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畳にも日本の伝統技術の神髄が見える。<温山荘園追想> [伝統技術]

先日、煎茶会の下見で和歌山県海南市にある、国の名勝「琴ノ浦温山荘園」を訪ねた。
この建造物は元々、ゴム製品をグローバルに展開するニッタ株式会社の創業者、新田長次郎翁の別荘だったところ。個人所有だったとはとても思えない1万8千坪の広大な庭園の中に主屋、茶室、浜座敷など様々な建物が点在する。現在は公益財団法人が設立され管理されている。

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それらの建造物や庭園は明治の終わり頃から大正初期にかけて建造、造園されたもので、随所に日本の伝統的な技術、知恵が生かされた建築物やモノがたくさんある。以前に紹介した浜屋敷の襖絵も貴重な文化財である。
その中で、写真にある「畳」もその一つ。過去に見たことがない畳の形状に驚いた。通常の畳とは少し違う。まず幅が広い。そして中央部分が微妙に盛り上がっている。一緒に視察した茶室や和建造物の手掛ける専門家によると、畳の中央部が、い草が織りあい重りあって継がれているので少し盛り上がっているという。
これを「中継ぎ六配表(中継表)」の畳ということである。「中継表」というのは、い草の軸の太い部分、つまり良い部分だけを使うため短いものになってしまう。それを畳の両サイドから織り中央部で継いだものである。
畳は一般的なものが95㎝幅、四配といわれるものが101㎝、六配が106㎝。温山荘の主屋には中継六配表という畳が敷かれてあった。

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こういった畳が使われているのは、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されている建造物。温山荘は、最高の技術を駆使して造り上げられている大正初期の建物なので、細部にわたりこだわりがみえる。畳も去ることながら、襖、障子、硝子の形状や材料なども粋を極めている。
今回は、興味を惹いた「畳」を少し調べてみた。い草の産地として広島県備後地方のものが昔から最高級のものとして使われていたようだ。中継ぎ六配表の畳は、昔は手織り機械でしか織ることができなかった。手織りだと1日2、3枚しか織れない。今では手織り職人さんもいないという。
現在は備後地方の企業が「動力中継ぎ」の機械を独自で開発し、日本国内の文化財等で使用される畳の生産や修復に役立っているという話を聞いた。

日本の伝統文化は、中国大陸から伝承されたものが多いが、畳、襖や障子は日本古来の独特のものである。しかし、現在の生活空間にはそういうものがほとんど使われなくなっている。こういう機会を得て、畳や障子、襖がある空間に身を置くと、なぜか身も心も落ち着く。

※この記事は、2016年9月「心と体のなごみブログ」に掲載したものをリライトし転載
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