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春の宵は、千金に値する。  [雑感]

清少納言の「枕草子」は、四季の、それぞれの特徴を一言で表している。
それは、春なら「あけぼの」、夏は「夜」、秋は「夕暮れ」、そして冬は「早朝」というように。
中国では、北宋時代の著名な詩人である蘇軾(そしょく)は、春を「夜」と表している。春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほどすばらしい、という「春夜」という詩を残している。
春の夜は、楽しくもあり、寂しくもある。詩ではもの悲しい季節として、秋もさることながら春の宵は「寂寂」とした情感を醸し出す。

春の宵1.jpg

その代表詩がご存知の「春夜」である。

春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細
鞦韆院落夜沈沈

現代訳では、
春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほどすばらしい
花は清らかに香り、月はおぼろにかすんでいる
歌声や楽器の音が鳴り響いていた楼閣も、今はかすかに聞こえるばかり
ぶらんこのある中庭では、夜が静かにふけてゆく

春の夜は、管弦を聴いたり、花や月を愛でていると寂寂なる感情が溢れてくる。それが、春の宵の千金なのかもしれない。
そんな想像を膨らませながら、梅雨に霞む夜空を眺めながら玉露の味を楽しんだ。

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能楽師 林本大氏が、積極的に普及活動を開始。 [伝統芸能]

先日、十数年ぶりに能楽師シテ方の林本大(はやしもと だい)氏にお目にかかることがあった。林本氏と最初にお会いした時は、まだ、ある能楽師の内弟子だったころだと記憶している。
それから20数年が経ち、今ではご本人主宰のグループの活動や能の普及セミナーやワークショップなど積極的に行っておられる様子をSNSで拝見していた。
日本の舞台はもちろん、海外公演にも出演されている。能の講座「能meets」を企画、東京・大阪などで展開。また自主公演なども主宰し活動の枠を広げておられる。

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顔を描き、命が吹きこまれる。 [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

昨日は箕面で仏画曼荼羅アート教室だった。
生徒さんの進行具合はそれぞれ違うが、教室開講当初から参加されているお二人の力作がほぼ完成まじか。ちょうど般若心経を書き終えて、あと上・下に飛天や飾りを施し完成である。
前回まで13体の仏画には顔が入ってなかったが、昨日ご持参の際にはすべてに顔が描かれ命が吹き込まれていた。それぞれの顔の表情が異なるのが魅力的である。仏様の個性のように思える。

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七夕の夜に、針に糸を通す。裁縫が上達しますように、と。【七夕Ⅱ】 [伝統文化]

前回の記事で書いたように、中国では七夕のことを「乞巧(きっこう)」と言っていた。その乞巧が、日本に伝わったときは「七夕」ではなく、「棚機(たなばた)」と書かれていたようである。
それは、七夕に登場する織女(しゅくじょ)星は機織りや裁縫の仕事、牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星とされていたからのようだ。

その織女星にあやかって機織りや裁縫が上達するようにと祈るようになった、と言われている。乞巧の夜に、庭先に祭壇を設け、針を供え星に祈りを捧げ、月の光の下で針に糸を通すという、風習がいまでも中国にはあると聞く。

そのような “棚機伝説” が日本に伝わり、“七夕伝説” に変わっていった。伝わった当初の棚機がいまもそのままの“棚機伝説” ならきっと日本の織物関係、繊維関係、アパレル関係の企業等は業界PRとして新たな伝説を創り上げていたかもしれない。だが、残念ながらそういったという話は聞いたことがない。
織女星と牽牛星、天の川、上弦の月という題材をフルに使ってメルヘンティックな世界に誘ってくれる「七夕」は、いまでは子どもたちの “願い事” をかなえるための祈り祭事として楽しまれている。

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ちなみに中国では、七夕の夜、織女星に向かって針を月にかざし糸を通している絵が残されている。(写真)

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中国から伝わった七夕は、女性の節句【七夕Ⅰ】 [雑感]

七夕はどの地方でも行う祭事で、願いを書いた短冊を笹に吊り下げ祈願する祭事であるのは周知のとおりである。
ご存知のように、七夕は七月七日。七夕同様に、新暦の日にちの数字合わせで、三月三日、五月五日、九月九日と節句の歳時が続く。すべてが当然ながら新暦で行われている。
その昔、旧暦で行われていた歳時や祭り事は、いまの新暦でいうと当然ながら季節のズレが生ずる。
自然の摂理に基づいて行われていた事が、新暦に準ずると違和感が生じるのは言うまでもない。もちろん七夕もそうである。新暦では七月七日であるが、旧暦にあてはめると通年八月十日前後となる。

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いつもは八月十日前後に夜空を眺めると、もしかすると天の川と織姫星と彦星と上弦の月が見られるかもしれない。上弦の月があっての七夕のようだ。この時期が一番織姫星と彦星が接近する。しかし天の川を挟んでいるから逢うことはない。
そこで、彦星が上弦の月に乗って織姫に逢いに行く。そんな楽しい伝説がある。だから七夕は、上弦の月を入れ”七夕伝説”が成り立っているらしい。

さて、お軸(写真)を見ると
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これが七夕を表現するお軸なのだろうかと思ってしまう。
賛(文字)を観ても画を観ても、七夕を想像させる要素が全く見あたらない。では、画はなにかというと、たぶん毬(まり)だろうと思う。なら、葉っぱはなんだろう、となるが思い当たるものが出てこない。
賛の漢詩を詠むと最後に「乞巧(きっこう)」と書かれてある。この言葉が、中国でいう七夕のことである。

七夕は、古代中国の祭り事である。それが日本に伝わり日本の風俗や地域にあった七夕に変化していった。中国はいまも七夕を祝う風習はあるようだ。日本のようにお供えをするらしい。中国の場合、女性のお祝い事のようである。裁縫や手芸が上手になりますように、と。
賛に書いてある七針(針に七つの糸を通す穴がある)で七色毬をつくる。その毬を置いて、七夕の夜に天の川と2つの星、そして月をたらいに映し出し、梶の木の葉の裏に願い事を書いて浮かべるというお遊びがあるらしい。だから、毬に梶の木の葉を添えて七夕を表現している。

解説を聞いていると一つの祭り事でも、時代や地域、また人の捉え方で内容が異なる。基本情報をおさえながらそれぞれが、それぞれの捉え方で楽しむのがいいのかも。

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名庭、「天授庵」の妙味なる風景。【南禅寺Ⅲ】 [文化想造塾<社寺>]

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京都 南禅寺塔頭の「天授庵」は紅葉の名所として知られている。
その書院南庭には杉や楓、そして椛などが池泉(ちせん)を覆い、秋には水面が紅葉で染まり幽玄の世界を見せる。また晩春、初夏にかけては深緑が静寂の世界へ誘ってくれる。一年通し、庭園風景が楽しめるお寺はそう多くはない。さらに、方丈東庭には菱形の畳石が禅寺特有の枯山水の庭があり、南禅寺同様、小堀遠州が作庭にかかわったとされている。

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方丈内部には、長谷川等伯(はせがわとうはく)の障壁画(複製)がある。そのひとつが、禅の悟りの境地を表現した「禅宗祖師図(ぜんしゅうそしず)」で、いまひとつが、中国秦時代の末に商山の山中に隠棲した高官たちがロバに乗る姿を描いた「商山四皓図(しょうざんしこうず)」の襖絵がある。これらも、見応えのあり、天授庵ならではの庭園と絵画が堪能できる。

筆者が訪ねた折は、雨の雫が青々とした葉から滴り落ち、池泉に雨音が響いていた。
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自分の作品が、喜んでもらえるなら、と。 [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

昨日の仏画曼荼羅アート泉佐野教室で、ある70代の女性の生徒さんが皆さんにこんな可愛らしい、手作りの巾着袋を配られた。中に飴ちゃんが入っていた。
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その方が、ちょっと先生〜。まじめなお顔で、「あのね、先日、ウォーキングしている時に、いつもすれ違う男の人から声がかかったのョ!」

「え、それってナンパ!」と私の突っ込みに、周りの方々からかも笑いが。

「その方はとっても優しくて、知り合って以来、ウォーキングのたびにお話をしているのョ」と。
「で、先日、その方の奥様が急に亡くなられたことを聞いて、ちょっとショックを受けて」。
「それで、いままで描いた仏画のどれかに般若心経を書き添えて、その方に贈ろと思っているのだけど、先生どう思いますか」。

「それは、素晴らしい!ご自分の作品を差し上げたら、きっと驚かれ、喜ばれると思いますョ〜」と。
こんなステキ会話をしながら楽しい時間を共有させていただいた。


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南禅寺の庭園、小堀遠州作庭「虎の子渡しの庭」の伝説。 [文化想造塾<社寺>]

ご存じの方も多いかと思うが、京都には七つの不思議な伝説がある。その一つに「南禅寺の七不思議」があり、その言い伝えは興味深いものばかりである。七不思議の一つに、江戸時代の名作庭家、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作の方丈庭園「虎の子渡しの庭」というちょっと面白い言い伝えが残っている。

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大方丈の南側に広がる白砂が敷かれた細長い矩形(長方形)の庭。江戸時代初期の代表的な枯山水庭園として、国の名勝に指定されている。方丈庭園は、白砂と築地壁(ついじべい/粘土を固めた壁)に面して置かれた大小6つの石が見事なバランスを奏でている。のこの庭は川を渡る虎の親子に見立て、中国の故事に倣って「虎の子渡しの庭」と呼ばれている。その中国の故事とは…。

母虎とその3匹の子虎は川の対岸に渡ろうとしていた。この3匹の子虎のうちの1匹はとても獰猛で、母虎が注意して見ていないと、他の2匹を食い殺してしまう恐れがある。しかし、対岸へは一匹ずつしか連れて行けない。2匹が食べられてしまうことなく、無事に3匹を対岸に渡すにはどうすれば良いかと母虎は考え、そして名案を思い付いた。
まず、獰猛な子虎を連れて川を渡り、そして、母虎だけ戻って、次の1匹を連れて渡った。対岸に着いたら、獰猛な子虎を連れて再び戻り、獰猛な子虎を残して、もう1匹の子虎を連れて渡った。最後に母虎だけが戻って、獰猛な子虎を連れて渡った。これで、母虎と3匹の子虎は無事に川を渡ることが出来た。

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この故事には、どのような子であっても親は愛情を均しく注がなければならないという教訓が込められているようだ。小堀遠州は、この故事を知った上で作庭したかどうかはわからないが、「虎の子渡しの庭」という名がついていることで、この故事との関係性は深いように思われる。そう思い浮かべながら庭を眺めると優しい気持ちになれるかもしれない。やはり禅寺の姿が庭にも表れている。                     
ちなみに、同じ禅寺である龍安寺の石庭も「虎の子渡しの庭」と呼ばれている。


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柳広司著「風神雷神」の絶妙な結び。 [雑感]

先日、柳広司著の「風神雷神」2巻を読み終えた。江戸時代初期の画家 俵屋宗達物語である。
京都で名の知れた扇屋の後継者として扇絵を描き続けていく中で、二人の人物と深く関わることで画家として大成をおさめた。その一人が刀剣家である書家の本阿弥光悦、そしてもう一人が公家 烏丸光広である。彼らの影響で宗達の絵は熟成されていった。

俵屋宗達の絵は国宝、重文に指定されている作品が数々ある。その中で宗達の代表作の一つがご存知、建仁寺所蔵で京都国立博物館寄託の「風神雷神図屏風」である。
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この本の結びが実に絶妙だった。読み終え暫し余韻を楽しむことができた。
その終わりの文章を転載する。
宗達が心を動かした3人の女性の、風神雷神図屏風を前にしての会話である。
本阿弥光悦の娘 冴が「この鬼ら、なんや楽しそうやなぁ」
「よう見たら、笑とるわ」と、宗達の女房のみつ。
「遊んどるようにしか見えへん」と出雲の阿国が苦笑まじりに呟く。
(3人とも)笑うことによって宗達からの呪縛が解けたのだろう。
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漢詩は、想像物の産物。 [文化想造塾<易社/煎茶>]

こんな歳になって漢詩に惹かれている。といっても初心者の横好きで、思うように詠めない、理解もできないがなぜか楽しいのである。若い時からもう少し馴染んでいればと思うが、残念ながら後悔先に立たず、である。それでも教えていただきながら牛歩で前に。

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中国古典文学なかの最高峰と言われる一人である「李白」の詩は、中国の先人の詩の中でも想像し難い果てしない物語が詠まれているものが多い気がする。その中でも悲愴感を短い言葉で連想させることは極めて難しい。昔の著名な文人(詩人)たちが詠んだ詩の多くは「悲壮感」を表現したものが多い。
地方に左遷され、また仕事を辞め隠棲した折の悲しみや葛藤を詠ったものや、遠くの人や故郷を偲ぶ詩が多いようである。その書き手の意図や深さを詠みとることができれば嬉しいのであるが、そうは容易くいかないのが漢詩の面白さである。

こんな思いを抱きながら「李白」を詠んでみた。

望廬山瀑布(廬山の瀑布(滝)を望む)
日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂前川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天

日本語読み並びに現訳すると下記のようになる。
 
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず、遥かに看(み)る瀑布(ばくふ)の前川(ぜんせん)に挂(か)かるを。
飛流直下(ひりゅうちょっか) 三千尺(さんぜんじゃく)、疑(うたご)うらくは是(こ)れ銀河の九天(きゅうてん)より落つるかと

太陽が香炉峰を照らし紫の靄を漂わせ、遥かに遠い川の向こうには滝がかかっている。
三千尺もの高きからまっすぐほとばしって、
まるで天の川が天の一番高いところから流れ落ちたようだ。

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左遷された李白が悲愴感に苛まれながら日々の暮らしの中で、この瀑布(滝)を見ながら新たな出発を成す力強いエネルギーになった光景だったのだろう、と想像させる。
筆者が学ぶ漢詩は、絵が必ずついている。掛け軸(写真)を見ながら学ぶものである。その絵は、詩を書いた人が描いたものと別人が描いたものがある。いずれにしても、詩を詠みとっていく場合に絵が大きなヒントになる。漢字がわからなければ絵を見る。内容がわからなければ絵を見る。絵の中からいろんな情報を読み取っていく。読み取っていくというよりは、見ながら想像を膨らませていくのである。これが実に面白い作業なのである。筆者の独断と偏見でいうなら、漢詩は想像力の産物である、ということになる。
※内容は、文人茶一茶庵の稽古から。軸(一茶庵所蔵)もその席に掛かっていたものである。
※トップの写真は、中国文化院ブログより転用

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