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堺ブランドを高める「堺打刃物」の職人魂。文化想造塾【逸品殿堂】シリーズⅣ [文化想造塾【逸品殿堂】]

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そのむかし、大阪の堺は、日本でも有数の港町として栄えた。海からの荷物が上がる拠点が堺だった。そして大坂(大阪)へ、京へと運ばれて行った。堺の港から大坂(大阪)の道修町や北浜までの街道が、いまの大阪の南北を走る幹線道路、堺筋である。堺筋は堺から大坂(大阪)までの主要街道だった。

当時貿易港として栄えた堺にはモノが集まっていたことから「モノの始まりは堺から」とよく言われていたようだ。その名残でいまも堺には数々の伝統産業が息づいている。その代表的なのが「包丁」である。

「堺刃物(包丁)」はブランドとして知名度がある。包丁、といえば堺、という認識は高いようである。堺打刃物の起源は古く、堺にある世界最大の前方後円墳で有名な仁徳御陵築造の頃にさかのぼる。当時、この大規模な工事のために必要な土木器具のクワや鋤が大量に必要になりそれらを生産するために全国から鍛冶職人が集まり集落をつくり住みついた。その後、ポルトガルからタバコが伝来し人々の間で広まりそれに伴いタバコの葉をきざむ包丁の需要が高まり、鍛冶職人達がその製造に着手し、その製品の優秀さが当時の江戸幕府に認められこれを幕府専売品として堺極と刻印し全国に広まっていった。

パンフレットには「打刃物」とか、「刃付け」という風に表記されている。「包丁」という表現があまり使われてない。門外漢にとってはよくわからない。尋ねてみると、堺の包丁は「分業制」になっている、という。鉄と鋼を叩く鍛冶屋作業を「打刃物」という。刃付けというのは「研ぐ」作業のことをいう。そして柄付けや販売をする「問屋」というのに分かれている。

この3つの作業の製作がすべて堺で行われているものを”堺ブランド”という。しかし、いま一般では「堺包丁」として売られているほとんどは純粋の”堺ブランド”ではない。まして一本一本丹精こめて叩いて研いで造られている包丁も少なくなっている。

今回、訪れたところは「榎並製作所」という打刃物専用の鍛冶屋さんで。現在は榎並正さん(49歳/写真)が一人でコツコツと造りあげている。正さんで4代目になる。先代の父親の姿をみて、小学生のときから鍛冶屋になる、と決めていたという。大学を卒業しそのまま父親に弟子入りし、それから27年が経つ。

榎並さんが造ったモノはすべて東京で売られている。釜でコークスが燃え盛る中に細長い鉄を入れて700度くらいまで焼く。真っ赤になった細長い鉄棒の先に鋼を重ねて再び釜の中へ。その鋼が刃の部分である。鉄と鋼の燃える色合いをみる。叩く(打接)のにベストの温度が1100度くらい。

釜から取り出すタイミングは感覚というか、長年の経験によってはかる。その温度が1100度くらいらしい。この温度を間違えるといい包丁はできない、という。取り出してすばやく自動の叩く機械にはさむ。速度や間隔は足で踏むペダルで調整する。見る見るうちに長く伸びていく。そして叩くことによって鉄と鋼の間の不純物が取り除かれ、くっついていく。この一瞬の作業がものの見事に進むのは、長い経験の賜物だろう。

今では、子供たちの授業の一環として見学に訪れたり、実際に包丁を作ったりもする。「堺市にはこんな伝統産業があるんだ」ということだけを学ぶのではなくて、モノづくりの大変さを学んでほしい、と榎並さんはいう。それが、モノを大切にする気持ちへとつながっていくはずだ、と力説する。

効率、コスト、合理性、便利、簡単、というコンセプトで造られるものからには、モノを大切にする心は育めない。これから必要なものは”職人魂”のような気がしてならない。

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榎並さん製作(特別)の刺身包丁(写真と同じものは住吉大社に奉納) 200,000円

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一般の文化刃(六尺片刃/販売) 12,000円

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