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一滴に込められた煎茶の心。-「e-よこソーシャルカレッジ」。 [e-よこ ソーシャルカレッジ]

煎茶は、夏目漱石をして「喉にくだるべき液は一滴もない」と言わしめたほど。小さな茶器に注がれた一滴は、喉を潤すものではなく、味と香りと、その時を楽しむためのもの。普段に飲むお茶の概念とはおよそかけ離れている。

今週の火曜日、8回目になる「e-よこソーシャルカレッジ」が開催された。
今回は、一茶菴宗家の佃 一輝宗匠さんに「煎茶の世界」をほんの少し観せていただいた。場所は、大阪・谷町筋から大手通を少し下ったとこにある宗家「一茶菴」。

ビルの谷間の細い路地を入り門をくぐり抜けると別世界。和の佇まいが広がる不思議な空間である。まず通されたのが控えの間。総勢30名近くが押し寄せたので縦横に座りきれないほど。
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そうこうしていると宗家の佃一輝宗匠がお見えになり、俗から離れた中での楽しいひと時を共に、ということで別室に通された。

イメージしていた茶室とはまったく違うものであった。中国様式を醸し出している。何とも不思議な空間である。中国からお茶が入り、それを楽しむ空間として「書斎」が生まれたという。だから文人たちは書斎道具を揃え、煎茶を楽しみ、世俗を離れて個に遊んだ、といわれている。
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煎茶は、お客様のもてなしではなく、自らが楽しみ、共に味わうものとして語らいの手段として文人にこよなく愛されたようである。
だからというわけではないだろうが、作法は重視されなくて「マナー」を重んじた、という。

一煎ごと入れる間の話の流れ、時の流れに絶妙な趣がある。軸や書斎道具から歴史や文化が見えてくる。そしてご主人の、このときの気分や気持ちが書斎道具に現れている。招かれた方は、それを感じ入って共にその時を過ごす、という。
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それを図り知るまでにはほど遠いが、その意図のほんの一端を感じることができた。そして大阪の文化人によって見いだされ、育てられ、守られてきた煎茶に、心がときめく。

知ることを閉ざしてきたのか大阪の本来の文化を、もっと世に問うてもいくことが、これからやるべきことではないだろうか。
と、そう思った私だけではないと思う。
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伝統文化、歴史の証。「e-よこソーシャルカレッジ-能入門講座」 [e-よこ ソーシャルカレッジ]

昨年の10月からスタートした「e-よこソーシャルカレッジ」の第4回目が16日の夜、大阪・徳井町の山本能楽堂で開催された。

今回は「山本章弘氏が語る、能入門講座」。初心者の方たちに分かりやすく、より理解を深めることを目的に開講。みっちり2時間、観世流シテ方の山本章弘氏の絶妙なトークを交えて数々の体験をさせていただいた。
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解説を聞くたびに思うことは、能は「想像の芸術」である、ということ。一つ一つの細かい動きによってその場面の情景が創られていく。例えばシテ方の顔の向きによって哀楽の違いを表現している。
それを観てその情景を想像するわけである。一視逃さず動きを観て楽しむ芸能といっても過言ではない。
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解説を聞いたあと、能には欠かせない能面を見せていただいた。10代を現す能面から20代、そして姥、般若に至る女性の移り変わりを能面を通して聞いた。

そのあと参加者の中からお一人が能装束の着付けを体験。その着付けを舞台に上がってまじかに見せていただいた。舞台に上がる場合は白いたびに履き替えることもしきたりの一つ。

そして最後に舞台裏、楽屋や2階の桟敷席、そして音響効果として役割を果たすどでかい瓶が置かれている舞台下まで覗かせていただいた。知恵と工夫が結集された建物に驚嘆の声が聞えきた。

家屋すべてが舞台となっている。伝統芸能、それを演じる人、そしてそれを支える舞台とが一体になり伝統をつくり上げている。その歴史の証をみたようである。
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ちょっと神職に変身! 日本の文化の奥深さを感じる。 [e-よこ ソーシャルカレッジ]

第一回e-よこ ソーシャルカレッジが今月の7日の夜、大阪・船場道修町の少彦名神社で開催された。
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「ちょっと神職に変身!」をテーマに、我々の暮らしに馴染みが薄い「神道とは?」のお話から始まり祝詞(のりと)写し、そして装束着付けなどなど貴重な体験をさせていただいた。
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講師は少彦名神社の別所宮司さん。ここ少彦名神社は、日本の薬祖神である少彦名命(すくなひこなのみこと)と中国の、医薬の神様である神農氏(しんのうし)をお祀りしている神社である。大阪で言えば一年の始めのお祭りが「えびっさん」。締めくくりが「神農さん(しんのうさん)」として親しまれている。

神道と言われてもピンとこない。神社にいけば神主さんや巫女さんがいる。その方たちが聖職者として神に仕える。仏教で言えば「お坊さん」、キリスト教では「牧師さん」などである。

神道とはどんなものなのかを簡単にご説明いただいたが、なかなか頭に残らないのでレジメの一文をご紹介する。

日本の神道の神々は日本の風土と生産に深く関係し、住む人々に幸福をもたらすものである。神々の恵みを受けるためには神々の喜ぶ物を献じ、神々が喜ぶ演技を奉納し、願いの言葉をささげる。
これが終わればお供え物を下げ、これを食することによって神々と共に人々も楽しむと同時に神様の力をいただく直会という宴が行われる。
(中略)
神道は、仏教やキリスト教などのように、ある一人の聖者が唱え教えたものでなく自然発生的にできたものである。他の宗教とも共存しながら神々はいつもすぐ傍から人々を見守り、人々の求めに応じて日を決めしばらくの間、人間界に留まってもてなしを受け、人々と交わり幸せを与えて遠近の山や海の彼方へ帰っていく。

まさに神話に出てくるストーリーである。

こんなお話からはじまり「祝詞(のりと)写し」を体験。そして参加者の中から希望された男女一名ずつが神職の装束の着付けを体験した。
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ここにも日本の包み込みの文化の知恵と工夫を感じる。袴のヒモだけですべてを着付ける。ファスナーがあるわけでもなく、留め金があるわけでもなく、ましてボタンがあるわけでもない。一本のヒモですべてが着付けられ、崩れることもない。みごとである。

いままでにない体験に、改めて日本の精神文化の奥深さを感じた。

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