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お茶を訪ね宇治・萬福寺へ。「全国煎茶道大会"月見の煎茶会<追想Ⅰ>」 [文化想造塾<易社/煎茶>]

初めての宇治・萬福寺。大阪から京阪電車を乗り継いで行ってきた。
ブログで書き綴っている「煎茶入門」。大阪の煎茶の宗家「文人会一茶庵」に7月から通い始めている。その一茶庵の佃一輝宗匠から月見の煎茶会のご案内をいただき、昨日その会場である宇治の黄檗山萬福寺を訪ねた。
茶会は午後2時からということで、せっかく宇治を訪ねるのだから世界遺産に登録されている平等院へ、と朝から出掛けた。平等院の話は次回にまわし、ここでは “四方山茶話” を綴ってみたい。

煎茶道大会1.jpg

10月3日、十五夜。この日にあわせ月見の煎茶会なる「第54回全国煎茶道大会」が京都宇治・黄檗山萬福寺で行われた。入門講座仲間と待ち合わせ萬福寺へ。着物姿の女性たちがぞろぞろと三門をくぐっていた。
私にとっては場違いの雰囲気を感じたが、永年図々しく生きている筆者には興味津々に思える光景だった。どんなことが始まるのだろう。
今回は10の煎茶道流派が参加している。この黄檗山萬福寺には全国煎茶道協会の事務局本部があり、近畿地区や全国の流派が集まり、年に数回煎茶道の大会が催されている。持ち合わせているチケットで3つの流派のブースに入席でき、お手前を観てお茶をいただける。

煎茶道大会3.jpg

最初に入席したのが黄檗売茶流という席。煎茶道会館の一角にある有声軒という部屋と庭を使って披ろうされていた。お庭に椅子が約20席余り、お手前が一番よく観える処へと思い座った席が正客席。何にも知らないものの強さ、って言うのはこのことか、と。
それを知ったのは、解説される方が常に私に向かって声を掛けられる。男が少ないせいなのか、ええ歳したおっさんだからなのか、と思いきや一緒きていた方から渡邉さんの席もしかして"正客の席???"
いまさら言われても。まぁ、とっさの開き直りは慣れたもの。いかにも煎茶を知り尽くしている顔をしながら解説の方へ笑顔を返していた。目の前でお点前されたお茶がまず私のところへ。

特に茶の湯のような作法は求められないので助かった。ただただ飲み干した。飲んだ湯呑は煎茶にしてはいささか大きい。流派が違えば作法も道具も違う。眺めていると湯呑の裏に金粉の塗られた菊の御紋が入っていた。
眺めていると、解説されていた方が私のところへこられて説明をされた。
後に、その時のことを思い出せない、頭が真っ白になり覚えてないのである。菊の御紋ということだけは耳に残った。由緒のある道具というのだけは、なんとなく私にもわかった。

煎茶道大会4.jpg煎茶道大会5.jpg

煎茶道大会6.jpg

※この記事は2008年10月のブログに書いたもの。少し手を加え転載。


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煎茶の稽古で、本草学を学ぶ。 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

煎茶の稽古に登場したのが「本草学」なるもの。耳にしたことのない学問に躊躇しながらも興味を覚えた。
ひと言でいうなら「中国古来の植物を中心とする薬物学」となる。西暦500年ごろ中国では、陶弘景のまとめた「神農本草」が初期文献ということである。それを明の時代に、李時珍が「本草綱目」という題目で集大成し確立された学問のようである。
日本には平安時代に伝わり、江戸時代に全盛となり中国の薬物を日本産のもので当てる研究が行われ、動物・鉱物にまでおよび、それが博物学・物産学に発展していった。

本草綱目.jpg

稽古に鹿のお軸が掛けてあった。茶席では、鹿といえば秋によく見かけ、この時期になぜだろうというという疑問がわいていた。
鹿の画の上に文字(写真)が書かれてあった。鹿の種類や角の解説文がお軸の賛に。鹿の角は、不老長寿の薬としては周知の事実である。この解説が、明の時代の「本草綱目」に記されてあるという。

本草学1.jpg
本草学2.jpg

こんな話を聞きながら、一茶庵に伝わる「沃茶法(よくちゃほう)」で春の夜を堪能した。
ちなみに沃茶法とは、急須に茶葉を入れ、急須の外側に湯をかけ急須を温め、茶葉を蒸らす。そして急須の蓋を開け茶葉に湯を注ぐ。
喉を潤すほど飲むわけではないが、味の変化を楽しむお茶として五感を刺激する。
この感覚が体や心によき変化をもたらすのであろう。

本草学3.jpg


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蘇軾の心情を表した詩、「赤壁賦」 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

蘇軾の「赤壁賦」の詩の一節に「撃空明兮泝流光」というのがある。
その一節が書かれたお軸が稽古の席に掛けてあった。
この「赤壁賦」は、後世に伝承された詩文の一つ。

赤壁賦.png

赤壁は、ご存知の三国志で覇を争って大激戦したところ。
蘇軾は、魏の曹操や呉の周瑜の盛衰を偲び、自分の儚い身の上を嘆き、大自然の前では人間は儚いものであることを悟る。
虚心に明月と長江の清風を楽しみ憂いを忘れた、という感慨を綴ったのが、この赤壁賦である。
この一節は、赤壁賦の中でも蘇軾の情緒心を最大限に表現した一文である。
訳すと、「空明(くうめい)を撃ちて流光に泝(さかのぼる)」となる。

蘇軾1.jpg

今回の稽古は、この一節の、蘇軾の想いを感じるとるためにイマジネーションを膨らますことが宗匠から求められた。
しかしながら、基礎知識があるわけではないので、過分な内容にあたふたするだけだった。
宗匠の誘導によって見えてきたストーリーは、
東山に月が浮かび、長江の水面の、白露のように光る月に導かれ、小舟は飛翔し天に昇る心地になる、という蘇軾の心情を綴った一節である。

蘇軾3.jpg

お茶は、茶銚に茶葉を入れ、茶碗にとっていた冷水を、茶葉にかからないようにゆっくり入れ、待つこと5分。それを茶碗に注ぐ。掌(たなごころ)という淹れ方で3煎まで淹れた。
1煎から2煎、そして3煎にもなると、渋味も薄らぎまろやかな味へと変化していく。茶味をとおし蘇軾の心情に寄りそうための稽古であった。

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今年初めての、李白。自然の理法を代表する詩【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

煎茶の稽古には、漢詩は必須科目である。
しかし、思うように詠めない、もちろん理解するには手習いでは頭に入らない。
当たり前といえば、当たり前だ。少しずつでも、という気長な話ではあるが・・。

今年(5年前)の初稽古で触れたのが、
中国古典文学のなかの最高峰と言われる詩人「李白」。
中国の先人の詩は、現代では想像し難い果てしない物語が詠まれているものが多い。
中でも悲愴感のなかに力強い生命力を感じさせるものが多い。
短い言葉で、その思いを想像、連想させることは極めて難しい。
詠み手側が、書き手側の想いを深く理解できるか、そうでないかによって
その詩の伝えたい焦点がズレ、意味が異なって理解される場合がある。

李白5.jpg

不安を抱きながら「李白」を詠んでみた。

望廬山瀑布(廬山の瀑布を望む)
日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂前川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天
 
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず、
遥かに看(み)る瀑布(ばくふ)の前川(ぜんせん)に挂(か)かるを。
飛流直下(ひりゅうちょっか) 三千尺(さんぜんじゃく)、
疑(うたご)うらくは是(こ)れ 銀河の九天(きゅうてん)より落つるかと

太陽が香炉峰を照らし紫の靄を漂わせ、
遥かに遠い川の向こうには滝がある
三千尺もの高きからまっすぐほとばしって、
まるで天の川が天の一番高いところから流れ落ちたようだ

悲愴感の中で暮らす李白に、
この瀑布(滝)は新たな出発を成す力強いエネルギーになった光景だったのだろう。
自分の想いを天の高いところから流れ落ちる水に喩え、
生成発展する新たな希望を表現した、
自然の理法を代表する詩といえるではないだろうか。
今年初めの詩としては心に沁みるものだった。
李白1.jpg


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春の宵は、千金に値する。 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

ご存じ、清少納言の「枕の草子」は、四季の、それぞれの特徴を一言で表している。
それは、春なら「あけぼの」、夏は「夜」、秋は「夕暮れ」、そして冬は「早朝」というように。
一方、中国では北宋時代の著名な詩人である蘇軾(そしょく)は、春は「夜」としている。春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほどすばらしい、と「春夜」という詩を残し、それが後世に伝え継がれている。
春の夜は、楽しくもあり、寂しくもある。詩ではもの悲しい季節として、秋もさることながら春の宵は「寂寂」とした情感を醸し出す。
その代表詩が、ご存知の「春夜」である。

春の宵3.jpg

春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細
鞦韆院落夜沈沈

現代訳では、
春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほどすばらしい
花は清らかに香り、月はおぼろにかすんでいる
歌声や楽器の音が鳴り響いていた楼閣も、今はかすかに聞こえるばかり
ぶらんこのある中庭では、夜が静かにふけてゆく

春の宵2.jpg

春の夜は、管弦を聴き、花や月を愛でていると寂寂なる感情が湧き出てくる。
それが春の宵の千金なのかもしれない。
そんな想像を巡らしながら、玉露の味を楽しんだ。

春の宵1.jpg

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清酒に菊花弁と茶葉を混ぜた、本来の「お屠蘇」を堪能 [文化想造塾<易社/煎茶>]

今年の、中華系のお正月にあたる「春節」は2月12日から17日までの7日間。今日が最期の日になる。
中国では、日本同様に春節には「お屠蘇(おとそ)」を飲む習慣があるようだ。お屠蘇の習慣はもちろん中国から日本に伝わったものである。古代中国では、悪魔を退治するという意味から調合された薬草を酒に浸して飲んでいた。それが現在に伝えられ、日本でも邪気を払い、一年間の無病を祈り、心身ともに健康を願い飲む、お正月ならではの酒である。

煎茶の初稽古では、清酒が席にでることがある。言うならば「お屠蘇」である。
昔からお茶は薬草の一種とされている。そのお茶と清酒の組み合わせは何度か体験させていただいているが、この日はまた珍しい煎茶の飲み方を学んだ。
清酒茶葉1.jpeg

清酒茶葉2.jpeg

清酒茶葉3.jpeg

お酒の中に菊花弁が並々と浸っている(写真)。そのお酒を急須にとり炉にかけ温める。いわゆる温燗である。それをいただく。
一煎目は、お酒に菊花弁のまろやかさが馴染み美味しい。
二煎目は、同じように菊花弁が浸かるお酒を急須にとり炉にかけ、そこに煎茶葉を入れ少し温める。この組み合わせは、今までに賞味したことのないまろやかさが喉を覆う。
さらに三煎目が"妙味"。それは、湯のみに茶葉を直に入れ、それに菊花弁に浸かるお酒を少し沸かし注ぐ。これを口に含む、お酒の苦味、酸味に茶葉の甘味が絶妙な味を醸し出す。
清酒茶葉5.jpeg

清酒茶葉6.jpeg
一煎目から菊花弁と清酒そしてお茶の組み合わせである。
比類なき趣向であり、一茶庵ならではの愉しみ方を堪能させていただいた。
本来の「お屠蘇」をこのような煎茶席で味わえるとは思ってもみなかった。

今年も、元気で健康に過ごせるように、と。
新型コロナウィルスに打ち勝ち、日々通常を取り戻したいと、
今年は切に願を込めて―

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柴門草舎絶風塵 世俗を絶って学問に勤しむ [文化想造塾<易社/煎茶>]

「柴門草舎絶風塵」。お軸に書かれているのは「尋龍井楊老」という句の一節。"さいもんそうじゃ ふうじんをたつ"と読む。

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この"柴門"とは、どのような門なのか。柴というから枯れ木のこと。木を寄せ集めて造った簡易で粗末な門のことだろう。
その粗末な門の奥には、世俗を絶って学問に励むための舎がある。文人や隠棲者に相応しい清らかな栖(すみか)になる。
人との交流を出来るだけ避け、ただ学問に勤しむ様子をあらわした一節である。

柴門2.jpg

そんな心情にぴったりの淹茶(えんちゃ/湯に浸した だし茶)を三煎まで淹れ、味の変化を楽しませてもらった。"素心"というシンプルな淹れ方である。
水柱のぬるま湯を急須に注ぎ、そこに煎茶を入れる。しばらく待つ、そして湯のみにつぎ分ける。煎茶のまろやかはあるものの渋みが強い。そして急須に二煎目のぬるま湯を注ぐ。この二煎目はさらに渋みが強くたつ。煎茶の醍醐味を堪能できる淹茶であった。

京都には柴門があってその奥に庵が設けられている場所は随所にある。こんな場所に身を置くのも乙なものである。

柴門を絶つ.jpg

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「梅村」に秘める呉偉業の心情が、蘇る。【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

かなり前の、年初めて煎茶の稽古だったと記憶している。
呉偉業(ごいぎょう/号を梅村)の詩にふれたときのこと。

寒いときは、渋さに少し苦味がきいた玉露があう。そんな思いを抱きながらー。
初稽古の日の床の間には、お軸いっぱいに墨で画かれた松が躍っていた。
松は樹皮に覆われ、その姿が天に昇るように見えるから、中国では龍に例えられている。日本では松とあわせ竹・梅とお祝い事の代名詞である。

松.jpg

お軸の隣のボードには、その夜の勉強の題目になる漢詩が書かれていた。この漢詩(下記&写真)は、滅亡した明の時代から清朝の時代の皇帝に仕えた高官で詩人の呉偉業という人の作品である。
呉偉業は、詩人として天下にその名を馳せていた。36歳の時、明は滅亡し、清朝に仕えることを余儀なくされた。中国の伝統的な考えでは二つの朝廷に仕えることは大変な軽蔑の対象となった。これが彼の一生の悔いとなり、以後明朝の滅亡を悼む詩を作り続けた。

そのときの、呉偉業の心境を綴った「梅村」という詩である。

枳籬茅舎掩蒼苔   
乞竹分花手自栽   
不好詣人貪客過   
慣遅作答愛書来   
閑窓聴雨攤詩巻   
独樹看雲上嘯台   
桑落酒香盧橘美   
釣船斜繋草堂開   

カラタチの垣、茅葺きの家は青い苔に掩われている。
竹をもらい、花を株分けして自分で植えた。
人を訪問するのは嫌いだが、人が尋ねてくれば大喜び、
返事を出すのは遅いのに手紙をもらうのは大好きだ。
静かな窓辺で雨の音を聴きながら、
詩集をひろげ、ポツンと立っている木にかかる雲を眺めながら高台に上る。
桑落酒(桑の実の落ちる頃醸した名酒)は芳しく、美味しい。
釣船が斜めに繋がれたところに、草堂の門が開かれている。

梅村1.jpg

この訳から呉偉業が高官をやめ隠棲したところの住まいの雰囲気が伝わってくる。どことなく寂しさがにじみ出ている詩のように思える。
この詩の中に、竹をもらい、花を株分け、とある。花は梅であろう。そうすると松があるはず。木にかかる雲を、という木が松のことになる。この時代から松竹梅という三セットが登場している。ただ、この情景からの松竹梅はお祝い事ではない。逆に寂しい情感の中で表現されている。
それが今は、お祝い事や神聖なものの代名詞になっている。その変遷の経緯はわからない。

さて、稽古はじめに「松竹梅」が登場した。
宗匠がもう一つのこの漢詩を稽古の題材にしたのは訳があった。それは、その日の朝の新聞一面に細川元総理、都知事選挙に立候補表明、という大きな見出しが躍っていた。
佃宗匠は、細川元総理とは煎茶仲間である。細川元総理が隠棲を解いて政界に打って出たことへの讃なのか、いや警笛を鳴らそうとしているのか、私には読み取れなかった。

玉露の味が、一煎、二煎、三煎と微妙に変わっていった。

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ボ~と、ただただボ~と、待つ Wait, just bo ~, just bo ~ [文化想造塾<易社/煎茶>]

かなり古い話になるが、煎茶の稽古で感じ入ったことがある。
遠く神奈川から稽古に参加された方からメールをいただいた。
初めての体験に戸惑いと感動があったようである。
日常にはない時間を満足されたのか、と推察する。
こんな内容のメールが届いた。(一部抜粋)

一つだけ解ったのは間の取り方、待つ事の意味。
お湯が沸くまで待つ。冷めるのに待つ。蒸すのに待つ。煎じるのに待つ。
全て自分のために美味しいお茶を飲むために。
こういう時間の使い方があると言う事に気が付きました。

付け加えるなら、待つときは、ボ~と、ただただボ~と。
湯気がたつ音を聞きながら。

ただ待つ.jpg
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古代の五行思想は、日常に根をはっている。【一茶庵 稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

煎茶を学んでいると「東洋思想」という難解な自然界の摂理のような事象に出くわす。
煎茶をより深く楽しむために古代中国の思想を少し理解しておく方が、五感に響く度合いが違うような気がしている。

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この「東洋思想」は難解極まりない学問のように感じるが、実は日常に即したものであるのは言うまでもない。たとえば「暦」「季節」「時間」「方角」「色」「体の臓器」などいろんなことにあてははめられている。
古代中国では、自然界のあらゆるものを「陰」と「陽」にわけていた。その陰陽思想は、五行思想につながっていった。五行思想は、自然界が「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素で成り立っているというものである。この5つの要素が循環することによって万物が生成され、自然界が構成されていると考えられたわけである。

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われわれの身近なこととして「十干十二支」などもそのひとつ。十二支は生まれ月をあらわしている。古代中国では天空の方角を12に分け、それぞれの方角を記号として動物の名を付けたといわれている。この十二支と十干を組み合わせると60種の組み合わせが成り立つ。それが年にあてはめると60年になる。60年経つと生まれた年の干支に戻ることから、「還暦」といわれるわけである。赤子にもどることから赤いチャンチャンコを着る慣習につながっている。

日常の身のまわりには五行思想が古代からしっかり根をおろしている。日頃の所作、作法、動作などにも見事に反映されている。それは、難しいことではなく自然で単純で合理的な動きや考え方につながっているような気がする。

五行6.jpg

煎茶を楽しみながら「五行思想」を学ぶ。心も体も引き締まる思いである。

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