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たかが茶の稽古で、禅問答がはじまる 【京都国立近代美術館-京の大家と知られざる大坂画壇】 [伝統文化]

以前、煎茶の稽古をしていた折に、毎回の稽古に欠かせない稽古必須の教科書のようなものがあった。煎茶概論のテキストや淹れ方の手引きではなく、それは床の間に掛けられていた「掛軸」だった。

一茶庵宗家独特の教示法なのか、佃宗匠の教授法なのかはわからないが、掛軸に描かれている絵や賛(漢詩など)を紐解いていく稽古だった。絵や漢詩については門外漢の我々は、稽古を始めたころは頭を抱えることばかり。その稽古の時間が、日常にない貴重なものに思えてくるには少々時が要した。我われにとって解らないことだらけのことに、光明の一矢だったのが “想像する” という誰しもが備わっている能力を使うことだった。

とくに漢詩の文字が崩されて読めない、また意味が分からない中で、なにを頼りにするかは、解る文字を探すことから始まった。たとえば30文字ある中で3文字でも解れば何とかなるという思いで。それからが、我われの持ちあわせている想像力(ええ加減)に頼り詩の意味を想像するのである。

その想像の、一つの参考文献がお軸に描かれてある「絵」である。文字だけでは全く理解不能だが、絵の内容を観て想像を膨らませる。察するのである。それでも正解を導きだせるはずがない。それからが師匠と弟子たちの禅問答のようなことが始まる。

無茶でとんでもない質問を投げかけても、宗匠は笑って返球してくれる。その返球の中にヒントがある。毎回この繰り返しで稽古は進んだ。お陰で煎茶の淹れ方や作法は身につかなかった。しかしながら、唯一、身についたと思われるのがお茶の味。その日のお軸の意味から導きだした茶の味の違いが理解できるようになったのは唯一の成果だったような気がする。


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昨日、遅ればせながら京都国立近代美術館へ行ってきた。一茶庵の佃一輝宗匠も会場で流れる画面に頻繁に登場されていた。大阪の文人画や南画や中国古典の漢詩などを語る先生方の先導役として大きな役割を果たされていた。

今回の展覧会は「京の大家と知られざる大坂画壇」というタイトルで、江戸時代、京都で活躍した文人画家の池大雅や与謝蕪村、そして実物写生に基づく絵画で人気を博した円山応挙、さらに蕪村と応挙に学んで叙情的な画風を確立した呉春など個性あふれる画家たちの作品。
一方、大坂で活躍した木村蒹葭堂、岡田米山人など、町人としての本業がありながら自娯の精神による絵画を描いた文人が数多くいた。江戸時代から近代にかけて、京都と大坂で活躍した画家の代表的な作品を紹介していた。

そんな素晴らしい作品213点(後期展)をゆるりと観ながら、一茶庵で学んだ(?) ことなどが脳裏に浮び、展覧会鑑賞を楽しむことができた。
この展覧会は5月8日まで。このGWの後半にお時間があれば、覗いてみてください。

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展覧会用に映像撮影された一コマ(一茶庵宗家 佃一輝宗匠) 近代美術館の大型ビジョンを撮影

リポート&写真/ 渡邉雄二

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