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名月と鶴の、新しい世界を想像 [伝統文化]

一昨日は、五節句のひとつ「重陽の節句」だった。そして昨夜は「十五夜」。十五夜は満月とは限らないようだが、今年はとくに美しい満月ということらしい。屋上に上がりきれいな十五夜を堪能したが、写真(スマホ)では思うような名月が撮れなかったが、2022年の中秋の名月として残しておくことに。

重陽の話に戻るが、陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽の極みである九が重なる日、つまり九月九日は「重陽」と呼ばれるようになったようだ。陽の重なりを吉祥とするようになり祝い事の日になったと言われている。別名「菊の節句」ともいう。菊花の宴で邪気を払い長命を祈った。「吉祥の鳥」である鶴と一緒に描かれている菊花紋も「吉祥文様」として日本の伝統美の象徴になっている。

一日遅れの中秋の名月と合わせてみると、菊花紋が名月に見えてくる。もし、名月の下に鶴が二羽飛んでいたら、と想像すると空想の世界がひろがっていく。



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リポート&写真/ 渡邉雄二

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同じ達磨さんでもこんなにも違う 【仏画曼荼羅アート】 [伝統文化]

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達磨さんは彫りが深く目に特徴がある。インド人だから顔も髭も濃い。お釈迦さまの弟子の一人で、中国禅宗の開祖といわれているお坊さんだから日本の禅寺系の寺院にいくと達磨図をよく見かける。
怖い顔でも描いた人によって表情がさまざま。慈悲に溢れた顔と思えば、そう見える。深く修行を積んだ方だから凛々しくも見える。厳しい顔の中に微笑がうかがえる。その違いを見るのが楽しい。見ていても飽きないのが、また不思議である。

仏画曼荼羅アートの各教室では今回の課題が「達磨」さん。9種の達磨図の中から一つを選んで、それを見ながら新聞紙に、筆の運び、線の描き方、構図のバランスやメリハリのつけ方、濃淡のつけ方等々の練習を繰り返した。同じ達磨図を選んでも描く人によって違う。筆の運びがスムーズになることで形やバランスが整ってくる。新聞紙上だから思い切りよく筆がすすむ。
さて、清書した達磨図がどのように仕上がってくるかが楽しみである。


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リポート &写真/ 渡邉雄二 仏画曼荼羅アート泉佐野教室

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「菊水鉾」の4面の幕、狩野岑信の七福神絵巻原画を川島織物が製作 [伝統文化]

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前回紹介した「白楽天山」に続いて、祇園祭Ⅱでは「菊水鉾」を紹介する。この菊水鉾は5年前に鉾再建60周年ということで、懸装品の前掛け、後掛け、胴掛けを一新することになり4年がかりで完成し4面すべてが揃いお披露目となった。
その懸装品の新しい絵柄として登場したのが「七福神」。この七福神と菊水鉾との結びつきは、菊水鉾を有する地域は現在、「菊水鉾町」という地名だが、古くは「夷三郎町」といい、町に夷社があったことから七福神を使うことになったようだ。

これに因んで、江戸前期に御用絵師として活躍していた狩野岑信(かのうみねのぶ)が描いた「七福神絵巻」(板橋区立美術館蔵)の原画をもとに4枚の幕に七福神が表現されることに。

取材の際に前掛け、後掛け、胴掛けを見て、それぞれの神様を確認したが、ゑびす神が見当たらない。七つの神様が揃ってその地域や菊水鉾が守られ末永く繁栄していくものである。それなのに肝心の「ゑびす様」がいないのに気づき、保存会の長老に尋ねると、長老は「ほら、あそこに」と前掛けの上の方を指で示した。「どこに?」と聞き返すと長老は、半ばあきらめ口調で「わからんやろーなぁ!」と。
こんなやり取りがあったあと、見てのとおり、前掛けは小槌を振る大黒天だけのように見えるが、実は、左上の舟と烏帽子、釣った鯛が魚かごから見えている。あの鯛がゑびす様だとはなかなか想像しにくい。
このように、持ち物などで、その人物を想起させる表現方法「留守文様」という。この手法をつかった、なんとユニークな前掛けとなっていた。


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留守文様で表現されているゑびす様

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左上の鯛がゑびす様


左面の胴掛けは、寿老人と福禄寿が描かれ、近くで見ると絵画そのままに濃淡や筆遣いなどが再現されている。右胴掛けには毘沙門天と弁財天。そして後掛けの見送りは布袋尊である。4枚に共通して、これらの七福神を囲む枠は、菊をあしらったデザインを施し、漁業の神様であるゑびす神を表す波文とあわせ菊水の意味を込めている。


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左面の胴掛けには寿老人と福禄寿

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右面には毘沙門天と弁財天

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後掛けは布袋尊


これら4面は約500色の色糸が染め出しされ、綴織技法で4年の歳月をかけて製作された逸品である。保存会や板橋区立美術館、そして実際に製作した京都の織物メーカー、川島織物の最高のテクノロジーが融合しできたもの。未来に向けてさらに伝統が築かれ、後世に受け継がれていくのを目のあたりにした。


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天井には龍

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車輪には菊の御紋

山鉾巡行を見る機会があれば、ぜひ菊水鉾にもご注目ください!


リポート&写真/ 渡邉雄二 前掛けの写真の一部は川島織物セルコン「KAWASHIMA stories」より

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こんな専門学校は、京都祇園ならでは [伝統文化]

京都・花見小路を歩くといつも見に留まるのが「八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)」の掲示板。ある飲食店の玄関先に掲出されているが、通るたびについつい見てしまう。とくに学園や学校に関係しているわけでもないのに。
その掲示板は学園が経営する祇園女子技芸学校の今月の稽古日のお知らせである。関係者以外にはまったく不要な掲示板だけど、なぜか目に付くように花見小路通り沿いに誰にも見えるように掲出されている。


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           祇園女子技芸学校祇園甲部歌舞練場内にある


この祇園女子技芸学校は、京都市東山区祇園町南側の祇園甲部歌舞練場の中に併設されている教育機関である。いま風にいうなら芸・舞妓さんのための専門学校のようなもの。同校の必須科目は舞(井上流)・鳴物・茶道・三味線。そして能楽・長唄・一中節・常磐津・清元・地歌・浄瑠璃・小唄・笛・華道・書道・絵画など、座敷芸事には欠かせないもの身につけるため多岐にわたる。生徒は祇園の芸・舞妓さんの全員で、年齢は15歳から80過ぎまでと幅広い。


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     花見小路通りに掲げられている祇園女子技芸学校の稽古スケジュールボード


花見小路の表通りの掲示板には、科目、教授名の札が掛けられ、日程は白墨で書かれている。掲げられている理由は、芸・舞妓さんへのお知らせというのもあるだろうが、想像の域であるが芸・舞妓さんにしっかりと科目ごとに芸事を教えている、というアピールなのだろう。
掲示板の中で、目が留まるのが「教授」の方々の名前。舞踊科のトップには人間国宝の井上八千代さんの稽古日程がある。それも一番多いスケジュールになっている。
また、能楽科では片山九郎右衛門さんもスケジュールが書かれてある。そして各科目も超一流の指導陣が名を連ねる。こんな方々が先生というのは、やはり祇園ならではの格式なのだろう、また京都花街としてのプライドなのかもしれない。


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時代が変わっても、京都祇園の風土は変わらない。むかしの慣習がしっかりといまに伝えられている。その祇園の厳しい世界に挑戦する若い娘さんたちも増えてきているという。女性の「なりたい職業」、「憧れの職業」に一歩ずつ近づいているような気がする。祇園花街の世界が、見通し風通しがよくなってきたからなのだろうか。


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                稽古に通う舞妓さん


リポート&写真/ 渡邉雄二

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墨がひろげる「黒と白」のファンタジー 【美の壷より】 [伝統文化]

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墨の色はつややかな黒というイメージがある。墨に造詣が深いわけでもないので、よくはわからないが色で表すなら「漆黒」ということなのだろうか。

先日のNHKbsプレミアムの番組「美の壷」を観ていると、墨は黒色だけではなく紙に載せていくと青紫に微妙に変化していくようだ。微妙な違いはなかなか読み取れないが、専門家がいうのだから間違いないのだろう。

墨は、絵でも文字でも白地のものに黒をのせて表現する。「白と黒の世界」を創る材料として日本の精神文化の中で深くかかわり貴重な存在として伝わっている。その墨づくりをしている堀池雅夫さんが美の壷で紹介されていた。堀池さんはフェイスブックの中では独特のタッチで可愛らしい絵(彩色)を描いておられる水墨画家である。が、本業は江戸時代以降途絶えた松煙を復活させた、日本で唯一の松煙煤(しょうえんすす)職人。
和歌山県田辺市に「紀州松煙」工房を構え、江戸時代より紀州に伝えられてきた障子焚方式で松煙を採煙している。原材料として樹脂分の多い赤松材を使用し、伝統的工法を守りながら採煙。純松煙(松煙100%)で製墨までを行っている。


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                    赤松の薪

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               障子焚方式で松煙を採煙

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             日本唯一の松煙墨職人の堀池雅夫さん

固形墨は、煤(すす)と膠(にかわ)に少量の香料などを加えて練和し木型に入れて乾燥させたもの 。それを硯で水とともに磨って適度な粘りの墨にする。この磨っている時間がたまらなく精神的な高揚につながるという。筆にたっぷり吸わせた墨を白の下地にのせていく。そして「黒と白の世界」が生まれ、墨ならではの想像の領域がつくられていく。


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その墨を使う表現者として書家の紫舟さんと、水墨画家の大竹卓民さんが紹介されていた。
さらに、前回紹介した長谷川等伯(安土桃山時代の画家)の松林図屏風と玉澗(ぎょくかん/中国南宋末の画僧)などの「黒と白の世界」を描いた絵も紹介。ともに余白が多い絵であり、その中からいろんな想像が広がっていく。墨が広げるファンタジーの世界を楽しませてもらった。


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                 書家の紫舟

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              水墨画家の大竹卓民さん

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               中国南宋末の画僧 玉澗


リポート/ 渡邉雄二 松煙墨についてはウィキペディアを参照 画像はNHKbsプレミアム映像を複写し転載

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皆川淇園の「有斐斎弘道館」がいまに伝わる [伝統文化]

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先日、知り合いの仏所を訪ねた折に、いくつか気になる場所があり写真におさめた。知人の仏所工房は上長者町通りを西へ入り土御門町にある。訪ねる途中に、烏丸通から上長者町通りを西に歩いていると、マンションらしき建物に挟まれ、昔ながらの格子門があった。目に留まったので近づいて見ると、「弘道館」という看板が掲出されていた。反対側の掲示板には「有斐斎 弘道館」と書かれ、その下に、江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園(みながわきえん)が創立した学問所とあった。
この文言を読んで初めて気づいた。江戸時代の画家である円山応挙や池大雅などと深い親交のあった人物で、先日、京都国際近代美術館で開催されていた「京の大家と知られざる大坂画壇」という展覧会で皆川淇園の作品を観たので記憶に新しく残っていた。

その皆川淇園の学問所がここなんだ、と偶然の出会いに驚くとともに皆川淇園をさらに知るキッカケとなった。知人の仏所の帰りにもう一度、門の前に立ち寄り写真を撮った。格子の門からは路地が見えるが玄関らしく物は見えない。複合住宅に挟まれながらきっと奥がふかいのだろうと想像はつくが、中の様子はうかがい知れない。想像だけが膨らむ。


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帰って調べてみると、その様子が記されてあった。
路地を抜けるともうひとつ門があり、それをくぐると、その脇に「腰掛待合」という茶室に備えられる小さなベンチのようなものがある。正面には古い数寄屋建築の建物があり、左手には庭が広がっている。建物内には、L字型に四間続きの広間と茶室があり、手入れが行き届いた庭が広がる。


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江戸中期に皆川淇園が学問所を開いていたと伝わる場所のようだ。そのことを示す石碑が現在も有斐斎弘道館の門の前に立っている。淇園のもとには多くの門弟が集まって学問に励んだという。特に易学の研究者として有名で,公家,諸侯など教えを請う者 3000人に及び、1805年に私塾弘道館を設立。門弟を指導するかたわら、詩や書、画にも凌駕していた。画は円山応挙に師事し山水、人物、花鳥の図画にも非才を発揮し、画家の養成にも尽したといわれている。門下には木村蒹葭堂らがいるようだ。


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京都はご存じのとおり、歴史的な事象が多く残っているところである。文化芸術面では歴史的人物の宝庫だった。だから、学びたい多くの人びとが京都に集まってきた。その空気はいまも感じられ、その証となる建物や場所は、今の人たちが引き継ぎ残していく必要がある。その文化伝承活動の一つとしてこの有斐斎弘道館も残され、いまに伝えられている。そして未来へも。

リポート&写真/ 渡邉雄二 写真/ 皆川淇園画像を転載・有斐斎弘道館画像を転載

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たかが茶の稽古で、禅問答がはじまる 【京都国立近代美術館-京の大家と知られざる大坂画壇】 [伝統文化]

以前、煎茶の稽古をしていた折に、毎回の稽古に欠かせない稽古必須の教科書のようなものがあった。煎茶概論のテキストや淹れ方の手引きではなく、それは床の間に掛けられていた「掛軸」だった。

一茶庵宗家独特の教示法なのか、佃宗匠の教授法なのかはわからないが、掛軸に描かれている絵や賛(漢詩など)を紐解いていく稽古だった。絵や漢詩については門外漢の我々は、稽古を始めたころは頭を抱えることばかり。その稽古の時間が、日常にない貴重なものに思えてくるには少々時が要した。我われにとって解らないことだらけのことに、光明の一矢だったのが “想像する” という誰しもが備わっている能力を使うことだった。

とくに漢詩の文字が崩されて読めない、また意味が分からない中で、なにを頼りにするかは、解る文字を探すことから始まった。たとえば30文字ある中で3文字でも解れば何とかなるという思いで。それからが、我われの持ちあわせている想像力(ええ加減)に頼り詩の意味を想像するのである。

その想像の、一つの参考文献がお軸に描かれてある「絵」である。文字だけでは全く理解不能だが、絵の内容を観て想像を膨らませる。察するのである。それでも正解を導きだせるはずがない。それからが師匠と弟子たちの禅問答のようなことが始まる。

無茶でとんでもない質問を投げかけても、宗匠は笑って返球してくれる。その返球の中にヒントがある。毎回この繰り返しで稽古は進んだ。お陰で煎茶の淹れ方や作法は身につかなかった。しかしながら、唯一、身についたと思われるのがお茶の味。その日のお軸の意味から導きだした茶の味の違いが理解できるようになったのは唯一の成果だったような気がする。


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昨日、遅ればせながら京都国立近代美術館へ行ってきた。一茶庵の佃一輝宗匠も会場で流れる画面に頻繁に登場されていた。大阪の文人画や南画や中国古典の漢詩などを語る先生方の先導役として大きな役割を果たされていた。

今回の展覧会は「京の大家と知られざる大坂画壇」というタイトルで、江戸時代、京都で活躍した文人画家の池大雅や与謝蕪村、そして実物写生に基づく絵画で人気を博した円山応挙、さらに蕪村と応挙に学んで叙情的な画風を確立した呉春など個性あふれる画家たちの作品。
一方、大坂で活躍した木村蒹葭堂、岡田米山人など、町人としての本業がありながら自娯の精神による絵画を描いた文人が数多くいた。江戸時代から近代にかけて、京都と大坂で活躍した画家の代表的な作品を紹介していた。

そんな素晴らしい作品213点(後期展)をゆるりと観ながら、一茶庵で学んだ(?) ことなどが脳裏に浮び、展覧会鑑賞を楽しむことができた。
この展覧会は5月8日まで。このGWの後半にお時間があれば、覗いてみてください。

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展覧会用に映像撮影された一コマ(一茶庵宗家 佃一輝宗匠) 近代美術館の大型ビジョンを撮影

リポート&写真/ 渡邉雄二

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一隅に耀く 【さくら十色】 [伝統文化]

今日は残念ながら阪神間は雨模様。桜見学も中入り。
この週末くらいが満開で、いたるところで繚乱たる姿を楽しませてくれだろう。

昨日、川沿いに咲く姿を撮った。
桜木も美しいが、枝先に咲く姿が清々しく見える。
まさに一隅で耀いている。これも、また美しい。

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リポート&写真/ 渡邉雄二

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大都会のド真ん中で微笑かける雛人形 [伝統文化]

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今日は「桃の節句」。子ども(女の子)の幸せ願う日として、この時季ならではの風情を楽しむ行事であるが、いまではフルに雛人形を飾る家庭は少なくなっている。

そんななか、大阪の旧船場地域では毎年、春の船場博覧会として「船場のおひなまつり」が行われている。メインは北船場ゆかりの8家に代々伝わる雛人形を7つの会場で特別展示されている。
昨日は、天満天神繁昌亭へ落語を聴きにいくついでではあるが、淀屋橋から北浜に向けてお雛様をいくつか見てまわった。

今年は、芝川ビルモダンテラスに展示されている「芝川家」と神宗淀屋橋本店の「小山家」そして薬問屋が並ぶ道修にある少彦名神社の「別所家」の雛人形を巡った。
江戸時代より大阪を中心として栄え、豊かな文化を育んできた船場。その歴史と文化のあかしの一つとして発信している「船場のおひなまつり」が毎年この時期に行われる。

年に一度のお雛祭り、大都会のド真ん中でひっそりとたたずむ雛人形たちが足早に通る人たちにも微笑かけていた。

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芝川家の雛人形

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小山家の雛人形

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別所家の雛人形

リポート&写真/ 渡邉雄二 Reported & Photos Yuji Watanabe

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若冲の弟子、意冲の「菊慈童図」が初公開 【宝蔵寺 寺宝展Ⅱ】 [伝統文化]

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宝蔵寺は伊藤家並びに絵師若冲の菩提寺として知られ、若冲が建てた両親の墓がある。その縁から若冲と弟子の作品を収集している。
前回紹介した若冲の「竹に雄鶏図」と「髑髏図」に続いて、若冲の弟子と思われる意冲が描いた「菊慈童図」が初公開された。菊慈童は中国古代を舞台にした物語で、能楽や絵画にもよく登場する題材の一つである。不老不死となった少年の姿が描かれている。絵は絹地に彩色されていて、縦99・6センチ×横32・2センチ。

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鑑定によると、意冲の落款があり、上部の松の木の墨の筆づかいが若冲と似ていることから、意冲の絵と判断された。意冲の作品は数少ないが、繊細な筆致で完成度が高い作品と評されている。
同寺のご住職の小島英裕さんが一昨年の春、古美術商の目録に掲載されているのを知り、この「菊慈童図」をすぐに買い求めたという。

伊藤若冲など著名な絵師の作品を博物館や美術館で鑑賞するのもいいが、お寺の薄暗い中、目の前で心ゆくまで堪能できるのは愉楽の極みである。

次回は、その他の弟子たちの作品

リポート&写真/ 渡邉雄二・寺宝展チラシコピー Reported & Photos by Yuji Watanabe

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