リポート&写真/ 渡邉雄二

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

いまの生活スタイルにあわせ 【土御門仏所Ⅱ】 [仏像と仏師]

仏師、三浦耀山氏の工房を訪ねた際に、壁にこのような可愛らしい仏像彫刻作品が飾られていた。飾り物としてのものかと思いきや、壁に沿って下には、お輪にりん棒とお線香皿が台上に置かれていた。すべてを取っ払った仏壇ということのようだ。台上に写真を飾れば、毎日お参りができる。

仏像としては、家に伝わる信仰宗派の本尊、亡き人の信仰本尊、好きだった仏像などを飾れば毎日の祈りの対象になる。
今ではいろんな生活スタイルがあるのと同じで、こういう形もあってもおかしくない。


三浦2.jpg


リポート&写真/ 渡邉雄二

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

子安地蔵とタイタンビカス、そして仏画曼陀羅アート [仏画曼荼羅アート教室]

昨日の仏画曼陀羅アート教室は池田市の「佛日寺」。佛日寺は黄檗宗の寺院で、黄檗宗の開祖、隠元禅師が開山した寺院である。黄檗宗の独特の雰囲気ある三門が特徴。その三門をくぐるとすぐ左に石仏の地蔵尊がある。その地蔵尊は錫杖と一緒に子供地蔵を抱え、また足元には子供地蔵2体が寄り添っている。子安地蔵(こやすじぞう)と呼ばれ、妊婦の安産を守護するという地蔵さん。路傍の神である道祖神として子供の守り神として存在している。


佛日寺6.jpg


境内には、菩薩像や達磨像などがあり、その周辺には花々が植えてある。この猛暑の中で紅色の「タイタンビカス」が空と三門をバックに生き生きと咲いていた。


佛日寺2.jpg


さて、昨日仏画曼荼羅アートに参加された方たちの作品を紹介すると、前回よりの課題だった「七福神」を仕上げ、それぞれの神様の社寺を回り御朱印をいただき、自分が描いた神様の下に貼り付けておられた。その行動力にはビックリするとともに、素晴らしい作品の完成に参加者全員で拍手を贈った !


佛日寺3.jpg

佛日寺4.jpg

佛日寺5.jpg


リポート&写真/ 渡邊雄二

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

三浦耀山、仏師への一歩 【土御門仏所 Ⅰ】 [仏像と仏師]

三浦5.jpg


土御門仏所(つちみかどぶっしょ)の代表である三浦耀山(みうらようざん)さん。前回紹介してから少し時間が経つが、改めて写真を通し仏師としての姿を紹介したいと思う。すべてを一度に紹介するのは少々無理があるので何回かに分けて記載していく。その第一弾が、「耀山、仏師への一歩」と題して紹介する。

仏師は特殊な職業のジャンルになるのだろうか。彫刻の中でも仏像を彫る専門家であり、新しい仏像を造ることはもとより、仏像を修復することも大きな仕事である。やはり一般職とはかなり違う、特殊な仕事ということになる。
手に技術を身につけたいという若い人の職人願望が増えている(数年前の大学就職アンケート調査)。その中でも将来、仏師になりたいという若い人の中で女性の増加が目立つ。芸術系大学や伝統工芸・工科大学等で仏像彫刻を学ぶ学生が増えていることから、将来「仏師」を職業にしたいと希望者が増加しても不思議ではない。現実に、随所で女性仏師の活躍を知ることが多くなった。

ただ、これらの職種は典型的な技術優先の分野で、プロフェッショナルとして生きていくためには莫大の時間が要する。いまの時代でいう即戦力という言葉は当てはまらない。必要な能力は時間をかけ努力を惜しまず技術を磨き高めるしかない。匠の技術を身につけるためには、昔からよく10年はかかるといわれている。その時間と環境や状況などに耐えられるかどうかが大きなカギになってくる。

今回、紹介する三浦耀山さんが学生時代に学んだのは、仏像制作の世界とは真逆ともいえる政治経済の分野。それも長きにわたり日本国内の私立大学文系学部における最難関に位置づけられている早稲田大学の政治経済学部を卒業。偏見に満ちた表現になるかもしれないが、なぜ、仏師の道へと進んだのかを聞きたくなる。
そのキッカケになったのは、ある一冊の本だったという。その一冊が「見仏記 (みうらじゅん氏といとうこうせつ氏共著)」だったそうである。大学卒業しサラリーマンになったが、仏像の魅力に傾倒する自分をみて、自分の道はこれしかないということで、25歳の年に一念発起し仏師の世界へ飛び込んだ。滋賀県大津市の大仏師 渡邊勢山師のもとに弟子入りした。内弟子期間を含め13年間にわたり仏師の修行を積み、2012年に独立。京都の古い町家を工房に改装し仏所を開いた。


三浦10.jpg

見仏記.jpg
2017年には「新TV見仏記」という番組で
みうらじゅん氏といとうせいこうせつ氏が工房を訪ねる。三浦耀山氏FBより転載


古くから仏師は、仏所の名称に工房がある通名や地名を使っていたことから、耀山さんは自分の工房が上京区土御門町という地名なので、それにあやかり「土御門仏所」という名前に。京都ならではの格式のある仏所名に気が引き締まる思いだった、と開所当時を振り返った。

十数年前に、私が渡邊勢山師の工房を訪れた際に、何人かおられたお弟子さんの一人として活躍されていた。それが最初の出会いだった。つづく


リポート&写真/ 渡邊雄二・三浦耀山氏のFBより転載

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

涼しげに揺れる「猫じゃらし」 [雑感]

先日、暑いさなか田んぼ道を歩くことがあった。稲穂が青々と伸びてきている中で、それ以上に伸び風に揺られていたのが「猫じゃらし」。俗称だとわかっているものの正式名称は知らない。
調べて見ると、夏から秋にかけてつける花穂が、犬の尾に似ていることから、犬っころ草(いぬっころくさ)といわれ、それが転じて「エノコログサ」という呼称になったと記してあった。これが正式な和名称のようだ。ウソのようなホントの話!?
私が知るのは「犬」ではなく「猫」である。昔から「猫じゃらし」と馴染んでいた。それは、花穂を猫の視界で振ると、猫がじゃれつくことからそう呼ばれるようになったのは想像つく。

明後日が処暑、暑さが落ち着いてくる季節である。そして9月の初旬には白露。朝夕が冷え、草花や木に朝露がつき始めるころになる。暑さ苦手な私にはもうしばらくの辛抱である。
それまで暑さをしのぐ「ひとじゃらし」なるものがあればよいのに。


稲穂.jpg


リポート&写真/ 渡邉雄二

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

一枚にインプットされた記憶 【あの一枚 展 <夜の帳がおりたころ>】 [雑感]

夜の帳がおりたころに眺める景色は情感あふれ美しさがきわだつ。
撮りためた写真のなかに、「夜の帳がおりたころ」のものが何枚かあった。

この一枚は、あの時の・・・
これは、あの場所で・・・

その時の記憶が、これらの一枚一枚にインプットされている。
不思議と詳しく記憶が呼び起こされる。
頭は鈍っても、写真って頼りになる追想の繙きのようだ。


かすむ夜に.JPG
                   月光で桜おどる


紺碧の月夜.JPG
                  十五夜に風にゆれる 


鴨川に灯り.jpg
                  家灯が水面にゆらぐ


薪の能.JPG
                  水辺に浮く明りの舞


夕映えの海の川.jpg
                   夕映えの海の川


リポート&写真/ 渡邉雄二 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

王羲之が書聖といわれた功績 【王羲之伝Ⅰ】 [中国古典]

王義之画像1.jpg


「王羲之」に興味をもつキッカケは、西宮の北山緑化植物園に行ったときに、北山墨華亭の回廊に王羲之が書いた巻物のレプリカが展示されており、それを見たことで好奇心のトビラが全開した。
名前は知っていたものの、どんな事をした人物なのかは全く不見識であった。ただ、墨華亭回廊に飾ってあった巻物にはびっしりと漢字が書き詰められていた。不思議な書物というか、見た目の凄さにトビラの奥へと引き込まれていった。


北山墨華亭.jpg

王義之8.jpg


まずは王羲之という人物について調べて見ると、中国山東省の琅邪(ろうや)という所で生まれ、会稽(かいけい/現・浙江省紹興市)に住んでいたという記録があった。時代は西晋時代の303年から東晋の361年(諸説あり)までの58年間を生きた人物ということのようだ。いまから1600年以上前の話である。
では、1600年経ったいまの時代においても王羲之の功績が語ら継がれているのは、漢字の「字姿」、つまり書体を作った人だからなのだ。東アジアの漢字文化圏で多大な影響を与え、漢字を使う我々も大なり小なり王羲之の影響は受けていると言える。後世に「書聖」と崇められ、歴代の皇帝に愛好され「王羲之信仰」といものが形成されたという。

書道(書)をされている方々は王羲之といえば、理解されるのだろうが、門外漢の私にとっては難解であるのは間違いない。当時、漢代以来の隷書体(認印などでよく使われている)が主流であったが、王羲之が貴族達に好まれつつあった楷書、行書、草書を用いて書を記したことにより、これらの書体が人々に認知されるきっかけとなった。
王羲之は優れた書をかくためにあらゆる書体表現に挑み、過去の堅苦しい伝統的な書体にとらわれず革新的な独自の書風を完成させた。当時、文雅な遊びが流行るなかで書の深遠な作用を意識しながら精妙な字姿を追求した。
さらに、歴代皇帝が王羲之を「書聖」と崇めた理由には、後世に名を遺した「精妙な字姿」を完成させたことに加え、王羲之の文章の簡潔さと、また片言隻句に至るまで、当時の政治や文化、風習はもとより王羲之の微妙な心の動までも伝えている。そういう豊かな思想的なことを内在させる表現力に精倒し、皇帝のお気に入りになった。

つまり、字姿と簡潔で卓越された文章表現力が王羲之の後世に名を遺す最大の要因になった。その代表的な作品が「蘭亭序」である。究極の行書といわれている最高傑作で、当時の誰もが認めたものである。残念ながら王羲之が書いたすべての肉筆の書は、当時の太宗皇帝が眠る昭陵(太宗が眠る陵墓)に埋葬されたといわれており、王羲之の肉筆は一点も残されてない。
北京・故宮博物院所蔵のものや、書籍で見る王羲之の書籍にある書作品は、拓本や摸本などで写されたものである。太宗皇帝が、王羲之の名跡を能書(文字を書く熟達者)に臨書させ、また専門職人に摸本を作らせたといわれている。それらをさらに模写され多くのものが世に出回り広がっているものばかりである。


王義之書籍2.jpg
           書聖 王義之の世界<島谷弘之著>にある「蘭亭序」

次回は、王羲之自身も最高傑作として認めた「蘭亭序」について紹介する。

リポート&写真/ 渡邉雄二 参考文献/ 王羲之ウィキペディア・書聖王羲之の世界(島谷弘幸著) 王羲之の写真/ 王羲之画像より転載

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
尾道・文化紀行 https://asilight0911.com/hiroshima_onomichi/

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー