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任天堂の原点!威風堂々たる存在。 雰囲気は残し「かるた」から「ホテル」へ [雑感]

大手ゲームメーカーとして世界のゲームファン魅了する任天堂(Nintendo)。その聖地といえる京都市下京区にある旧本社ビルがホテルに生まれ変わろうとしている。

2年前に勤務(アルバイト)していた職場近くに気になる建物があった。鴨川にほど近い七条通と五条通の間の、正面橋を西に入った住宅の路地裏の一角に、堂々たる近代的建造物がそびえ建ち、目を惹く存在だった。
当時、玄関先まで行ってみるとこんな掲出看板がかかっていた。"トランプ・たるか"と妙な文字の看板が掲出されていた。内部は人の気配はなく、長い間、空き家状態のビルだ。看板の下に「堂天任内山」と古さを感じさせる右からの読む漢字の看板。

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聞いてみると、ここが、世界の「Nintendo」の発祥地であり、その大正ロマンを色濃く残すビルヂィングなのである。創業当時は、写真にあるように “かるた” をメインに作っていた会社である。
創業者の山内房治郎氏が、明治22年にスタートし日本一のカード製造会社となった。2代目社長が「合名会社山内任天堂」と「株式会社丸福」を設立し、現在の任天堂へとつながっていった。その原点の地がここである。

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任天堂(京都市南区)の創業の地として残る旧本社ビルが、この夏にホテルに生まれ変わる。昭和初期に建てられたアール・デコ風の建物の雰囲気をできるだけ残しながら増改築(設計監修は安藤忠雄建築研究所/施工は大林組)し、レストランやバーを備えた約20室のホテルに改装され、歴史を語れる新しい空間に生まれ変わる。

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数年前からホテルラッシュで沸いたが、新型コロナウィルス感染で国内外からの観光客はゼロに近い状態の中どう立ち向かうのかが見ものである。任天堂が直接運営に携わるわけではないが、世界の任天堂の神通力が道を開いていくような気もするが・・。楽しみである。

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金メダル奪取、神がかり! [TOKYO 2020]

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一昨夜は、卓球混合ダブルスで、水谷隼、伊藤美誠両選手が中国チームを大逆転の末破り金を獲得。五輪では日本卓球界初の金、悲願を成し遂げた。

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そして昨夜は、ソフトボールで日本がアメリカを退け13年ぶりの連覇。予選では逆転負けだったのを、決勝で上野選手の渾身の力投と日本の守りで見事な勝利をおさめた。

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五輪で金メダルを獲るのは実力と人一倍努力があっての賜ものに違いないが、観ているともう一つあるように思う。
勝ちへのリズム、そして運。人の力が及ばない何かが働いているかのよう。つまり"神がかり"ということになる。
両方ともそう思える試合だった。

そして今日は、体操男子個人総合では橋本大輝選手、柔道女子70キロ級では新井千鶴選手、女子水泳200m個人メドレーでは、大橋悠依が400mメドレーに続き2冠。金メダルの奪取が続く。

写真は、卓球がフジTV、ソフトボールはテレビ朝日の映像から転用。

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鶴林寺の、お釈迦様と因縁深い「菩提樹」と「沙羅樹」 [文化想造塾<社寺>]

先日、加古川(兵庫県)へ行ったときに、聖徳太子開基伝承の寺院のひとつ「鶴林寺(かくりんじ)」を訪ねた。鶴林寺は西の法隆寺と称され、国宝の太子堂をはじめ数々の文化財を有する、播磨地方有数の寺院である。
目に留まったのが、本堂を挟んで両脇にある「菩提樹」と「沙羅樹」の2本の木。神社で言うなら御神木と同じ意味をもつ木である。

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それぞれの木の横に立て看板があった。それには、下記のような内容のことが書かれ興味を惹いた。菩提樹は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたと言われている木である。
片方の羅紗の木は、お釈迦様が入滅された時に、周辺に羅紗双樹が繁っていたと言われている。ともにお釈迦様との因縁の深い木である。
ともに6月中頃からが花が咲き見ごろになる。

[菩提樹]
お釈迦様が成道の時、この樹の下で坐禅されたという因縁のある木。
日本ではインド種が生育しないため古来この中国種の木によって菩提を悟られたお釈迦様をしのんできた。

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[沙羅樹]
お釈迦様が入滅になる時に、周囲に繁っていた娑羅双樹が枯れ、枝の先がまるで鶴が翔ぶような姿に見えたことから仏教に因縁のある木とされた。これが当寺の名前の鶴林の語源である。
日本ではインド産の木が生育しないため古来、このナツツバキを沙羅と呼んで涅槃に入られたお釈迦様をしのんできた。

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蝉一匹から王安石の心情を読み取る 【一茶庵煎茶追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

夏の風物詩という言葉が妥当かどうかわからないが、蝉の鳴き声で目が覚めることがよくある。うるさい、といえばそれまでであるが、短い命を精一杯表現しているかのように思える。そして夏のおとずれ知らせてくれる。

そんな蝉の違った喩え方やストリーを中国の古典から学ぶこともある。
煎茶稽古で、掛けられていたお軸からー

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今夜(先日)のお軸は、蝉が一匹。
漢文漢詩的には、蝉はこの時期によく登場する題材の一つである。
中国では秋蝉(しゅうせん)といわれ、騒がしい比喩として使われ、また地中から出てきたセミは復活の象徴とされている。玉(美しい石)などをセミの形に彫り、復活の装飾品にしているのもあるという。

そこで、今夜のお題で登場したのが、北宋の政治家であり文人として名を馳せた王安石の「題西太一宮壁」。漢詩としては珍しい六言絶句である。

柳葉鳴蜩綠暗,
荷花落日紅酣
三十六陂流水,
白頭想見江南

非常に高いレベルの詩のようだが、われわれにはその凄さはなかなか読みとれないが、訳すならば、

柳葉鳴蜩緑暗
柳の樹でセミが鳴き、柳の葉が色濃く繁り暗くなっている。つまり、騒がしい批判の声があがっており、鬱陶しい。そんな時期の暗さを表現している。

荷花落日紅酣
蓮の花は、沈もうとする太陽に花が紅に染まっている。今は絶頂期であるものの、やがて衰退期を迎える。

三十六陂流水
三十六の湖沼が四方八方に広がって流れている。

白頭想見江南
これを見ると故郷の江南を思い浮かべ故郷を連想する。そこで隠棲したいものだと想いを馳せる。

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ということになる。
蝉を引用しながら一節ごとに、柳の草色、太陽の赤、流水の水色(茶色?)、そして白髪の白など、文字で色を表現し楽しんでいる詩である。
人生の終焉には故郷を偲ぶのは人の常なのかもしれない。

蝉が一匹しか描かれていないお軸も珍しい。煎茶を愉しむ人たちは、お軸を見ながら描いた人の意図を読み取り想像し話題を広げ楽しむのである。小難しいあそびと思いながら筆者のような頭の固い者には頭の体操になっていいのかもしれない。
そこで、稽古ではこのお軸から「王安石」の題西太一宮壁を連想。佃宗匠らしい計らいである。
お茶は、やはり雁が音ということになる。

※この記事は2018年9月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載

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向源寺の国宝、十一面観音像に魅了される [伝統文化-仏像]

仏画曼荼羅アートの佛日寺教室に参加している方の中で、趣味で十数年仏像を彫っている方がいる。先日、その彫っている仏像を持参していただいた。一つは金剛力士像、そしてもう一つが十一面観音像。
持参していただいた仏像(写真)は、滋賀県長浜市にある向源寺(こうげんじ/以前は渡岸寺と呼ばれていた)にある国宝の十一面観音立像を見本に製作されたものである。
「まだまだ人に見せるのは恥ずかしいですが」とおっしゃるが、なかなかの出来映えに驚かされた。向源寺にあるものは仏像頭部の後ろに暴悪大笑相の顔があるのが特徴で、それも見事に反映されていた。

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持参していただいた仏像を見ながら、以前に向源寺の十一面観音像など、いくつかの仏像を見て回った
ことを思い出した。
全国で、国宝の十一面観音菩薩は7像ある。その一つが、長浜市にある向源寺の観音像である。十一面観音は、頭上に十または十一の小面をもち、十一の観音の働きを一身に具現したものであるとされている。向源寺の観音像は、頭の上にある菩薩相と後ろに暴悪大笑相なるお顔が掘られてあるのが特徴で、密教像特有のインドの仏像の感じを伝えていると言われている。
さらに、十一面観音像の魅力は立ち姿の造形美である。見てのとおり、腰を横に振ってくねらせているところが美しいと言われている。性別は問わないが、女性感あふれている仏像には間違いない。

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向源寺から車で15分ほどのところに「石道寺(しゃくどうじ)」というお寺がある。ここには十一面観音菩薩は三体あり、その一つが重要文化財のケヤキ一木造りの観音像。唇に鮮やかな紅がほどこされた可憐な姿が目を惹く。

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国宝や重要文化財の数では、滋賀県は東京、京都、奈良に次いで4番目に多い。それは諸説あるだろうが、木材が豊富だったこと、そして木材の乾燥や保存に適した地域だったことが一番大きいと言われている。さらに、京都や奈良に近いということも大きな理由のようだ。
コロナ終息した折は、ぜひ湖東、湖北、湖西の探訪の旅を楽しみたいものである。

7体の国宝十一面観音像がある寺院


向源寺 滋賀県
六波羅蜜寺 京都府
観音寺 京都府 
法華寺 奈良県 
聖林寺 奈良県 
室生寺 奈良県 
道明寺 大阪府 

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多種多才の方たちのワンチーム [仏画曼荼羅アート教室]

仏画曼荼羅アートの佛日寺教室には、ちょっとユニークな方たちが参加されている。
講座がスタートし、2回目が一昨日行われた。
男性、女性ともにお二人ずつ。
皆さん、それぞれが楽しい趣味をお持ちの方々である。
仏像を彫られている方、仏像をアート感覚で表現されている方、また寺院参拝を楽しんでいる方に、仏教に詳しい方など多種多才。
それぞれが情報を発信し、刺激しあいながら仏画曼陀羅アート教室がスタートした。

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稀な落語家「笑福亭鶴瓶」の、人を魅了する力 [伝統芸能]

一昨日、久しぶりに大阪梅田の紀伊国屋に行った。入口を入り目に留まったのが落語家 笑福亭銀瓶さんのポスター。見ると「師弟」という書籍のPR。ご存じの方も多いと思うが、笑福亭銀瓶さんの師匠といえば、あの「笑福亭鶴瓶」さん。ポスターの前には少しながら平積みされていたので、ペラペラと捲ってみた。 “笑福亭鶴瓶からもらった言葉”、という副題がついていた。鶴瓶さんあっての銀瓶さん、そして他のお弟子さんも、そうである。それだけ鶴瓶さんの存在感が大きすぎる。師匠を越えての一人前というレッテルが張られている。銀瓶さんはその先陣を切って、師匠を踏み台に必死に頑張っている。師匠を越える日もそう遠くないような気もするが、さて。

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その笑福亭鶴瓶さんの落語を14年前に大阪松竹座で聴いたことがある。その時が、後にも先にも一回きり。その時の感想を書いた記事があるので、引っ張り出して転載した。

昨夜は大阪・松竹座に「鶴瓶のらくだ」を聞きに行ってきた。いや観に行ってきた、と言ったほうがいいかも知れない。                      
笑いぱなしの2時間半。観衆をひきつけ、笑いの渦に巻き込む才知はやはり並外れている。彼の話から想像するに生まれつきの天性のような気がする。天才の粋である。子供時代、高校時代、落語家の道を志し弟子入りした頃の話しを聞いているとまさにそう思う。

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ご存知の通り、鶴瓶さんは落語家。六代目・笑福亭松鶴さんに弟子入りして35年に、と言っていた。弟子入りして一度も稽古をしてもらったことがない、と笑いながら嘆いていた。                                 
その代わりテレビではタレントとして大活躍。誰もが知る全国の人気者。その彼が本格的に落語を始めたのが5年前から、と言って笑いをとった。
そのときから今回のような企画落語会「鶴瓶のらくだ」を練っていたという。福岡の嘉穂劇場を皮切りに8ヵ所21公演を見事やってのけた。東京は歌舞伎座で、最終公演は彼の生まれ育った大阪の地の「松竹座」を選んだ。落語会、また落語独演会などで歌舞伎座や松竹座で公演できるのは彼くらいだろう。
それもすべての公演が超満員になるほどの大盛況ぶりであった。

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その最終公演の初日を観た。納得の演出が施されている。さすがテレビという媒体で鍛え抜かれた技と企画力に感心。落語会ではあり得ない価格8500円に文句言う人は誰一人としていないだろう、と思うほど見事なものだった。テレビの延長線上にある演出だけど、テレビでは出せない “生” 舞台を披ろう。存分に人間「鶴瓶」を見せてくれた。

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絹糸で色を奏でる日本刺繍の美しさ [伝統文化]

刺繍打敷の工房で、日本刺繍の製作現場を見せていただいた。お寺でよく見かける、卓の天板の下にはさむ敷物。この敷物の修復している、京都ならではの工房、和光舎の三条店におじゃました。

大きなモノはパーツごとに刺し、それを一枚の厚めの布地にまとめる。写真のものがそうである。同工房は修復がメイン、長年使うと糸が擦れ切れてしまうのでお寺からの修復の依頼が多い。たまに祇園祭や時代祭りなどの刺繍美術品などの修復も手がけている。

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この和光舎は、僧侶が着る法衣や布物をクリーニング、そして修復をする、いわゆる京都ならではの寺院とともに生き継がれている会社である。
その業務の一つが、全国でも珍しい刺繍専門の修復事業。京都刺繍修復工房として別事業で運営されている。工房は年間約100枚以上の修復依頼があり、100年、200年前に作られた古い刺繍を中心に修理修復作業を行っている。ひと針ひと針刺す作業は気が遠くなる。同工房では、それをコツコツと丁寧に仕上げ、昔からの技法で刺繍を通し伝統文化を守り続けている。
その刺繍の技術は宝物である。そのための技術者育成は企業として最大の役割であり、企業を存続させていく何よりの財産になる。

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祇園祭のもう一つの祭典。山鉾巡行を支える「作事三方」の人と技 【祇園祭シリーズ〈縄がらみ〉】 [伝統文化]

昨日、祇園祭を見に行ってきた。
通常なら7月17日は、前祭りの山鉾巡行の日。しかしながら、新型コロナウィルスで昨年、今年は中止。その代わりに山鉾町の代表者が徒歩で八坂神社の四条御旅所を目指し「拝礼行列」を行った。

通常17日は、山鉾巡行のあとすぐに山鉾は解体され後祭りにつなげていくのだが、今年はこの日、車輪とタペストリーが外され、翌日の18日に一斉に山鉾が解体されていく。その山鉾の骨組みがむき出しになり、山鉾を支える祇園祭ならではの伝統技術が見えてきた。
コロナ禍において祇園祭は中止と言われた中で、山鉾を建てるのは組み立て技術の伝承を欠かさず続けることがもっとも大きな理由、と関係者は言う。

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山鉾建ての作り方を大まかにいうと、柱を重ねそれに縄をかけ締めていく縄がらみ作業を「手伝い方」といい、天井や床などを組み立てる大工仕事を「大工方」という。そして、山鉾を支える車輪を担当するのが「車方」。大きくこの3つに分かれ「作事三方」という。
山鉾建ては3日間かけて組み建てられるが、その前半が「手伝い方」の作業である。
三方共に巡行を支える、専門技能を持った技術者集団がいる。

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今回、紹介するのが縄がらみ。蝶と称される縄がらみは、10t以上ある長刀鉾には両側に7本ずつあり、正面の結び方を特に「雄蝶」(写真)という。強度だけではなく見栄えも大事なことのようである。山鉾建てでは吉例として奇数という決まりがあり、5本の山鉾もあるが、どの山鉾でも毎年寸分違わぬ形に組みあがる。

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写真の下方の縄がらみは海老と称される部分。構造上の必然性はなく、装飾としての意味合いが強いようである。縄がらみが作れるようになるのに少なくとも10年はかかるようだ。
伝統文化を育む歴史背景や神事に加え、それを司る山鉾や神輿など、そしてそれらを作り操る方法や人があってこその文化継承である。
今回、祇園祭で見た “人の力” “匠の技”が、もう一つの祇園祭の祭典のように思えた。

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初夏の風物詩「蓮」と「柳」は、伽藍を彩る [雑感]

東寺の蓮池のほとりに柳の木がある。平安時代の能書家 小野道風の逸話に、蛙が柳に飛びつこうと何度も繰り返す。このひたむきの蛙の努力を見ていると、努力すれば運も味方する、という話がある。

小野道風が「柳」と「蛙」を結びつけたことにより、その後、柳と蛙が一対で俳句や川柳にもよく登場する。そこに初夏の寺院の風物詩である「蓮」が池を彩る。そんな風景が、寺院の静寂とよくマッチする。

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「柳」といえば、中国の古典によく出てくる。別れの場面で近親者が別れの餞に柳を輪にして手渡す風習があったようだ。そんな数々の風習の素が、空海が唐から持ち帰った行李(こうり/柳で編まれた収納箱)の中に詰まっていたのかも知れない。

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