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明智光秀のゆかりのお寺、西教寺 [歴史遺産]

昨夜のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で、織田信長の比叡山焼き討ちのシーンが放映された。
一年前の今日、比叡山と、明智光秀とゆかりが深い西教寺に行った時のことをブログやSNS等で触れていたので、昨夜放送の大河ドラマとの内容が一年違いではあるが偶然にも重なり少々驚いている。

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一年前に書いた記事を読み返してみると

先日、比叡山延暦寺を訪ねた帰りに西教寺を参拝した。
ご存知の方も多いと思うが、同寺は来年から始まるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公「明智光秀」ゆかりの地である。
1571年、織田信長の比叡山焼き討ちの際に焼失した西教寺を復興したのが、坂本城主だった光秀である。それゆえに光秀一族の菩提寺になっている。

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静寂さ中に天台真盛宗派本山として凛と佇んでいる。この西教寺には「手白のましら(猿)伝説」があり、上人の御徳は鳥獣にも及ぶほどである。
こうして寺を護る猿として「護猿[ござる]」となり、縁がござる、福がござるといって親しまれ、ごえんと呼んで「五猿」と書き、五匹の猿が念仏を唱えている姿が語り継がれている。
その五猿をシンボライズして猿瓦が随所に見られる。鬼瓦の横にお猿さんが座り見守り続けている。

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本殿に行くまでの少し上り坂の一本道は紅葉ロードといわれ、ドラマ撮影のロケにもよく使われている。その中でも忠臣蔵の、雪の中で出陣するシーンは有名である。

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傑作、制作進行中!【仏画曼荼羅アート教室】 [文化想造塾[曼荼羅絵図]]

13仏の来迎図の下描きと、
色鉛筆で着色された13仏。

先日来の課題(900㎜×1500㎜)を家でコツコツと制作、
途中段階ではあるが教室に持参されお披露目された。

大作が完成に近づいている。毎日、空いた時間を利用し励んでおられる。
着色されている方は80歳半ば。いまは、毎日和紙に向かうのが楽しくて、
と嬉しそうにおっしゃる。

皆さん、楽しんで描かれている。
その気持ちが仏画の顔や姿に現れている。
紙の中から仏様が語りかけつくるようである。

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京の東山は、陽光が似合う [文化想造塾<社寺>]

小春日和だったせいか、京都東山も陽射しがさしていた。
雲龍院の霊明殿で写経を終え、本殿に行く途中、
灯篭を中心に菊の御紋を形どった白い砂利が陽光に包まれていた。
また、手洗い場の格子の窓を遮るかのように強い斜光がさし込んでいた。

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梵字の謎が解け、また一歩前進 [文化想造塾<社寺>]

皇室とゆかりが深く、「御寺(みてら)」と呼ばれる真言宗泉涌寺派の総本山である泉涌寺(せんにゅうじ)の山内寺院の一つである「雲龍院」に先日行ってきた。
日本庭園の美しさもさることながら、写経体験ができるのが魅力でよく出かけている。この度は、写経を仏画曼荼羅アート教室の皆さんと一緒に写経と京都の秋を楽しむために参拝させていただいた。

雲龍院を訪れるたびに「悟りの間」に入り、円形、長方形の障子などを鑑賞する。その部屋の小さな床の間には梵字で書かれているお軸がいつも掛けられている。気にはなっていたが、意味がわからないので素通りしていた。
その内容について同行した方から先日、情報を提供いただいた。

雲龍院2.jpg

その情報を元に調べてみると、「光明真言」というものであることがわかった。密教の真言で、23の梵字に、最後の休止符「ウン」を加えて、合計24の梵字が連なる真言ということである。そのまま梵字で梵音を読誦するということで翻訳されていない、ということである。

オン アボキャ ベイロシャノウ 
マカボダラ マニ ハンドマ
ジンバラ ハラバリタヤ ウン

と発音し、読誦する。
内容は、アボキャは不空成就如来を、ベイロシャノウは大日如来を、マカボダラは阿閦如来を、マニは宝生如来を、ハンドマは阿弥陀如来を指すと解釈され、金剛界五仏(五智如来)が光明を放つように如来を読誦し祈願する真言のようである。

仏画曼荼羅を描いている教室としては、また一つ謎が解け、理解を深めながらまた一歩前進したようである。

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京の秋分を堪能 [日本の美]

昨日、仏画曼荼羅アート教室の方々と京都へ行った。

御寺泉涌寺塔頭の雲龍院の写経で一日がスタート。
写経の後は、抹茶と茶菓子をいただきながら、
秋色に染まる日本庭園を楽しんだ。

雲龍院を後に建仁寺へ。
俵屋宗達の風神雷神や天井の双龍図を鑑賞。

そして南禅寺塔頭の天授庵の庭園を散策。

最後が錦織なす名勝永観堂の、陽光に煌めく紅葉を満喫。
締めとして、本尊 阿弥陀立像(みかえり阿弥陀)を拝観し、
心ゆくまで京の秋分を堪能した。

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京の三名閣の一つ飛雲閣の「鐘楼」は、桃山時代の豪華絢爛な建築様式 [文化想造塾<社寺>]

京都には、「京の三名閣」というのがある。
ご存じ、鹿苑寺の「金閣」、慈照寺の「銀閣」はよく知られている。
では、もう一つが答えられる方は、そんなに多くはないだろう。
筆者もまじかで観たことがない。塀越しに覗き見程度なら何度かある。

実は、西本願寺の南側一角にある滴翠園の中の「飛雲閣」である。
三名閣ともすべて国宝の建造物であり、歴史の一ページを飾る重要な建物であるのは言うまでもない。
今回は、西本願寺に参拝した折に、飛雲閣の近くにある「鐘楼」を塀の隙間から覗き見ではあるが見せていただいた。通常は予約制で飛雲閣や鐘楼を見学できるが、現在は中止されている。
鐘楼は、明治43年(1910)に国の重要文化財に指定されている。元和4年(1618)に再建された建物で、間口1間、奥行1間、単層、屋根は切妻(きりづま/山形状)造り、本瓦葺き。安土桃山時代の建築様式で、装飾に金や漆を多様した豪華絢爛で緻密な様式で造られている。分かりやすくいうなら、日光東照宮が代表例である。

現在の梵鐘は平成に造られた2代目。初代の梵鐘は久安、仁平年間(1150年頃)に鋳造され太秦広隆寺から譲りうけ役割を果たした。いまも毎日午前5時半に撞かれている。

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西本願寺の風景 [文化想造塾<社寺>]

澄み切った青空に一隅の輝きを見せる、
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派「西本願寺」。
黒白系の阿弥陀堂や御影堂に青天ブルーが覆い、
それに銀杏の黄金色が見事に交わり秋の風景を彩っていた。

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黄金色の隙間から阿弥陀様がのぞいておられるよう。 [文化想造塾<社寺>]

西本願寺の門をくぐると、ほぼ正面に黄葉真っ盛りの大銀杏の樹があった。
境内の隅々にも大銀杏で彩られていた。この季節ならではの黄金色で映える境内が一段と荘厳な雰囲気を醸し出していた。

大銀杏の下から見上げると、陽射しに映える葉がキラキラと輝く。葉の隙間から阿弥陀様がのぞいておられるかの様にも見えてくるから不思議だ。
薄暗い堂内の扉からこぼれてくる黄金色は、より一層輝きを放つ。

季節によって違った顔が見られる。こんな光景を見つけるのも楽しいものである。

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小春日和に、西本願寺さんへ。

小春日和に背中を押され、10か月ぶりに西本願寺さんへお参りに行ってきた。
阿弥陀堂の祭壇が改修中だったので、阿弥陀如来像が御影堂の祭壇中央に仮移転され、
向かって右に親鸞聖人像、左に第23代勝如宗主 勝如上人像が安置されていた。

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毎回訪れて度に、広い堂内でゆるりと過ごさせていただく。とくに昨日は、参拝者がまばらだったので、じっくり祭壇に祀られるそれぞれの像を拝見させていただいた。寛げる空間で穏やかな時間が流れた。

門を潜り正面に黄葉ざかりの大きな銀杏が目に入った。周りを見渡すと、銀杏の葉が黄色に染まっていた。手水鉢には青銅の龍が本堂をむき口から聖水が流れていた。

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比叡山延暦寺の名跡がいまの世にも [文化想造塾<社寺>]

千年の歴史の中で、比叡山は数々の焼き討ちに遭っている。
ご承知のとおり、室町幕府の6代将軍足利義教や明応の政変で細川政元、そして460年前、織田信長による比叡山焼き討ちなどがあげられる。
1642年に徳川家光によって再建され、約400年の間補修を重ね現在にその名跡を残している。

私の中では、この比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は日本の寺院の二大巨頭だと思っている。延暦寺が天台宗で、金剛峰寺が真言宗の大本山である。社会の教科書にもよく登場した「最澄」と「空海」という僧侶が開建した寺院として有名である。

ちなみに「延暦寺」は単独のお堂の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域に所在する150ほどの堂塔の総称である。比叡山の寺社は、最盛期には三千を越える寺社で構成されていたと案内に記されていた。
その中核堂が、根本中堂にあたる。その根本中堂は令和の大改修中である。

比叡山延暦寺では数々の名僧が修行していたことで、日本の仏教の礎だったことがわかる。
よく知られている僧としては、浄土宗の開祖法然上人、浄土真宗の開祖親鸞上人、日蓮宗の開祖日蓮上人、臨済宗の開祖栄西禅師、曹洞宗の開祖道元禅師など、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行している。そしてそれぞれの宗派を興し、それぞれの本山を開建した。

その比叡山に昨秋訪れた。雨上がりの、秋色に染まった葉がキラキラと光っていたのが印象的に残っている。

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