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蝉一匹から王安石の心情を読み取る 【一茶庵煎茶追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

夏の風物詩という言葉が妥当かどうかわからないが、蝉の鳴き声で目が覚めることがよくある。うるさい、といえばそれまでであるが、短い命を精一杯表現しているかのように思える。そして夏のおとずれ知らせてくれる。

そんな蝉の違った喩え方やストリーを中国の古典から学ぶこともある。
煎茶稽古で、掛けられていたお軸からー

王安石1.jpeg

今夜(先日)のお軸は、蝉が一匹。
漢文漢詩的には、蝉はこの時期によく登場する題材の一つである。
中国では秋蝉(しゅうせん)といわれ、騒がしい比喩として使われ、また地中から出てきたセミは復活の象徴とされている。玉(美しい石)などをセミの形に彫り、復活の装飾品にしているのもあるという。

そこで、今夜のお題で登場したのが、北宋の政治家であり文人として名を馳せた王安石の「題西太一宮壁」。漢詩としては珍しい六言絶句である。

柳葉鳴蜩綠暗,
荷花落日紅酣
三十六陂流水,
白頭想見江南

非常に高いレベルの詩のようだが、われわれにはその凄さはなかなか読みとれないが、訳すならば、

柳葉鳴蜩緑暗
柳の樹でセミが鳴き、柳の葉が色濃く繁り暗くなっている。つまり、騒がしい批判の声があがっており、鬱陶しい。そんな時期の暗さを表現している。

荷花落日紅酣
蓮の花は、沈もうとする太陽に花が紅に染まっている。今は絶頂期であるものの、やがて衰退期を迎える。

三十六陂流水
三十六の湖沼が四方八方に広がって流れている。

白頭想見江南
これを見ると故郷の江南を思い浮かべ故郷を連想する。そこで隠棲したいものだと想いを馳せる。

王安石2.jpeg

ということになる。
蝉を引用しながら一節ごとに、柳の草色、太陽の赤、流水の水色(茶色?)、そして白髪の白など、文字で色を表現し楽しんでいる詩である。
人生の終焉には故郷を偲ぶのは人の常なのかもしれない。

蝉が一匹しか描かれていないお軸も珍しい。煎茶を愉しむ人たちは、お軸を見ながら描いた人の意図を読み取り想像し話題を広げ楽しむのである。小難しいあそびと思いながら筆者のような頭の固い者には頭の体操になっていいのかもしれない。
そこで、稽古ではこのお軸から「王安石」の題西太一宮壁を連想。佃宗匠らしい計らいである。
お茶は、やはり雁が音ということになる。

※この記事は2018年9月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載

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関雪記念館の煎茶会で、「ムーラン」と「呉昌碩」を語る 【一茶庵煎茶追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

昨日、白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念美術館と文人煎茶・一茶庵共催の煎茶会が行われ、手伝人として参加した。梅雨晴れの日曜日、午後1時30分から4時まで美術館と存古楼(ぞんころう)に分かれ2席行われた。

関雪1.jpg

美術館では、大正7年に描かれた関雪の名作といわれる「木蘭(ムーラン)」をガラスケースから取り出し、関雪のお孫さんにあたる橋本家御当主橋本眞次氏が “関雪の世界” を朗々と披ろう。そして関雪がこよなく愛した煎茶を来場者とともに堪能。                     この「木蘭(ムーラン)」の話になると、ご当主も力が入る。中国に伝わる民話で老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍。各地で勲功を上げ、自軍を勝利に導いて帰郷するというストーリーのもの。
帰郷の途につく木蘭と従者が、馬を休ませている場面。従者から少し離れた木陰で兜を脱ぎ、束の間少女の優しい顔に戻る木蘭が鮮やかな群青の衣服で描かれている。

関雪2.jpg

関雪3.jpg

一方、存古楼では、一茶庵宗家嫡承 佃梓央氏が関雪と親交があった、近代中国の大文人・呉昌碩(ごしょうせき)の名筆を、美術館同様にガラスケースから取りだし、読み解きながら解説。呉昌碩を通し関雪の文人画家として生き様を紹介した。
この席では極上の玉露がしみる一席となった。

久々の着物に動きが鈍ぶったが、大文字を借景に眺める庭は、京独特の蒸し暑さを忘れさせてくれた。

関雪5.jpg

※この記事は2019年7月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載

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タライに月を映し、毬と、梶の葉の裏に願い事を添えて ! 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

七夕は、7月7日。
ご存知のように、すべての暦(こよみ)は新暦で行われている。
その昔、旧暦で行われていた歳時や祭り事は、いまの新暦でいうと当然ながら季節のズレが生ずる。
自然の摂理に基づいて行われていた事が、新暦に準ずると違和感が生じる。そういう違和感をもつ祭り事の中で七夕もそうである。新暦では7月7日であるが、旧暦にあてはめると通年8月10日前後となる。

七夕2.jpg

いつもは8月10日前後に夜空を眺めると、もしかすると天の川と織姫星と彦星と上弦の月が見られるかもしれない。上弦の月があっての七夕のようだ。この時期が一番織姫星と彦星が接近する。しかし天の川を挟んでいるから逢うことはない。
そこで、彦星が上弦の月に乗って織姫に逢いに行く。そんな楽しい伝説がある。だから七夕は、上弦の月を入れ”七夕伝説”が成り立っているようだ。

さて、稽古で写真にあるお軸が掛かっていた。
これが七夕を表現するお軸 ?
賛を観ても画を観ても、七夕を想像させる要素が全く見あたらない。なら、画はなにか、ということから始まった。たぶん毬(まり)だろう。なら、葉っぱは何なんだろう、となるが思い当たるものが出てこない。
賛の漢詩を詠むと最後に「乞巧(きっこう)」と書かれてある。ご存知の方も多いだろうが、この言葉が、中国でいう七夕のこと。
七夕は、古代中国の祭り事である。それが日本に伝わり日本の風俗や地域にあった七夕に変化していった。中国はいまも七夕を祝う風習はあるようだ。日本のようにお供えをするらしい。中国の場合、女性のお祝い事のようである。裁縫や手芸が上手になりますように、と。
賛に書いてある七針(針に七つの糸を通す穴がある)で七色毬をつくる。その毬を置いて、七夕の夜に天の川と2つの星、そして月をたらいに映し出し、梶の葉の裏に願い事を書いて浮かべるというお遊び。だから、毬に梶の葉を添えて七夕を表現している。

七夕1.jpg

解説を聞いていると一つの祭り事でも、時代や地域、また人の捉え方で内容が異なる。基本情報をおさえながらそれぞれの捉え方で楽しむのがいいのかも。
昨夜は全国的に雨、曇りで夜空に天の川は見ることはできなかった。旧暦でいうと8月10日前後だから、もう一度チャンスがあるかも。ぜひ!

※この記事は2015年7月「心と体のなごみブログ」に掲載したものに加筆し転載

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人に見せない。見せると芸事になる。文人茶の極意かも。 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

一茶庵には、文人が愛した煎茶を愉しむ環境が整えられている。
前回は「離房法」という稽古をした。
離房というのは、煎茶を淹れるところと飲むところが異なること。
淹れるところは水屋ではなく茶房。飲むところは書斎。書斎から淹れているところが微かに見える。
山水画には山麓に佇む家がよく描かれている。母屋の後ろに小庵が連なっている光景をよく見かける。その小庵が茶房になり茶を淹れる庵である。

離房法.jpg

離房法3.jpg

離房法4.jpg

離房法1.jpg

文人茶を伝承する一茶庵ならではの茶の愉しみ方を我々も体験させていただける。それが離房法である。俗っぽくならないためにお点前を人に見せない。見せると芸事になってしまう、ということらしい。

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停雲思親友也。友を想う! 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

コロナ禍で仲間や友人に会うこともままならない。また、好きなところに出かけるのも控えている。
こんな時期だから改めて、以前に体験したことや教えていただいたことを思い起こすと、その時は感じ取れなかったものが、不思議と見えたり感じたりする。

煎茶稽古も、その一つ。
毎回、稽古に行く前にいつもながら頭を巡らすことがあった。それは、どんなお軸がかけられているのだろうか。またどんなお茶が楽しめるのだろうか、と。
その時は、氷水で淹れる玉露。玉露は喉を下るほどの量はないが、口の中にキレのある玉露独特の味が広がる。夏の夜に、ひとりで想いにふけるのには堪らないお茶である。
その想いに合わせたかのような、この水墨画。中国の険しい山々の景色が描かれている。山から流れ下る川沿いの家では人の営みが見える。
この画を見ていると、陶淵明(とうえんめい)の「停雲」の詩に引き寄せられていく。

停雲5.jpg

停雲思親友也 
樽湛新醪園列初栄 
願言不従歎息弥襟

という一節がある。
雲たちこめて懐かしき友を思う 樽には新酒が満ち庭の花は咲きそめている 君と会い語ろうと思うが叶わない、ため息で胸がいっぱいだ…
という訳になる。

停雲靄靄 時雨濛濛 八表同昏 平陸成江 
有酒有酒 閒飲東窓 願言懐人 舟車靡従

たちこむる雲は靄靄(あいあい) 春の雨は濛濛(もうもう) 八方すべて暗く 平地は川となって水があふれる 酒がある、酒があるではないか 東の窓にもたれてゆったりと杯を傾ける 友と旧交を温めたいと願っても (この雨では)舟も止まってしまっているだろう

停雲2.jpeg

これらの詩が今週の稽古の題目だった。
遠くの友がどうしているだろう、と思いを馳せるが、この雨では会いにいくのもままならない。その心情を詠んでいる。
目の前の爽やかな冷たい玉露が、苦く渋い味に一変してしまいそう。

停雲3.jpeg


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春といえば、鶯  【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

鶯7.jpg

稽古が始まるいなや宗匠から、あのお軸に描かれている鳥は何ですか? という質問が私に投げかけられた。
速攻に聞かれても、私の豆知識では答えが出てこない。確か、昨年くらいに見たお軸を思い浮かべた。
あの鳥は"鶉(うずら)"でしょ! と答えたが、宗匠や仲間からの笑いが漏れている。
宗匠から鶉なら季節はいつ頃?という質問が逆に飛んできた。
えぇ〜と、またまた頭を抱え込んだ。大伴家持の、鶉を詠んだ悲哀の和歌を思い出した。
この春に、悲哀はないでしょう、と宗匠に突っ込まれ、そりゃ、そうだ!と納得。
なら、表装の色は何色?
薄いブルーである。

この色から連想すれば分かるでしょ!とさらに突っ込まれた。
春の鳥といえば、この鳥をまず連想しない、と。
ホーホケキョと鳴く鳥は? といわれ、そうか!と。
やっとここで"鶯(うぐいす)"が頭に登場した、情けない話から始まった。

鶯1.jpeg

テーマは"鶯"。となると、国語の教科書にも登場した「江南の春」。
もちろん頭からすっかり消え去っている。
ご存知の方も多いと思うが、「杜牧」の詩である。晩唐の政治家であり詩人としても有名だった。天才詩人と世に知れ渡ったのが20代のとき。26歳で科挙(かきょ)の一つである進士となり、江蘇省の楊州に赴任した時代には名作を多く残している。その代表作が「江南の春」である。

その詩を宗匠の後に続き朗読。声を出して読むと不思議なものであるが、情景が浮かんでくる。江南地域の村や山々の古里に酒屋の旗が春風にたなびいている。そこに多くの仏教寺院が点在する。そして鶯の鳴き声が聞こえてくる。こぬか雨でその風景は霞む。懐かしの古里の風景が想像できる。

千 里 鶯 啼 緑 映 紅
水 村 山 郭 酒 旗 風
南 朝四 百 八 十 寺
多 少 楼 台 煙 雨 中

千里鶯啼いて 緑紅に映ず
水村山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺
多少の楼台 煙雨の中

せんりうぐいすないて みどりくれないに えいず
すいそんさんかく しゅきのかぜ
なんちょう しひゃくはちじゅうじ
たしょうのろうだい えんうのうち

鶯2.jpeg

春夜の稽古場で繰り返し朗読した。声を出して読むと不思議と情感が高まってくるものである。
この鶯を見ながら「雁が音」を淹れた。まろやかで優しい、春の味であった。

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「玉露珠茶」の極上の一滴。 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

昨夜の煎茶稽古は、玉露3煎と雁ヶ音3煎に加えて、初物「玉露珠茶(しゅちゃ)」なる茶葉を中茶法という淹れ方で賞味した。いままでに聞いたことのない茶葉である。しかも中茶法なる淹れ方も初めてだった。

玉露、雁ヶ音の淹れ方は、沸いた湯を急須にとり、急須から茶碗に注ぎ分ける。その急須に玉露をたっぷり入れ、そこに湯気が立たなくなった茶碗の湯を急須に注ぐ。そのときにできるだけ茶葉にかからないように注ぎ込む。それから待つこと数分、急須から茶碗に注ぐ。出てくるのは数摘。それを3煎繰り返し微妙に異なる芳醇な味を楽しんだ。

最後に出てきたのが「玉露珠茶」という茶葉。聞いたことのある人のほうが少ないかも知れない。珠茶というのは中国茶、台湾茶の類に属する茶葉で、製茶の最初の行程で酸化作用を抑えた殺青から乾燥工程まで、一気に釜炒りで仕上げるのが特徴の茶葉。色は緑から白へ、そしてやがて、褐色に変わる。
火の影響で水分が抜けていくので、どんどん小さな粒のように固く締まっていく。最終的には小石のような色と外観の茶葉になる。

玉露珠茶1.jpg

見てのとおり(写真)、茶碗の三分の二ほどこの珠茶を入れる。別の茶碗にとっておいたぬるい湯を、茶葉が入っている茶碗に少し注ぐ。茶葉は湯を吸い込む。その吸った後の一滴を口にする。濃厚で苦味があるが極上の一滴である。その一滴を味わうためのお茶である。味わった後の茶葉は一煎のみで捨てる。

ちなみに玉露(ぎょくろ)とは日本茶の一種。製造法上の分類としては煎茶の一種であるが、栽培方法に特徴がある。収穫の前(最低二週間程度)日光を遮る被覆を施される。これによりテアニンなどのアミノ酸が増加し、逆にカテキン類(いわゆるタンニン)が減少する。また、被覆により特徴的な香り(覆い香)が生ずる。
玉露は高級茶の一つであるが、今回試飲した「玉露珠茶」は、玉露を珠茶製法でつくった比類なきお茶で大変珍しいものであるのは間違いない。そのお茶を、玉露や雁ヶ音と併せ楽しませていただいた。煎茶ファン冥利につきる。

玉露珠茶2.jpg

※この記事は、2013年3月の「心と体のなごみブログ」に掲載したものをリライトし転載

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隠逸詩人、林和靖と素心 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

先日の煎茶稽古では、久しぶりに隠逸詩人 林和靖(りんなせい)こと「林逋(りんぽ)」が取り上げられた。北宋初期の代表的な詩人として、いまもその名声は伝え継がれている。若くして身寄りがなく貧しい生活をしながら詩を学び、杭州西湖のほとりの孤山に隠居。生涯独身を通し、梅と鶴を伴侶とした生活を送ったといわれる詩人である。

林和靖の詩の中でも、とくに梅花と西湖の美しさを詠った「山園小梅(さんえんしょうばい)」は最高傑作として、いまの時代にもよく登場する。
稽古で掲げられていた、このお軸がどのように「山園小梅」につながっていくのか、まったく見当がつかなかった。
見ての通り、お軸に描かれているのは、今年の干支「猪」のようである。その猪が何を見ているのか、ということになる。その横に描かれているのは、たぶん梅と思われる。
「その梅だけど、なにか変とは思いませんか」、という宗匠からの問いかけに答えは見つからなかった。宗匠曰く、梅は、枝が横に広がり、上に向く性質を持っているという。
ではなぜ、この画はあのように下向きに? と問われてみても・・・。

林和靖4.jpg

お茶は “素心”という淹れ方で煎茶をいただいた。急須に煎茶をたっぷり入れ、水柱にいれていたお湯(ぬるめ)をお猪口ほどの湯呑に半分程度の量を入れしばし待つ。そして煎茶が入っている急須にそそぐ。煎茶のまろやかさが存分に味わえる一煎目である。そして二煎目はさらにぬるくなったお湯を急須にいれ、しばらく待つ。二煎目は、予想通り渋味がたってくる。この渋味が “素心”のだいご味である。
三煎目はスペシャルが用意された。渋くなった茶葉にお酒をそそいだ。少し時間をおいて湯呑につぎ分け試飲。おいしいとは言えないが、年始めのお屠蘇がわりに、と。

お茶を楽しむ合間に、お軸の梅から林和靖の “梅” の世界へと誘われていく。
梅の枝ぶりが下向きに描かれている意図は、林和靖の「山園小梅」の詩を理解したうえで描いているからこのような梅の画になるのだろう。さらに、鶴の代わりに猪を描いているのが、またなんとも滑稽である。

林和靖1.jpg

山園小梅に「疎影横斜水清浅」という一節がある。 “咲き始めて花もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし” という意味になる。枝が垂れ下がり、まばらに咲く花の姿が水面に映し出されている。
そして続く「暗香浮動月黄昏」が対句になり、月もおぼろの黄昏どきに、梅の香りがどこからとなく香ってくる。姿は見えぬが梅の存在を感じさせる。
梅を愛する林和靖の、隠逸の悲哀を詠った詩の一節である。
素心で淹れた淹茶(えんちゃ)の渋味、苦味が、林和靖の隠逸の悲哀とかさなってくる。

林和靖2.jpg

山園小梅 林逋

衆芳揺落独嬋妍  
占尽風情向小園  
疎影横斜水清浅  
暗香浮動月黄昏  
霜禽欲下先偸眼  
粉蝶如知合断魂  
幸有微吟可相狎  
不須檀板共金樽 

現代訳にすると、

いろいろな花が散ってしまった後で、梅だけがあでやかに咲き誇り、
ささやかな庭の風情を独り占めしている。
咲き初めて葉もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし、
月もおぼろな黄昏時になると、香りがどことも知れず、ほのかにただよう。
霜夜の小鳥が降り立とうとして、まずそっと流し目を向ける。
白い蝶がもしこの花のことを知れば、きっと魂を奪われてうっとりするに違いない。
幸いに、私の小声の詩吟を梅はかねがね好いてくれているから、
いまさら歌舞音曲も宴会もいらない。

林和靖5.jpg

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牛と牧童ののどかな情景に杜牧の「清明」があう。【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

「春」を表わす季語は数えきれないほどある。花や動物など自然界のものも多い。
春といえば誰もが思うのが「桜」。桜によく似た「杏」も春の季語としてよく使われる。そして、春を象徴するもので珍しいものがいくつかある。代表例が「牛」、そして「ブランコ」もそう。
牛は、その昔、春の農耕に欠かせない家畜として季語にも使われる。牛と言えば、春。あまり馴染みがないかも知れない。ブランコは、もっとピンとこない。ブランコはもともと中国の異民族が好んだ遊びで、春の遊びの一つだったようである。だから、ブランコと言えば、春をイメージさせる季語になっている。

稽古では春の象徴を、掛け軸(写真)を通して教えていただいた。
この牛の絵を見て、季節は、時間は、情景は、なにをしているところ? という問いが宗匠から投げかけられた。茶席では牛のお軸が掛けてあるのをよく見かける。茶席で見れば、もしかして「十牛図」と思うかも知れない。
牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を描く十牛図は、代表的な禅宗的画題のひとつ。牛は心理、本来の自己、仏教における悟りを象徴している。十牛図は、すなわち本来の自己を探し求める旅、悟りへの道程である。

牛3.jpg

宗匠はそんな堅い話ではなく、夕暮れ時に、牧童が牛に乗って家に帰るところですよ。
のどかな情景を想像するでしょ、と。
そう言われると確かに牛もひと仕事を終え、どことなく微笑んでいるように見える。
この絵は、"理想の世界"を描いている。儒教精神で言うならば、のんびりと豊かな社会を作ることにある。その象徴が、この絵で表現されている、ということのようだ。

画と一緒に、今宵の稽古の題材に上がったのが中国で有名な漢詩、杜牧の「清明」ある。

清明時節雨紛々  
路上行人欲断魂  
借問酒家何処有  
牧童遥指杏花村

清明は花の季節であるが、雨が多い。
その季節を詠った詩である。
現代訳すると

清明の時節にしきりに降る雨。
雨の降りしきる道を、ひとりの旅人がゆく。
旅ゆく人の胸は、かえってさみしさにしめつけられる。
せめてこのさみしさを酒にまぎらわそうと、ちょっとたずねてみる。
居酒屋はどのあたりにあるのかね。
牛の背にまたがった牧童は、黙ったままゆっくりと指さした。
それは杏の花咲くかなたの村だった。

牛5.jpg

このお軸の賛に書くなら「清明」だろう。これしかない。
お軸の画を見ながら清明を唱和した。
その後にいただく玉露の味は、また格別なものであった。

春季語1.jpg

記事は、2012年12月に心と体のなごみブログに投稿したものを修正し転載。

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李白、杜甫、杜牧、そして芭蕉もお猿さんが大好き。 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

今宵の煎茶の稽古の題材は「猿」だった。
猿は秋の季語ではないが、漢詩や俳句で晩秋を表現する動物としてよく登場する。
その昔、中国の有名な詩人の李白、杜甫、杜牧などの長江の三狭の下りで詠まれた詩の中に「猿」がよく登場する。そのほとんどは悲哀のストーリーに使われている。

猿2.jpg

芭蕉が詠んだ句にも「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」というのがある。芭蕉が46歳のときに、奥の細道の旅を終えて帰郷の折、伊賀越えの山中で初時雨にあって詠まれたものとされている。芭蕉最高傑作の一つとして有名である。
この句にも「猿」が登場している。ただの風景描写ではない。芭蕉も、そのときの情感を「猿」に例えたのだろう、と想像を巡らしてみた。

猿1.jpg

では、なぜ? 猿が悲哀のストーリーによく登場するのか、というと。
それは、猿の「鳴き声」にあるようだ。鳴き声が、中国の詩人たちの悲哀の感情をさそい、聴覚的な特色つまり「かん高く鋭い声」がそれに結びついた、といわれている。

そんなことを思いながら飲む玉露の味と、お茶の花と実の香りがなんともいえない秋の深さを感じさせてくれた。

猿3.jpg

猿4.jpg

記事は、2013年11月にブログに掲載されたねものをリメイクし転載

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