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自然が暮らしのお手本-「摘み菜がごちそう」 <伝統料理を楽しむⅡ> [伝統食文化]

伝統料理を楽しむ講習会「手打ちそば」に続いて、今回紹介するのは「摘み菜」。
摘み菜といっても、ピンくる方は少ないかもしれない。簡単にいうなら、公園などに生える草や木の実を摘んで食べることである。
いまの時代に草や木の実を食べるのはあまり考えられない。私が子供のころでは山や野っ原が遊び場で、山ではざくろやあけびなどを見つけてはよく口にしていた。また野っ原ではゼンマイやツクシなどをとっては夕食のおかずになっていた。

それは半世紀以上前の話であるが、その当時よりももっと原始的なのが「摘み菜」。それも我々の身近にある公園で草や木の実を摘んで食べようという体験会である。
田舎に育ったことで自然と戯れることも多少なりとも知っていることから関心をもちチャレンジすることにした。さらに、漠然とであるが大切なことが学べるような気がした。
それはライフワークにしている伝統文化の知恵と工夫が、この「摘み菜」にもいっぱい詰まっているような気がしている。
暮らしにおいて食は当然欠かせないものだが、摘み菜でほんの少し自然の営みのようなものを体で感じられるような気もする。摘み菜がごちそうと思えたら最高である。

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素朴な疑問から摘み菜に興味をもちスタートした。
摘み菜を実践伝承しておられる平谷けいこ先生から「摘み菜とは、珍しいこと、特別なことでないです。街の中でも野山でも、身近に生えている、食べられる草や木の“菜”を摘む、そして摘んだ菜を料理して食べることです」と。
先生から話を聞いて楽しそう、と思ったのが摘み菜へのはじめの一歩だった。どこにでも身近にある草や木の菜を食べることに興味を覚えた。まさに生きる知恵であり暮らしの知恵である。
私が、ひとつ覚えのように言い続けている"伝統文化の知恵と工夫をいまの暮らしに"というテーマに合致したものだった。食べることを通して、いまの暮らしを少し豊かにしていくことが可能なら素晴らしい活動になるはずである。

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原始的であるが、心豊かな活動である。平谷先生は摘み菜伝承講座として、摘み菜を楽しく安全に摘む、摘み菜料理を創意工夫する、摘み菜を広く伝える、という目的で活動されている。こういう活動が大切であると思える時代になっているような気がする。そうすることで暮らしの本来の豊かさが見えてくる。
そのお手伝いの一環でライブインテリジェンスアカデミーも実践講座をさせていただくことに。

この記事は、2008年10月に「心と体のなごみブログ」に掲載したもの。それをリライトし転載。

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これぞ、プロの技!! そば道、と言われる所以の一端を知る [伝統食文化]

十数年前に、日本の家庭料理や家の食卓に出される料理のなかで、ほんの少しこだわりをもつ伝統料理を楽しむ講習会を開催していた。日本の風土や文化で育まれた食材やメニュー、そして味を再認識し楽しもうという企画だった。
それを記した内容を少しリライトし再掲載していく予定である。

その第一弾が「手打ち蕎麦」。
そば打ちで、十割そばや八割、七割蕎麦など配合いかんに問わず、そばの出来ばえの良し悪しは粉を混ぜ合わせるときに入れる水量で決まるという。どの位水を入れるかは色やはだ触りで決める。これも職人の技。粉の種類や量、配合によっても水の量が異なる。これも経験がモノをいう。

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手打ちそば講習会でそば打ちの奥の深さを体感。参加された方たちも初めて。私も初体験である。
植田塾は手打ちそば道場として開講されている塾である。その塾長さんが、まず粉をかき混ぜ、そして手のひらでこねて麺棒で延ばし、麺切り包丁でマッチ棒角くらいに切り、出来上がりまでを丁寧に解説しながら実演していただいた。
そしてその工程のすべてを参加者全員が行った。塾長と講師の方に手取り足取り手伝っていただきながら、そば打ちの体験をさせていただいた。
植田塾長の冗談を交えたトークが作業をさらに楽しくさせる。このトークはおばちゃんに大うけ。おばちゃんたちも突っ込みを入れる大阪ならではのそば打ち体験になった。

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手打ちそばの行程を見ていると、安易にいうなら誰でもができる作業である。粉をこねて、平たく伸ばし、包丁で切る。大きく分けるとこの作業である。誰でもできるこの作業で、まして調味料で味を調えるわけでもないのに、プロの方との味が大きく違うのも不思議である。何事にも通じることだが、やはりまず「基本」である。この基本にマスターした上で、それぞれの感性や感覚そして心が備わらないと、美味いそばはできないということを教えていただいた講習会だった。

最後に塾長が打ったそばを試食した。我々が打ったのは持ち帰り、その夜食べて驚く。こんなにも違うものか、と。

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この記事は、2008年11月「心と体のなごみぶろぐ」に掲載されたものをリライトし転載。

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国の伝統工芸品である三木の五大金物 [伝統文化]

兵庫県三木市と言えば、”播州の打刃物(主に大工道具類)の金物”の町として知られている。大工道具の中でも、とくに三木の五大金物として、鉋(かんな)、鑿(のみ)、鋸(のこぎり)、鏝(こて)、小刀(こがたな)は国の伝統工芸品に指定されている。

全国でも古式鍛錬打刃物をつくる鍛冶職人さんは極めて少ないといわれている。なかでも「伝統工芸士」と言われ方は貴重な存在である。
三木市の道の駅の二階に常設展示の中の鉋コーナーには、伝統工芸士の今井重信さんの鍛錬された極めつけの逸品があった。寸八(24.2㎝)の鉋が、21万円代の値がついていた。

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子供のときに家屋新築の現場で大工仕事に興味があったのかよく眺めていた記憶がある。大工さんの鉋削りや鑿使い、墨壷で線を引き鋸でいとも簡単に切っている姿がカッコいいと思ったのを記憶している。
いまの時代の大工さんの仕事現場は知らないが、たぶん鉋削りをして姿はないのではと思う。柱用の角材は、事前に決まった寸法に削られた角材を持ち込みはめ込むだけのようである。職人仕事では、鉋や鑿は無用の長物になっているのではないだろうか。

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いまの職人仕事はスピーディに、そして合理的に進めていくのが求められている。致し方ないが、職人の技や感などの技能は活かされないのが現実のような気がする。
木材の適材適所を知り尽くし、1ミリ、1秒、1gを活かす技や道具は、機械やコンピュータにも負けないはずである。そんな匠の技が必要とされる時代がまた来ると道具を見ながら思った。
これからの時代に新たな価値を創造するための必要な道具として使われる存在になってほしいものである。

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※この記事は2017年7月の「心と体のなごみブログ」に掲載されたものをリライトし転載


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淡海の護り本尊「浮御堂」の風景 [文化想造塾<社寺>]

この度は湖西を訪ねた。琵琶湖大橋を渡り堅田方面へ数キロ走ると湖上に建つ浮御堂が見えてくる。堅田地域の湖岸は、風光明媚なところとして人気の観光スポットである。

歌川広重の「堅田の落雁」は近江八景の一つとして描かれている。その画にあるように、湖上に突き出ている「浮御堂」が目をひく。ちなみに堅田の落雁とは、浮御堂付近の湖上に雁の群れが舞い降りる情景のことをいう。

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浮御堂は、平安時代に海門山満月寺の本堂として建立された。いまは湖畔に沈む夕陽をバックに写る浮御堂は幽玄の世界のように映る。
では、浮御堂がなぜ、この淡海の湖畔に建立されたのかを調べてみると、
日本の浄土教の祖と称される源信大師が比叡山横川から琵琶湖をながめていると、毎夜、その光明を怪しみ、網でこれをすくうと、1寸8分(5.5㎝弱)の黄金の阿弥陀仏像であった。新たな阿弥陀仏像を造り、その体内に光明輝く仏像を納めた。さらに1000体の阿弥陀仏像を造り奉安するために浮御堂を創建したという。
そして、湖畔に建つ浮御堂は「千仏閣」「千体仏堂」と称し、湖上通船の安全や魚類殺生供養するお堂として現在に至っている。

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風景絶佳の趣のある地としてとどろき、古くより一休和尚、蓮如上人が滞在し、また松尾芭蕉や小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、多くの詩歌、絵画を残している。
芭蕉は中秋の名月の翌日に詠んだとされる「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」の句は、芭蕉が湖上舟から十六夜の月を賞し、浮御堂内の阿弥陀千体仏が月に輝く光景を想像して詠んでいる。また、阿波野青畝が詠んだ句「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂」は境内にある石碑に残され、五月雨に濡れた浮御堂の美しさを刻んでいる。

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湖畔に浮かぶかのような御堂とその周辺の景観は淡海の財産である。歴史と文化に育まれ多くの人を魅了している浮御堂は現在、日本遺産に認定されている。

※この記事は2018年4月「心と体のなごみブログ」に掲載されたものをリライトし転載。

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形を変え次の世代に。そのためには作家の力が必要 [文化遺産]

煎茶稽古には欠かせない教科書として掛軸がある。
掛軸には画や文字(賛)が描かれている。画なら水墨画、南画、日本画など、文字では毛筆字など。それらを包み衣装として形成され作品に仕立てるのが表装(表具・軸装)である。

軸装作家として活躍されている辻めぐみさんの作業場である神戸 KllTOに伺った。生徒さんの掛軸づくりを見せていただくためである。
生徒さんは、祖母が大切に保存されていた男物の紋付の背柄を利用し、掛軸として残したい、という思い一念で辻さんの工房に通い始めた。
初めての表装に四苦八苦されながらも中廻(ちゅうまわし)と柱が出来上がった。表装というのは、本紙(画・文字)が生かされてこその表装である。中廻(周り)の生地、色柄と本紙がいかに合うかが最大のポイント。熟達した能力が必要とされる。つまり、本紙の作品を理解し、それに対し、柱、中廻、一文字等(周り)の色柄を決められる技量が求められる。

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大切にしたいモノが、世代を越えモノの形は変われど次の世代に伝わり残されていく。その方法として、「表装」の役割は大きいが、残念ながら職人が少なくなっているのは時代の流れ。そんな中で、辻さんのような、新しい時代の斬新なモノづくりをする作家の力が必要になっているのは間違いない。

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辻めぐみさんの作品

※2018年6月に「心と体のなごみブログ」に掲載された記事をリライトし転載

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隠逸詩人、林和靖と素心 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

先日の煎茶稽古では、久しぶりに隠逸詩人 林和靖(りんなせい)こと「林逋(りんぽ)」が取り上げられた。北宋初期の代表的な詩人として、いまもその名声は伝え継がれている。若くして身寄りがなく貧しい生活をしながら詩を学び、杭州西湖のほとりの孤山に隠居。生涯独身を通し、梅と鶴を伴侶とした生活を送ったといわれる詩人である。

林和靖の詩の中でも、とくに梅花と西湖の美しさを詠った「山園小梅(さんえんしょうばい)」は最高傑作として、いまの時代にもよく登場する。
稽古で掲げられていた、このお軸がどのように「山園小梅」につながっていくのか、まったく見当がつかなかった。
見ての通り、お軸に描かれているのは、今年の干支「猪」のようである。その猪が何を見ているのか、ということになる。その横に描かれているのは、たぶん梅と思われる。
「その梅だけど、なにか変とは思いませんか」、という宗匠からの問いかけに答えは見つからなかった。宗匠曰く、梅は、枝が横に広がり、上に向く性質を持っているという。
ではなぜ、この画はあのように下向きに? と問われてみても・・・。

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お茶は “素心”という淹れ方で煎茶をいただいた。急須に煎茶をたっぷり入れ、水柱にいれていたお湯(ぬるめ)をお猪口ほどの湯呑に半分程度の量を入れしばし待つ。そして煎茶が入っている急須にそそぐ。煎茶のまろやかさが存分に味わえる一煎目である。そして二煎目はさらにぬるくなったお湯を急須にいれ、しばらく待つ。二煎目は、予想通り渋味がたってくる。この渋味が “素心”のだいご味である。
三煎目はスペシャルが用意された。渋くなった茶葉にお酒をそそいだ。少し時間をおいて湯呑につぎ分け試飲。おいしいとは言えないが、年始めのお屠蘇がわりに、と。

お茶を楽しむ合間に、お軸の梅から林和靖の “梅” の世界へと誘われていく。
梅の枝ぶりが下向きに描かれている意図は、林和靖の「山園小梅」の詩を理解したうえで描いているからこのような梅の画になるのだろう。さらに、鶴の代わりに猪を描いているのが、またなんとも滑稽である。

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山園小梅に「疎影横斜水清浅」という一節がある。 “咲き始めて花もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし” という意味になる。枝が垂れ下がり、まばらに咲く花の姿が水面に映し出されている。
そして続く「暗香浮動月黄昏」が対句になり、月もおぼろの黄昏どきに、梅の香りがどこからとなく香ってくる。姿は見えぬが梅の存在を感じさせる。
梅を愛する林和靖の、隠逸の悲哀を詠った詩の一節である。
素心で淹れた淹茶(えんちゃ)の渋味、苦味が、林和靖の隠逸の悲哀とかさなってくる。

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山園小梅 林逋

衆芳揺落独嬋妍  
占尽風情向小園  
疎影横斜水清浅  
暗香浮動月黄昏  
霜禽欲下先偸眼  
粉蝶如知合断魂  
幸有微吟可相狎  
不須檀板共金樽 

現代訳にすると、

いろいろな花が散ってしまった後で、梅だけがあでやかに咲き誇り、
ささやかな庭の風情を独り占めしている。
咲き初めて葉もまばらな枝の影を、清く浅い水の上に横に斜めに落とし、
月もおぼろな黄昏時になると、香りがどことも知れず、ほのかにただよう。
霜夜の小鳥が降り立とうとして、まずそっと流し目を向ける。
白い蝶がもしこの花のことを知れば、きっと魂を奪われてうっとりするに違いない。
幸いに、私の小声の詩吟を梅はかねがね好いてくれているから、
いまさら歌舞音曲も宴会もいらない。

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移りし季節の潮音庭を堪能 [雑感]

建仁寺を訪れた人のほとんどが中庭の枯山水の美しさに目を奪われる。
「潮音庭(ちょうおんてい)」という庭である。小書院と大書院、そして渡り廊下に囲まれた一角に、いまの季節では新緑が映え、秋になると紅に染まる。
そこにはモミジと石で小宇宙が創られている。モミジはもちろん生きている。石組みされている石も当然生きている、とこの潮音庭を作庭、監修した北山安夫氏の言葉を聞いたことがある。

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「潮音庭」は4方向から観賞でき、三尊石の中央にある中尊石を中心として石が配置され、どの方向から眺めてもバランスがとれた絶妙なる美しさが保たれている。三尊石の東側には座禅石が据えられ、その周辺には小石を散らしてある。これも絶妙な美意識の表れなのだろう。
建仁寺を訪れるたびに、移りし季節の潮音庭を堪能させていただく。

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牛と牧童ののどかな情景に杜牧の「清明」があう。【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

「春」を表わす季語は数えきれないほどある。花や動物など自然界のものも多い。
春といえば誰もが思うのが「桜」。桜によく似た「杏」も春の季語としてよく使われる。そして、春を象徴するもので珍しいものがいくつかある。代表例が「牛」、そして「ブランコ」もそう。
牛は、その昔、春の農耕に欠かせない家畜として季語にも使われる。牛と言えば、春。あまり馴染みがないかも知れない。ブランコは、もっとピンとこない。ブランコはもともと中国の異民族が好んだ遊びで、春の遊びの一つだったようである。だから、ブランコと言えば、春をイメージさせる季語になっている。

稽古では春の象徴を、掛け軸(写真)を通して教えていただいた。
この牛の絵を見て、季節は、時間は、情景は、なにをしているところ? という問いが宗匠から投げかけられた。茶席では牛のお軸が掛けてあるのをよく見かける。茶席で見れば、もしかして「十牛図」と思うかも知れない。
牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を描く十牛図は、代表的な禅宗的画題のひとつ。牛は心理、本来の自己、仏教における悟りを象徴している。十牛図は、すなわち本来の自己を探し求める旅、悟りへの道程である。

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宗匠はそんな堅い話ではなく、夕暮れ時に、牧童が牛に乗って家に帰るところですよ。
のどかな情景を想像するでしょ、と。
そう言われると確かに牛もひと仕事を終え、どことなく微笑んでいるように見える。
この絵は、"理想の世界"を描いている。儒教精神で言うならば、のんびりと豊かな社会を作ることにある。その象徴が、この絵で表現されている、ということのようだ。

画と一緒に、今宵の稽古の題材に上がったのが中国で有名な漢詩、杜牧の「清明」ある。

清明時節雨紛々  
路上行人欲断魂  
借問酒家何処有  
牧童遥指杏花村

清明は花の季節であるが、雨が多い。
その季節を詠った詩である。
現代訳すると

清明の時節にしきりに降る雨。
雨の降りしきる道を、ひとりの旅人がゆく。
旅ゆく人の胸は、かえってさみしさにしめつけられる。
せめてこのさみしさを酒にまぎらわそうと、ちょっとたずねてみる。
居酒屋はどのあたりにあるのかね。
牛の背にまたがった牧童は、黙ったままゆっくりと指さした。
それは杏の花咲くかなたの村だった。

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このお軸の賛に書くなら「清明」だろう。これしかない。
お軸の画を見ながら清明を唱和した。
その後にいただく玉露の味は、また格別なものであった。

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記事は、2012年12月に心と体のなごみブログに投稿したものを修正し転載。

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建仁寺 法堂では時空を超えた体感が得られる [文化想造塾<社寺>]

緊急事態宣言が発令されるまえに京都を訪ねた。用事を済ませ建仁寺に立ち寄った。四条通から徒歩圏内なので訪ねた回数では最多である。行くたびに日常では味わえない発見や体験をさせていただく。
今回は、緊急事態宣言期間ではなかったもののやはり人出は少なかった。お陰で書院や方丈、粘華堂(法堂)などで仏像や庭園並びに画など時間をかけて楽しむことができた。

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建仁寺といえば、数々の見どころがある。その中でも法堂は未曽有の世界。その世界を心と体で感じることができる舞台だと思っている。ご存じ、天井一面の双龍図が本尊を護り、舞台監督として見つめ続けている。
その舞台中央に腰を据えておられるのが本尊「釈迦如来坐像」。本尊の両脇に脇侍として、お釈迦様の十大弟子の迦葉(かしょう)尊者と阿難尊者が祀られている。
迦葉尊者は、お釈迦様の後継とされ、お釈迦様の死後にお釈迦様が唱えた経典の編纂をしたといわれている。一方、阿難尊者はお釈迦様の侍者として、お釈迦様の教えを多く聞いていたことから多聞第一と称され、迦葉尊者とともにお釈迦様を支え続けた尊者である。

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薄暗い法堂にひときわ神々しく輝いてみえる釈迦如来坐像と尊者像が双龍図に見守られながら鎮護されている。その空間には時空を超えた瞬間があるように思う。
訪れた日は、法堂に入った時はだれ一人もいなく、その瞬間を五感で味わうことができた。

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李白、杜甫、杜牧、そして芭蕉もお猿さんが大好き。 【一茶庵稽古追想】 [文化想造塾<易社/煎茶>]

今宵の煎茶の稽古の題材は「猿」だった。
猿は秋の季語ではないが、漢詩や俳句で晩秋を表現する動物としてよく登場する。
その昔、中国の有名な詩人の李白、杜甫、杜牧などの長江の三狭の下りで詠まれた詩の中に「猿」がよく登場する。そのほとんどは悲哀のストーリーに使われている。

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芭蕉が詠んだ句にも「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」というのがある。芭蕉が46歳のときに、奥の細道の旅を終えて帰郷の折、伊賀越えの山中で初時雨にあって詠まれたものとされている。芭蕉最高傑作の一つとして有名である。
この句にも「猿」が登場している。ただの風景描写ではない。芭蕉も、そのときの情感を「猿」に例えたのだろう、と想像を巡らしてみた。

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では、なぜ? 猿が悲哀のストーリーによく登場するのか、というと。
それは、猿の「鳴き声」にあるようだ。鳴き声が、中国の詩人たちの悲哀の感情をさそい、聴覚的な特色つまり「かん高く鋭い声」がそれに結びついた、といわれている。

そんなことを思いながら飲む玉露の味と、お茶の花と実の香りがなんともいえない秋の深さを感じさせてくれた。

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記事は、2013年11月にブログに掲載されたねものをリメイクし転載

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