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卓越した能の演技力。 “観る力” が求められる。 [文化想造塾【逸品殿堂】]

半年ぶりに取材活動を開始した。自粛期間が長引き、取材内容やスケジュールなどが思うように調整ができなくなり、久しぶりの再始動になった。今回の取材は、ある企業の「YouTubeチャンネル」を開設し日本の伝統文化に関する動画を制作している。
その動画を国内はもちろん、海外に向けて発信することを計画している。それは、日本の伝統文化を海外で観ていただくチャンスを増やし、それを後々英語で伝える内容にしていくことを検討している。
その第一弾として、能楽師 林本大氏による「能楽」を紹介する。

その取材を開始した。動画撮影の合間を縫って見聞きしたことを拾ってみた。
能というのは、必要最低限の舞台装置しか用いない演劇である。使う主なものとしては「面(おもて)」、「扇(おうぎ)」、「装束(しょうぞく)」のみ。そして能は「舞」、「謡」、「囃子」だけで成り立っている。これだけで演者はそれぞれの物語を表現していく。つまり演者は高い演技力(技能)が必要とされるわけである。
となると、観る側の “観る力” が求められる。演じる側は、観る側に寄り添い解りやすいようにストリーや舞をアレンジすることは一切ない。いうなれば、観る側にその知識や理解力を強いるのである。「伝統」を一切崩さず演じるのが「能」、だから面白い(深い)と思える芸能として今も生き残っているのだと改めてその存在感を痛感した。

今後は、能の歴史や現代に伝承されてきた経緯など、また、能の題目や謡や装束などについても取材をする予定である。現段階では、日本語のみのYouTubeチャンネルにアップしている。
■YouTubeアドレス / https://youtu.be/3V1msLDjN2w

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費晴湖と李白の共演!李白の心模様が「早発白帝城」に。 【一茶庵 稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

茶会の易社席に掛けられるお軸(写真)をみると、小舟二槽がゆるりと山河に浮かんでいる。
この画は、南宗画の大家といわれる「費晴湖(ひ せいこ)」が描いたものである。清代中期に活躍した画家で、江戸時代中期に日本に渡来し南宗画様式の技を伝えた、という記録が残っている。
文人画らしい自由な表現で描かれているのが見てとれる。南宗画独特の大らかさがある。

白帝城1.jpeg

その画の賛に李白の、あの有名な「早発白帝城(つとに 白帝城を 発す)」の詩の一節が書かれている。
その原文が下記のものである。

朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山

朝早くに、美しくあざやかな雲のたなびく中、白帝城をあとにした。
千里の彼方にある江陵まで(激流の川下りで)一日で帰ってきた。
両岸で鳴く猿の声が、まだ鳴きやまないうちに軽快な小舟は、
いつくもの連なった山々を、すでに通過してしまった。

という解釈になる。

早発白帝城.jpg

李白の心情をこの詩から読み取るなら、「千里江陵一日還」である。小舟で千里を一日で下れるわけがないのに、この一節では一日で下った、と書いている。リアル感よりスピード感を表現したかったのだろう。
左遷され赴任先に行く時の心境なのか、また赴任先から帰路につく時の心境なのか。つまりいままでの雑踏の俗界を猿の甲高い泣き声に例え、それからやっと逃れ、大河に辿りついた様を表現した内容のようである。

費晴湖が描いた画と、李白の詩が見事にマッチしている。李白の心の空白をこの詩で表現。俗界から離れてゆく喧騒感の寂しさと喜びとが交錯しているようにも思える。このお軸から費晴湖と李白の心情を読み取りながら飲む煎茶は喉に沁みる。

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「般若心経」は "あきらめ"の境地かも! [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

以前、FB友達の記事の中に、エッセイストで小説家の山崎ナオコーラさんの「あきらめるのが好き」というエッセイの内容を抜粋しまとめられた話が掲載されていた。
山崎さんは「あきらめるのが好き」のコラムの冒頭に、歳を重ねていくとあきらめることが増えていく、と。それも二十代からあきらめ人生が始まっている、と書かれていた。
失恋が好き、あの人をあきらめられる。
失業が好き、買い物をあきらめられる。
次から次へとあきらめていくと、素っ気ない私が見えてくる。自分が明らかになっていく、とある。
若いときから、あきらめずにがんばることが生きていく証のような生き方をしてきた人間には、この言葉は抵抗がある。しかしながら、FBを読ませていただいたとき、的を射た内容にいささか驚いた次第である。
今日は、昨日に続いて泉佐野市生涯学センター主催の「仏画曼荼羅アート」講座である。心経の想いがみなさんに届けばという願いをもっている。般若心経を学ぶ中で "あきらめ" という新しいキーワードが妙にスッキリする。あきらめて一旦終わる。そして、また何かがゼロから始まる。
それが般若心経の真髄ではないかのように思えてくる。

あきらめ2.jpeg

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「米法山水」で、湿潤を表現する。 【一茶庵 稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

煎茶稽古に掛けてあったお軸の山水画は、墨の濃いさが強調されたものだった。
いつも通り、宗匠が「この画をみて、季節はいつごろ? 天候は?」という問いかけから始まった。ただ「うぅ〜」という唸り声だけが漏れてくる。お軸の上部白場には薄く横模様が入っている。この模様で雨が表現されている。
そして、渓谷の樹木につける葉が墨で強調されていることは、葉が開いている様子を表わしている。そうすると、雨が終わりに近づき夏が到来する季節ということになる。
そこまで読み切れれば、山水画の醍醐味がわかるのだが・・・。

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山水画を描く文人たちは、雨を描かなくても湿潤を表現する技法を使う。それが「米法山水(べいほうさんすい)」というものである。門外漢の私には知る由もない。宗匠の解説によると、中国,北宋の文人画家 米芾 (べいふつ) ,米友仁父子が創始した山水画法。筆線を隠し,筆を横に倒して点をいくつも重ねて樹木,岩山を表現する画法で,湿潤な江南の山水の趣を表現するのに使われている、とのこと。

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3枚の山水画(写真)ともに、樹木や山を、筆を横にして描いているのが分かる。この技法を見ただけで天候がわかるということになる。絵描きになるわけでもないが、煎茶をより楽しく、そして理解していく上で豆教養として大切なことなのかも。

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白漆喰で、白鷺城の美しさが際立つ。【姫路城】The white stucco highlights the beauty of Shirasagi(Himeji) Castle. [文化想造塾<建造物>]

東へ上れば京都「東山」、西に下れば播磨「姫路城」。
こんな言葉が、私の散策散歩の定番フレーズになっている。
私の仕事の都合で、昨年までは京都、姫路などに行くことが多かったため、この散歩コースが定番になっていった。京都は言うまでもなく大好きな街であるが、姫路は、平成の大改修で天空に浮くかの如く美しさを際立たせている姫路城の姿に惹かれ、姫路を訪れた際は、必ずと言っていいほど近くまで行き眺めては楽しんでいた。

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掲載されている写真は2014年に行った時に撮った姫路城である。来年(2015年)の3月27日が姫路城大天守の改修のお披露目が行われると聞いている。今年(2014年)すでに大天守の覆いはとれ、秋空に浮いているかのように五重層の大天守は白く輝きをはなっていた。まさに「白鷺城(はくろじょう)」の復活であった。
白鷺城の由来は、資料によると「姫路城が「鷺山(ろざん)」に置かれているところから」、「白漆喰(しろしっくい)」で塗られた城壁の美しさから」、「ゴイサギなど白鷺と総称される鳥が多く住んでいたから」、「黒い壁から「烏城(うじょう)」とも呼ばれる岡山城との対比から」と諸説あるようだ。
また、一般の呼称では「白鷺城(しらさぎじょう)」と言われることが多いが、これにも諸説あるようだ。日本の城郭の異称は音読みするのが学術的には普通のようなので、「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれるようになった。

姫路城3.jpg

見るからに白い。遠目でみればなお白さが際立つ。屋根までが白く見える。屋根が白く見えるのは、瓦にも白漆喰が施されているからである。丸瓦の接合重ね部への目地漆喰の仕上げで、端部のひねり掛け(漆喰の上塗りの際の左官職人の技)を行っているから白が浮き出ている。面土漆喰(屋根台の土にあるがあたらないようにする)や鬼首漆喰(鬼瓦の付け根に塗る)などの瓦止めの機能のほか防水性をより強度にしている。

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何百年の期間を耐えられるようにするための工夫が随所に施されている。これが歴史を築いていく材料や技である。その知恵の結晶が日本の独特の、絶妙なる美しさを生み出しているのだろう。

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般若心経をリズム音読すると、心も体もスッキリ !  [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

新型コロナウィルス騒動で、4月に発令された緊急事態宣言で自宅待機を余儀なくされ、自宅活動として、コロナ収束祈願として「写経」する人が増えた、とあるお寺の関係者の方がおっしゃっていた。 私もそのうちの一人である。

先日、仏画曼陀羅アート教室で、生徒さんから瀬戸内寂聴さんの和訳付きの般若心経のコピーをいただいた。その始めの書出しに、黙読してもよし、音読してもよし、書き写してもよし、と書いてあった。
教室では始める前にできるかぎり呼吸法と瞑想をそれぞれ5分程度行っている。呼吸を整えることによって、また瞑想することによって制作作業への扉がスムースに開くと思っている。

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今回このコピーを見ながら、まず私が和訳を音読した。般若心経の和訳はいろいろある中で、この寂聴さんの和訳が非常に解りやすく美しい気がした。心経をより理解して書くと、書き手の想いが仏画曼陀羅の制作に反映されるような気がする。その想いを大事にするためにも、般若心経を全員で音読しようと思っている。
歌のようにリズムにのって声を発すると気持ちいいし、心も体も、そして頭にも良いように思える。騙されたと思って、チャレンジしてください。

残暑厳しい折、くれぐれもご身体をご自愛ください。
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