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煎茶で見えてきたもの。煎茶と王陽明、そして安岡正篤。 [心と体のなごみ時間「煎茶入門講座」]

今週の火曜日、煎茶シリーズⅡ「静やかな雁ヶ音」講座を楽しんだ。雁ヶ音はお茶の中でも最高峰もので、煎茶には欠かせないお茶の一つである。

今回は「雁ヶ音茶をちょっと違ったいれ方で、おだやかに、たおやかに」をテーマに今までとは違う入れ方を学んだ。過去のシリーズⅠ、前回のシリーズⅡまでは下投法(かとうほう)という入れ方で、先にお茶を急須にいれ、それから湯をそそぐ入れ方である。
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今回は"おだやかに、たおやかに"、という表現からして泛茶法(ほうちゃほう)になるらしい。泛茶法は下投法とは逆で、急須に湯を入れ、そしてお茶を浮かべるごとく入れること。これが泛茶法である。

復習として前回までの下投法で雁ヶ音をまずいただいた。そして泛茶法で改めて雁ヶ音をいただくと、初心者の私にもその違いが歴然とわかる。泛茶法のほうが滑らかにである。簡単に言うと渋味も苦味も薄い、ということになる。

今回もまたこの一杯を飲み干し、この一杯で終わるような雰囲気がしてきた。それも佃宗匠がその日掛けてあった軸に焦点をあててこられた。

漢詩の軸が掛けてある。始まる前に我々の雑談で漢字の読み方がどうしても話題になる。しかし今回は漢字ばかり。読める漢字がすくない。なれば当然ながら意味もちんぷんかんぷんである。
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観ていただいてのとおり(写真)、崩してあるからなおのこと読みにくい。ご存知だろうか、漢詩は2文字、2文字、3文字、あるいは2文字、3文字で意味を理解していくようになっている。始めの2文字がわからないなら、とばす。
次の2文字をみて意味を知ると、前のとばした2文字の意味を想像し膨らます。これが漢詩を理解していく方法らしい。

まさに想像力である。想像力なくしては漢詩が読めない、ということになる。その繰り返しで最後まで辿りつく。最後にこの漢詩をつくった人物の名「陽明」と記されていた。

ご存知の方も多いと思うが、中国の思想家「王陽明」である。最後にきて知ったこの漢詩の作者に私は驚いた。一時期「陽明学」という本をしきりに読んだ覚えがある。

驚いたのは、なぜ、煎茶に「王陽明」が出てくるのか、ということ。そしてもう一つ驚いた。この文字を書いた人物を聞いて鳥肌がたった。
「安岡正篤」である。安岡正篤氏は昭和の指導者である。昭和の総理大臣を支えた人物である。当時の東洋史学、哲学の第一人者であった。平成、という年号の名付け親が安岡正篤といわれている。この方も陽明学には欠かせない人物として、安岡正篤を読み漁った。

この安岡正篤が、この一茶菴にいつも出入りしていたという。そしてこの軸も「ここで本人が書いたものです」と佃宗匠がおっしゃった。なんと言うことだろう。私が、歴史上の人物の中で崇拝する一人だから、その驚きは想像を絶した。

佃宗匠の軸の解説に集中していると、涼炉の火も落ち、今回も一煎で終わりか、と思っているとおもむろに佃宗匠がさめた湯に雁ヶ音を浮かしてください、と。

雁ヶ音を浮かした。そして間をとって味わった。くたびれた味になっていた。この冷めた湯を「老湯(ろうとう)」という。

なんと不思議な時間を体験した。煎茶から見えてきたものが、私の人生の基盤になっているものだったとは。老湯には遠いが、老湯の味もなんとなくわかったきた。
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