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淡海の護り本尊「浮御堂」の風景 [文化想造塾<社寺>]

この度は湖西を訪ねた。琵琶湖大橋を渡り堅田方面へ数キロ走ると湖上に建つ浮御堂が見えてくる。堅田地域の湖岸は、風光明媚なところとして人気の観光スポットである。

歌川広重の「堅田の落雁」は近江八景の一つとして描かれている。その画にあるように、湖上に突き出ている「浮御堂」が目をひく。ちなみに堅田の落雁とは、浮御堂付近の湖上に雁の群れが舞い降りる情景のことをいう。

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浮御堂は、平安時代に海門山満月寺の本堂として建立された。いまは湖畔に沈む夕陽をバックに写る浮御堂は幽玄の世界のように映る。
では、浮御堂がなぜ、この淡海の湖畔に建立されたのかを調べてみると、
日本の浄土教の祖と称される源信大師が比叡山横川から琵琶湖をながめていると、毎夜、その光明を怪しみ、網でこれをすくうと、1寸8分(5.5㎝弱)の黄金の阿弥陀仏像であった。新たな阿弥陀仏像を造り、その体内に光明輝く仏像を納めた。さらに1000体の阿弥陀仏像を造り奉安するために浮御堂を創建したという。
そして、湖畔に建つ浮御堂は「千仏閣」「千体仏堂」と称し、湖上通船の安全や魚類殺生供養するお堂として現在に至っている。

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風景絶佳の趣のある地としてとどろき、古くより一休和尚、蓮如上人が滞在し、また松尾芭蕉や小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、多くの詩歌、絵画を残している。
芭蕉は中秋の名月の翌日に詠んだとされる「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」の句は、芭蕉が湖上舟から十六夜の月を賞し、浮御堂内の阿弥陀千体仏が月に輝く光景を想像して詠んでいる。また、阿波野青畝が詠んだ句「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂」は境内にある石碑に残され、五月雨に濡れた浮御堂の美しさを刻んでいる。

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湖畔に浮かぶかのような御堂とその周辺の景観は淡海の財産である。歴史と文化に育まれ多くの人を魅了している浮御堂は現在、日本遺産に認定されている。

※この記事は2018年4月「心と体のなごみブログ」に掲載されたものをリライトし転載。

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