SSブログ

一滴に込められた煎茶の心。-「e-よこソーシャルカレッジ」。 [e-よこ ソーシャルカレッジ]

煎茶は、夏目漱石をして「喉にくだるべき液は一滴もない」と言わしめたほど。小さな茶器に注がれた一滴は、喉を潤すものではなく、味と香りと、その時を楽しむためのもの。普段に飲むお茶の概念とはおよそかけ離れている。

今週の火曜日、8回目になる「e-よこソーシャルカレッジ」が開催された。
今回は、一茶菴宗家の佃 一輝宗匠さんに「煎茶の世界」をほんの少し観せていただいた。場所は、大阪・谷町筋から大手通を少し下ったとこにある宗家「一茶菴」。

ビルの谷間の細い路地を入り門をくぐり抜けると別世界。和の佇まいが広がる不思議な空間である。まず通されたのが控えの間。総勢30名近くが押し寄せたので縦横に座りきれないほど。
CA3C02860001.jpg
そうこうしていると宗家の佃一輝宗匠がお見えになり、俗から離れた中での楽しいひと時を共に、ということで別室に通された。

イメージしていた茶室とはまったく違うものであった。中国様式を醸し出している。何とも不思議な空間である。中国からお茶が入り、それを楽しむ空間として「書斎」が生まれたという。だから文人たちは書斎道具を揃え、煎茶を楽しみ、世俗を離れて個に遊んだ、といわれている。
CA3C02900001.jpg
煎茶は、お客様のもてなしではなく、自らが楽しみ、共に味わうものとして語らいの手段として文人にこよなく愛されたようである。
だからというわけではないだろうが、作法は重視されなくて「マナー」を重んじた、という。

一煎ごと入れる間の話の流れ、時の流れに絶妙な趣がある。軸や書斎道具から歴史や文化が見えてくる。そしてご主人の、このときの気分や気持ちが書斎道具に現れている。招かれた方は、それを感じ入って共にその時を過ごす、という。
CA3C02950001.jpg
それを図り知るまでにはほど遠いが、その意図のほんの一端を感じることができた。そして大阪の文化人によって見いだされ、育てられ、守られてきた煎茶に、心がときめく。

知ることを閉ざしてきたのか大阪の本来の文化を、もっと世に問うてもいくことが、これからやるべきことではないだろうか。
と、そう思った私だけではないと思う。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0