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人の熱き思いが「名物」をつくりあげていく 【名物伝Ⅰ-尾道ラーメン】 [地域発展]

どんなところへ行っても「名物」といわれるものがある。名物といわれるには、それなりの歴史が積み重なり、そしてストーリーが存在するから名物といわれるようになる。そのストーリーは一つのことを成熟させるために関わった人たちの “熱い思い” 、そして費やした時間とその成果ではないだろうか。

今回紹介する、尾道名物はご存じ「ラーメン」と「お好み焼き」。尾道ではご当地グルメとして人気を博している両横綱である。これらは全国的に知られているが、いま風にいうならB級グルメといわれているもの。筆者にとっては子供の頃から馴染んだ生活食であるが、今
ではソールフードといわれるものかもしれない。
それらを味わうことが今回の取材の一つだった。訪問初日はラーメン店3軒をはしご、2日目はお好み焼き屋さんを2軒まわった。やはり尾道に来たなら尾道ソールフードを楽しみたいと思っていた。

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                    中華そば 朱

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                 2019年に閉店した朱華園

その名物ラーメンの一つが中華そばの「朱」というお店。尾道市役所からのれんが見えるほどの近さにある。尾道ラーメンを紹介するにはこの朱さんなくして語れないほどの店である。朱さんは2020年の11月に新規オープンしたばかりの新参ラーメン店。それにも関わらず、なぜこの店が名物といわれる存在なのだろうか。尾道市民は誰もが知るところであるが、尾道ラーメンストーリーを紹介する上で欠かせない存在だからである。
2019年6月に惜しまれながら閉店した尾道ラーメンの名店「朱華園」の創業者(故人)の味とメニューを、創業者の奥様と娘さんがそのまま受け継ぎ名店の味を再現し提供する店として朱がスタートした。

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                中華そば 朱のラーメン

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                朱華園のラーメン
                       
朱華園は、戦後まもなく台湾出身の檀上正儀さんが屋台で創業、その後に店舗を構えそれ以来行列ができる尾道きっての有名スポットになっていった。
豚の背脂が入ったしょうゆ味のスープと自家製の平打ち麺という独特の「中華そば」のスタイルを確立したことで人気が高まり尾道の他店にも広がった。
1990年代以降はこうした中華そばがいつしか「尾道ラーメン」と呼ばれるようになり全国区になっていった。

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                   朱のオーナー

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                   朱の店内

その尾道ラーメンの礎を築いた中華そばの味を復刻したいという奥さんと娘さんの並々ならぬ熱い思いが朱ラーメン一杯に込められている。                 
人の熱き思いが「名物」といわれる大きな存在にまで押し上げていくのであろう。

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新年 あけましておめでとうございます 「龍が海の川に棲みつく」 [地域発展]

尾道は「日本遺産」の町である。地域の歴史的魅力や特色を通じ、日本の文化・伝統を語るストーリーがあるということで認定されている。尾道は魅力あふれる有形・無形の数々の文化遺産があるというのが大きな理由である。
数々の文化遺産を形成する土台はやはり「地形」にあると思われる。船に乗って尾道水道を進むと、両岸が近くに見える。川をさかのぼっているかのような感覚になる。対岸の向島に挟まれた川のような水道で、いわば「海の川」と呼ばれている。

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その海の川を山空の千光寺から眺めるたびに想像が膨らむ。数年前に訪ねた際、海の川は架空の守護神として親しまれている「龍」が棲んでいるかのような想いを抱き、いまにも水の中から飛び出し天空に昇る姿を想像した。
今回も同じような想いを抱いた。龍は天空から舞い降りるのではなく、海に棲む神様がこの海の川のどこかを棲み処に生きているような錯覚を覚える。それは島々からなる瀬戸内海の地形がそう思わせるのだろう。また、龍が水の神様として崇められているから尚さらだろう。そして、もう一つの決定的な理由として、筆者の龍好きが空想をより膨らませ楽しんでいるのである。

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私の想像する龍は、京都建仁寺の襖絵に描かれているものがイメージされている。安土桃山時代の建仁寺復興にからんで海北友松(かいほうゆうしょう)が画いた日本を代表する水墨画で、礼の間を飾る八面の襖絵。この画は雲間から出現する龍が雲を従えながら飛び出している。この圧倒的な迫力をもつ龍と尾道水道がマッチングするのである。海から飛びだし尾道三山を取り巻きながら天空へ翔け昇る勇姿が目に映るのである。
令和四年の元旦の夜明けにかような空想ストーリーを描いてみた。新しい時代の始まりである。

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そんな尾道を歴史と文化を切り口に紹介していきます。拙い文章ではあるがご愛読いただければ嬉しい限りです。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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千光寺の巨岩には時の鐘を偲ばせる歌などが刻まれている [地域発展]

この度の尾道取材旅行で最初に訪れた名所は、やはり海の川といわれる尾道水道を見渡せる大宝山の中腹にある千光寺。予定ではロープウエーで上がる予定でいたが、尾道訪問の日から3週間ロープウエーが安全点検のため運休。ロープウエーから見下ろす景色を楽しもうと思ったがやむを得ずタクシーで向かった。乗車時間は15分ほどで公園入口に着いた。

目的は千光寺への参拝と、ご住職に千光寺について取材をさせていただき千光寺の周辺を撮影させていただくことだった。公園から千光寺までのわずかな間で海や山々の雄大な景色が目に飛びこんできた。タクシーを降り公園の入口で迎えてくれたのが、尾道名物の野良猫たち。寄ってくるわけでもなく逃げるわけでもなく、悠然とよそ者を見るかのような目を向けベンチに座っていた。

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そして尾道市美術館を横目で見ながら千光寺境内へ。本堂へ行く山沿いの道から臨む景観は、箱庭的都市といわれている所以の一端を見せてくれる。そこには、ご老人が立ち眺めておられた。聞くと、毎朝の散歩コースで、この景色を見て一日が始まるという。その方にとっては、暮らしの中の風景になっているようだ。

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歩いていると山肌にでかい岩が見えた。目に留まったのが岩に刻まれている歌の一節。

それは

岩のまに
古きほとけのすみたまふ
千光寺山かすみたりけり

その横に解説の木の板看板が立てられてあったので、それを参照させていただくと―
小杉放庵という人が書いた歌とあった。明治・大正・昭和の時代に活躍した画家で、この歌は終戦後、尾道を訪ねたときに書き記したもの。

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そしてその先の岩にも歌が刻まれていた。

音に名高い千光寺の鐘は
一里聞こえて二里ひびく

作者不明のようだが、みなと尾道でうたわれ続けた俚謡(りよう/民間で歌い伝えられた歌、さとうた、俗謡)の一つ。千光寺の時の鐘は、尾道で育ったものには忘れられないもの。沖合の船上で働いていた人たちもこの鐘の音を聞き励みにしたといわれている。

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大みそかには標高140mの山空の千光寺から除夜の鐘が周辺の山々や尾道水道に響きわたる。22時30分よりご住職の読経がはじまり、それに続いて除夜の鐘が始まる。24時には2022年の新年を告げる鐘が八つ鳴る。その鐘の音が尾道の山々、街々に一年の安全祈願の守護鐘として鳴り響くことだろう。

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明日より第5回尾道映画祭プレイベントが開催。尾道市合弁15周年記念の最後を飾る [地域発展]

今年の2月に、第4回尾道映画祭が行われた。そのタイトルが「大林宣彦監督 追悼 第4回尾道映画祭2021」だった。一昨年に生涯の幕を下ろした、尾道出身の映画監督 大林宣彦監督の遺作となった『海辺の映画館-キネマの玉手箱』と、代表作である「尾道三部作」が特集上映された。その記憶が覚めやらないうちに第5回が2022年2月26日(土)、27日(日)の両日開催される。年々盛り上がりをみせ、注目される映画祭へ発展している。

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その第5回尾道映画祭のプレイベントが、12月24、25、26日の3日間、尾道~因島~瀬戸田をつなぐしまなみ映画キャラバンとして開催される。2021年は、尾道市の平成大合弁15周年で、その記念すべき年の最後を飾るイベントとしてそれぞれの会場で行われる。

最後に上映されるのは、やはり映画の街 尾道。締めくくるのは「東京物語」。スペシャルゲストに脳科学者茂木健一郎氏を迎えてトークショーが行われる。
初日は瀬戸田のベル・カントホールで、アニメーション映画「グリンチ」、「男はつらいよ」、「戦場のメリークリスマス」。2日目は、因島の芸予文化情報センターで「時をかける少女(アニメ版)」と「海賊と呼ばれた男」。そして最終日、尾道へとバトンがつながれる。

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私は、アニメメーション以外の映画はすべて鑑賞している。素晴らしい作品ばかりで心が高鳴るが、やはり、その中でも「東京物語」は数回観ている。世代的な共感度が高いというのもあるが、なんといっても故笠智衆さんの演技は忘れられない。
このプレイベントは子供から大人まで、まさに老若男女が楽しめる映画が上映される。このプレイベントを起爆剤に、来年の第5回映画祭の成功へつなげてほしいものである。

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リポート/ 渡邉雄二(尾道映画祭情報参照) チラシ/ 尾道映画祭のFBより転載 

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変わる尾道に、懐かしの風景は残る [地域発展]

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今回の尾道訪問では、福山で新幹線から山陽本線に乗り換え尾道駅で下車した。南側の改札を出ると、数年前に訪れてときの駅舎の姿が変わり一新されていた。聞くと、一昨年にリニューアルされ、明治時代中期に駅舎が創設されて以来という。尾道の表玄関として新しい尾道を感じさせる駅舎に生まれ変わっていた。

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改札を出て左には尾道の名産や特産物がならぶ「おみやげ街道」というショップがあった。外部から来た者には、帰りに立ち寄るお土産購入にはうってつけ。正面には瀬戸内海が広がり目の前に向島が臨める。尾道ならではの風景である。駅舎と同様に駅前ローター周辺が変貌していた。
そして、駅前ロータリーの目立つ場所にしかも玉垣や柵等が一切なく開放的な神社があった。駅前に神社があるのは全国的にも珍しいのではないだろうか。お社の存在は知っていたが、駅前周辺の再開発により建替えられ新しくなっていた。
神社の扁額に「蘇和(そわ)稲荷神社」と書かれてあった。石柱には「霊威赫奕震四海」「盛徳廣大利萬民」と難しい言葉と市制施行 100 周年と刻まれていた。

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尾道は、1998年の市制施工100周年を機に、町が大きく変貌を遂げた。変わりゆく尾道を最も象徴したのが駅前再開発事業で、駅前ロータリー及び港湾緑地帯の整備、桟橋とホテル、商業施設を複合した ウォーターフロントビルなどの建設で新たな尾道駅前の景観が形成されていった。
振り返ると、戦後の広域道路網整備により尾道大橋、因島大橋、そして1999年に新尾道大橋が完成ししまなみ海道として四国へとつながった。そして、2005年に向島が尾道市に編入され、2018年 4 月 1 日、尾道市は市制施行 120 周年を機に第二弾の尾道変貌の歴史に刻まれるストーリーが誕生した。

筆者の個人的な尾道ストーリーは、駅前にある目の前の向島へ渡る「向島行渡船のりば」が始まりで尾道郷愁の原点になっている。生まれは隣の三原市だか、高校がこの尾道向島(当時は御調郡向島町)にあった県立尾道工業高等学校(2007年に統合され廃校、後に現在の尾道高校がこの地に移転)に、この懐かしの渡り船で毎日の通学していた。片道7、8分で、半世紀前のことなので記憶は定かではないが船賃が10円(現在100円/一人片道)だったように記憶している。駅前の渡船は人と自転車のみの乗船で、船の形はむかしのまま。その船姿だからこそ、懐かしい思いが高ぶる。

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新しい町に変貌する尾道に、むかしの姿が残されている。地域が一変する都市開発計画ではなく、地形やその地の歴史に準じた変革が随時進行している。世代が変わり尾道をより暮らしやすい町に、そして誇りにできるわが町にしたいと願う次の世代の人たちの活動が広がっている。これからの10年、また国内外から注目される尾道に変わっていくことを期待している。

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リポート&写真/ 渡邉雄二

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海の川「尾道水道」が織りなす風景 [地域発展]

先週、「尾道・文化紀行」の取材で尾道を訪ねた。
尾道には数々の観光スポットはあるが、やはり、千光寺から眺める景色はサイコ~!

海の川といわれる「尾道水道」は、一日の時間帯や天候の変化で見える景色が変わる。
また、空と雲そして海と大地が織りなす自然のイルミネーションが絶景をつくりだす。

この美しい景色は、毎日登る人たちの桃源郷になり、また手を合わせる人の祈りの対象になっている。そして外から訪れた者には郷愁の風景になっていく。

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新世界への通り小路「ジャンジャン横丁」の匂い [地域発展]

大阪御堂筋線動物園前駅1番出口を出て薄暗いJR高架トンネルをくぐるとジャンジャン横丁商店街。懐かしい古びた昭和の匂いがプンプンする狭い路地裏商店街。この路地は新世界、通天閣への歓楽参道として名を馳せている。

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狭い商店街の中はほぼ飲食店がを連ねる。飲食店のほとんどが串カツ屋、それに寿司屋に立ち飲み屋、そして一段と色鮮やかに人目を惹いたのが祭りでよく見かける射的屋。

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平日のお昼時のせいもあってか飲食店は賑わっていた。ほとんどが地元客のようだ。それもコップ片手に命の水(緊急事態宣言解除後)を、会話をつまみに旨そうに呑んでいた。筆者も仲間入りし上善如水を楽しみたかったが、とりあえず新世界へ。

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「β本町橋」都会の水辺リゾートとして様々な活動がスタート [地域発展]

先日、久しぶりに大阪に行ってきた。10年前まで長年通った堺筋本町へ。
この街に行くと必ず立ち寄るのがアイスクリーム屋のゼー六さん。(前回と同じ書出しになり恐縮です) 大阪人なら知らない人はいないほどの名物店である。何年かぶりに懐かしのモナカアイスを賞味。1個100円だったのが、消費税分が加算され110円になっていた。
当時、先代が窓口に立っていた時は、いつも金額のあとに大阪おやじギャグ(?) のような声掛け(例/ 100万両)し、お客さんを笑わせていたのを思い出した。

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モナカアイスを食べたあと、お目当ての「β本町橋」へ。
「β本町橋」というのは、南北に走る幹線道路の堺筋と松屋町の間を流れる東横堀川と本町通との交差に架かる本町橋の北側の一角に完成した水辺リゾートのベース施設のことである。
β本町橋を基点にこれからいろんな活動が予定されているようだ。水面に浮かぶボードの上にテントを張り水上キャンプを楽しんだり、屋台に弁当とか商品を持ち込んで販売したり、またレンタルルームとして施設の2階や川に浮かぶボートルームなどが利用できる。
そしてユニークなのが、日ごとに替わる店がつくるランチが楽しめること。さらに行楽シーズンにはβ本町橋クルーズも企画されている。
都会のど真ん中の水辺リゾートとして、いままでにない楽しみ方を提案する施設として注目されている。

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「e-よこ」秋のイベントの下見。大塚善章さんと一緒に開平小学校へ [地域発展]

「e-よこ会活動シリーズⅠ」に引き続きシリーズⅡは、いささか古い話ではあるが、2007年に開催した中央区今橋にある開平小学校でのコンサートについて振り返ってみるとー。

船場といわれる地域にあった大阪市立愛日小学校と大阪市立集英小学校が、都心部のドーナツ化による児童数の減少に伴い、1990年に統合され、集英小学校敷地に開平小学校が誕生した。
この小学校は何度か東横堀川水辺再生協議会(e-よこ会)のイベント会場として使わせていただいている。市立なのだが、私立のような学校である。大阪のビジネス街のど真ん中にある博物館併設の小学校である。(博物館については後日紹介します)

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伺ったときにまず驚いたことに、小学校に1920年作のスタインウェイのピアノがあるのにビックリ。ホール見学と調律を兼ねて伺った。今回は2人のクラシックアーティストをお迎えして行う。
e-よこ会のメンバーでイベントではいろいろとご協力いただいている、ラジオのパーソナリティーをしておられる紀平真理さんのご紹介で、パリからのお客様である。一人はピアニストの木野真美さん。もう一人がソプラノ歌手のマーシーメスさん。このお二人のクラシックソプラノライブである。「花と子供たち」がテーマで開催されたことを覚えている。そのメロディーをスタインウェイが奏でる。小学校のホールで歌っているとは思えない歌声が響いた。

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コンサートの一カ月前に、会場視察やピアノの調整に同行していただいたのが、紀平さんのご主人で関西ジャズ協会の会長でジャズピアニストの大塚善章さん。スタインウェイが奏でるジャズを聴きながら束の間の贅沢を楽しませてもらった。

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街に花が咲く。活動の輪が広がる。 「e-よこ会活動シリーズⅠ」 [地域発展]

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昨日、大阪・堺筋本町でゼー六のアイスクリームを食べたあと、お目当ての「β本町橋」
という先月末に完成した施設に伺った。
この地域には、大川(旧淀川)から土佐堀川から上流部で南へ分かれて、中央区の船場や島之内を流れる全長約3kmの運河・東横堀川がある。西へ向きを変え下流は道頓堀川である。その東横堀川は大阪城の外堀として開削された大阪で一番古い堀川で阪神高速道路の下を流れている。
2006年に東横堀川の周辺の環境を良くしようと発足されたのが「東横堀川水辺再生協議会(e-よこ会)」。筆者もその創設メンバーとして長い間お手伝いをさせていただいた。(10年前にこの地を離れたので活動はノータッチに)
そのe-よこ会の地道な活動が実り、このたび、「遊ぶ」「学ぶ」「働く」「暮らす」こ
との可能性を広げるための施設「β本町橋」が完成し先月28日にオープンセレモニーが行われた。

施設を紹介する前に、これまでのすべての活動のベースになっている「e-よ
こ会」を少し振り返ると、当時は東横堀川の東側にある大阪商工会議所地域振興部が水辺周辺の地域活性化を図るために地元の人や企業に声をかけてスタートした。

その活動の一端である東横堀川にかかる橋の掃除は、現在も周辺の人たちが参集し定期的に行われているようだ。私が参加していた頃のことだが、平野橋、本町橋の橋洗いやグリーンポットを持ち込んで花植えなどしていた。
東横堀川の上には阪神高速道路が走り、橋の中央あたりは雨がしのげるので、当時は路上生活者のたまり場になっていた。そこにはやはり悪臭やゴミが集中していた。大阪市との連携で月一回の清掃活動が徐々に実を結んでいった。とくに橋の環境整備には力を注いでいた。
ときには大掛かりな橋洗いも行った。総勢40名くらいの方たちが土曜日にも関わらず自主的に参加。ボランティアで参加していただいた消防士さんたちによるホースでの橋洗浄を行ったことも記憶している。

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シリーズⅡにつづく

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